見出し画像

浴衣とスーツ

8月3日(土)は仕事だった。自分の職場はシフト制なのだが、その日は14時から23時までの遅番だったため、13時21分発の電車に乗り込んだ。いつもと同じ2両目に乗り込んだはずなのに、その瞬間に違和感があった。人が多い。いつもなら座れる時間帯のはずだ。土曜日であることを加味しても混んでいる。いや、それだけではない。違和感の正体はもっと別の場所にある。辺りを少し見回すと、その違和感の正体にすぐ気付いた。浴衣を着ている人が多い。同じ車両の中だけでも5,6人は浴衣姿だった。その大半がおそらく高校生か大学生くらいの若い女性で、一組だけカップルと思われる男女がいた。その光景を目にしてからやっと、その日が花火大会当日であることを思い出した。2024年8月3日は大阪でも最大級の花火大会である淀川花火大会が開催される日だ。少し前に誰かから聞いたはずのことだが、完全に記憶から抜け落ちていた。自分には関係ない知識だと脳が勝手に判断したのだろう。ハンディファンを片手にパステルカラーに身を包んだ彼女たちを見て、素直に「いいなぁ」と思った。もしかすると小さく口にしていたかもしれない。口にしていたなら「ええなぁ」だが。これは、土曜日にもかかわらず仕事がある自分と比較した羨望ではなく、若い間にしか経験できないことを経験してこなかった自分と比較した羨望である。いつの間にか、パステルカラーとは程遠いモノクロなスーツに身を包むおじさんになってしまった。「おじさんになること」には耐えられるが、「『若い間にしか経験できないことを経験しないまま』おじさんになること」には耐えられない。「時間が解決する」なんてよく言うが、こういった類のコンプレックスは年々強くなるばかりだ。大抵のことを解決してくれるはずの時間が、「時間は戻らない」という事実だけは解決できないって皮肉すぎないか。自分がこの先どれだけ成功し、富と名誉を手に入れようとも、制服を着てUSJに行くことや2人でこっそり文化祭をまわるなんて経験は出来ない。黒の組織にAPTX(アポトキシン)4869を飲まされでもしない限り。

自分自身の奥底にこのような感情があることにはつい最近気付いた。というより、本当は気付いていたのに気付いていないふりをしていたのかもしれない。気付いていないふりをするために、これらを経験し、嬉々としてSNSに投稿する人達のことを内心バカにしていた。いや実際に声に出してバカにしていただろう。自分を守るために他人を傷つけていたのだとしたら、最低な人間だ。こんなに分かりやすい負け犬の遠吠えなんて勝ち組には届いていなかったと信じたい。「攻撃は最大の防御」は万物に当てはまる訳ではないのかもしれない。高校生の頃の自分は未熟すぎて、それ以外の術を持ち合わせていなかった。令和ロマンの髙比良くるまが、世界は「ベタ」と「メタ」と「シュール」という3つの構成要素から出来ている、と言っていたのを聞いたことがある。要するに、「ベタ」とは王道を純粋に楽しむ人、「メタ」とは王道を批判する人、「シュール」とは王道を批判することを批判する人を指す。この3つの要素は互いに三すくみ状態で、エンタメにおいてはこのうち2つのエリアから支持されることこそが成功の秘訣だと言う。なるほどな、と思った。彼自身が若くしてエンタメ界で成功した人であることも相まってか、ひどく説得力があった。この理論に照らし合わせると、「ベタ」な恋愛をダサいと批判していた高校生の頃の自分は「メタ」、その批判こそがダサいと感じている今の自分は「シュール」に該当する。ここからは持論だが、「ベタ」は「メタ」に勝てず、「メタ」は「シュール」に勝てず、「シュール」は「ベタ」に勝てないのではないだろうか。言うならばじゃんけんのような状態だ。このうち2つのエリアをとる、つまり例えばグーとパーを同時に出すことができれば、相手が何を出してこようが最低でもあいこ以上にはなり、負けることはない。そう考えると、3つのうち2つのエリアからの支持を得ることがエンタメにおける成功の秘訣であることも頷ける気がする。もし本当にそうなのだとしたら、高校生の自分は今の自分に勝てず、今の自分は浴衣姿の彼女たちに勝てない。そう考えると、この持論は強ち間違っていないのかもしれない。「シュール」はいつだって「ベタ」に憧れているのだ。

