わたしの居場所
20時過ぎ頃、明かりを落とし、やわらかな間接照明を灯して、3歳の息子に絵本を読んだ。布団の上で胡座をかいたわたしの背中側には、ちいさな寝息を立てて、5か月の娘が眠っている。今晩息子は「ゆきのひのうさこちゃん」を持ってきた。この絵本は、わたしが24歳の頃に、大好きな松浦弥太郎さんの「COWBOOS」で買った。石井桃子さん翻訳の特別な一冊だ。石井桃子さんの生きた時代の日本語の美しいこと。声に出して読むと、凛とした響きがあって心地よく、背筋が伸びる感じがする。わたしも子どもの頃、母に読んでもらった絵本で、懐かしくて手に取った。わたしは、雪国で育ったので、うさこちゃんのようにそりで遊んだり、ゆきだるまを作ったりしてよく遊んでいた。
こんこんと降り積もる真っ白な雪と、胸に沁みる冬の匂い、林檎のように真っ赤になって熱を持った自分の頬の感触を思い出して、わたしは一瞬子供の頃のじぶんに引き戻された。そして、今絵本を読み終えたわたしは、お母さんになったんだと思った。きっとわたしは、物心ついた頃、ただお母さんになりたかった。ままごとや、ドールハウスの整理整頓をすることや、近所のちいさな子どもたちの遊び相手をすることが大好きだった。
でも、12歳頃から、家の外で、勉強や研究の活動でなにか結果を出すことに夢中になった。学生の頃は、結果を出せない時の自分は嫌いで、素晴らしい友人たちと比べて落ち込むことも度々あった。いつしか、お母さんとして家にいることは憧れではなくなった。むしろ、主体性がなくて色々なことを我慢する生き方だと思うようになった。
28歳になり、娘を産んでも、大好きな仕事がしたくて、産後3か月から動き出したら、消えたくなって、何もできなくなり、寝込んでしまった。会社の役員には育児休暇がなく、だからこそ早く動けると張り切っていたのに、びっくりした。わたしは、いつもなかったことにしていた不安と向き合うことを自分に初めて許し、オンラインのカウンセリングを受けたり、少し休息を取ったりした。そうしているうちに、久々にこんな安らかな夜を迎えた。
布団にくるまった息子が、わたしの手をにぎって、「ママ、だいすき」とくすぐったそうに笑った。わたしは息子の頬をてのひらで包んで、「ママも、だいすきだよ」と言った。「ありがとう」と笑って眠った息子をしばらく眺めていたら、娘が目を覚ましてふにゃふにゃと泣き出した。すぐに娘の横に添い寝して、おっぱいをあげた。ちいさな口が、一生懸命に吸う。そして、幼い頃のわたしの想いは全部叶っていると思った。わたしをあなたたちのお母さんにしてくれて、ありがとう。必死になってどこかに求めていたわたしの居場所は、外の世界じゃなくて、今ここに、あったんだね。
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