思い返せば、それほど悲惨な学生生活という訳ではなかった。ある程度は友達もいたし、楽しかった。客観的に見ても、そこまでモテていなかった訳でもないと思う。告白したこともあるし、されたこともある。それなりに普通の学生生活を歩んできたつもりだ。それにも関わらず、さらにそれ以上を求めるのは自分が強欲な人間なのかもしれない。でもみんなはそうじゃないのか?とも思う。自分の人生に満足している人間なんているのだろうか。瞬間的に満足することはあると思う。今回のテストは良い点が取れて満足、とか今日の仕事は効率よく進めることができて満足、といった具合に。でもこれは「点」としての満足であって、人生を「線」で見たときに満足感を得られる人なんているのだろうか、という話だ。少なくとも自分はそうではない。常に何かを求めているし、探している。もしかすると完璧主義者なのかもしれない。「俺の人生なんてこんなもんだよな」って諦められないし、妥協できない。能力の割に、自分に対する期待値が高すぎるのかもしれない。だとしたらナルシストなんだけど。最低で強欲で、完璧主義者でナルシスト。文章を綴るにつれて次々と自分の負の側面が浮かび上がってきて悲しい。まあここまで来たらもう引き下がれないけど。自分の人生に満足するときなんて一生来ないんだろうなと思う。大金持ちになってアイドルと結婚し、ブランド服に身を包み、高級外車を乗り回し、フカヒレやフォアグラを食べられようになればやっと少しは変わるかもしれない。いや、そんな表面的な成功ではやっぱり何も変わらないか。

時間の流れは本当に残酷だな、とふと思う時がある。どれだけお金を積んだって、偉い人に頭を下げたって過去には戻れないなんて残酷すぎないか?小学生の頃の無邪気な夏休みにも、中学生の頃の部活に没頭していた日々にも、高校生の頃の他愛のない放課後にも、大学生の頃の少し大人になった気がした飲み会にも戻れない。時間は戻らない、なんてそんなの聞いてないよって感じ。そりゃそんなことは当然知ってはいたけれど、学生の頃の自分は、その時間が社会人の自分にとって喉から手が出るほど欲しいものになるとは微塵も思わずに生きていた。それを知っていればその時間をもっと大切に生きたのに。いや、そんなこと知らずに過ごしていた時間だからこそ尊いのかもしれないけど。いつかのタイムラインで、「お前が寝る前にベッドで無駄にスマホを見て過ごした10分は明朝お前が死ぬほど寝たかった10分」という言葉を見たことがある。言い得て妙だな、と思った。これほどまでに具体化してしまうと浅はかな言葉にも思えるが、もっと抽象化すると「今の自分がなんとなく過ごしている時間は、未来の自分が渇望する時間」となる。これをツイートした人はそこまで考えていなかったかもしれないが、自分はこのつぶやきにひどく共感した。「過去に戻りたい」は全人類共通で世界最大の最強のあるあるなんだろうな、とも思った。AIがプロ棋士に勝ち、自動車はもはや運転手を必要とせず、もうすぐで空を飛べるようにだってなるかもしれないほどにまで科学技術が進歩した現代ですら、時空の超越を題材とした作品は多く存在する。タイムマシンの実現不可能性がこれらの作品を生み出していると言っても過言ではないだろう。いくら科学技術が進歩しようとも過去には戻れないからこそ人類はそこに夢を見るのだ。

ある音楽を聴くと、それをよく聴いていた時期のことを鮮明に思い出すことがある。自分はこの感覚がたまらなく好きだ。これは一種のタイムトラベルであり、そうすればそれぞれにとっての思い出の曲はそれぞれにとってのタイムマシンである。「若者のすべて」を聴くと未だに泣きそうになることがある。中学〜高校あたりの夏の記憶がスライドショーのように1ページずつ脳内に流れていく。部活帰りに空になった水筒を鞄に押し込み、チェリオの自販機の前に座り込んで何時間でも話していたこと。あの子のカッターシャツから透けるブラ紐をバレないようにチラ見していたこと。それがブラ紐かキャミ紐かなんてどうでもよかった。文化祭の準備終わりに自転車を走らせ、高校近くの大きな公園で出し物の漫才のネタ合わせをしたこと。夜中のテンションで思いついたボケだから本番では全然ウケなかったけど。こんな夏の記憶が走馬灯のように浮かんでは消え、ありきたりな言葉で表現するならば、身体中に「エモ」が充満する。だがこのタイムトラベルはいつでも何度でも出来るわけではない。「若者のすべて」を何度も繰り返し聴いてしまうと、「よく聴いていた時期」が今にアップデートされてしまう。「よく聴いていた時期」をあの頃のままにしておかなくてはいけないから、ここぞの場面でしかタイムトラベルは出来ない。ポケモンで言うと一撃必殺みたいな。PPが5しかないってことはないけど。

「時間」の正体は一体何なのだろうか。日本語には、時間を平面に置き換えて二次元的に捉えた表現が多い。「先を見据える」や「過去を振り返る」といった表現から分かるように、未来が先、過去が後ろにあるとみなしているのだ。この平面上では、双六のように「1マス戻る」や「2マス進む」は存在せず、1マスずつ進むしかない。時間の不可逆性により、我々は「今」に閉じ込められている。過去には決して戻れず、かと言って未来に希望の光がある訳でもない自分は八方塞がりならぬ二方塞がりだ。

…なんてこんなことを考えながら、今日もモノクロのスーツに身を包む。ネクタイくらいはパステルカラーにしてみようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?