英語的思考と日本語的思考について考えてみた

こんにちは。英語を好きになりたい人・思い出したい人へきっかけレッスンを提供しているタナカヨです。タイトルはちょっと小難しいのですが内容はいたってシンプルです(笑)

英語だの日本語だのと区別をしてして学習していくと必ずと言っていいほど腑に落ちないことも出てくるし、そこをうまく納得できないとなかなか覚える気にもならないしわからない溝は深まるばかり・・・そんな溝を少しは解消できるかもしれない思考の違いの解消法について私に自論を紹介します

先日質問されたことで一つ。中学3年生で受動態という文法勉強しましたよね?【~された】という意味合いで使うbe動詞+過去分詞という文法や分詞構文の過去分詞の用法など。これらってなぜわざわざそんな使い方するんですか?っていう質問でした

例文としては 、The teacher wrote this book.その先生はこの本を書いた)と、This book is written by the teacher.(この本はその先生によって書かれた)の違い。日本語の意味合いとしてはどちらも似たような感じで書いたと書かれたが違うだけでじゃない?って思いませんか?確かにそうなんです。書いた側からの話と書かれた側からの話の違いなんですよね。学校の授業なんかではだいたいの例文がこんな感じの物と人を例に用いて書かれていることが多い思うんです。ここからは私の自論です

なのであまりそういうことをこだわらない文化(曖昧な表現)を持つ日本語を使う私たちはいまいちこの言い回しの差が面倒に感じたりするのかもしれませんが、海外の方から【する】と【された】ではかなり大きくニュアンスがや立場が変わるのではないかと思います。物と人で例えて例文を出すからわかりにくくて人と人の行動で考えたら大きく違うのが納得できるのではないかと思うんです。特にアメリカなどは訴訟の国ともいわれていますから使う言葉一つで形勢も大きく変わることでしょう。

つまり、こういう文化的背景も踏まえたうえで言葉って作られているはずだと思うのでそこの部分にちょっとフォーカスして違いを感じて、責任の所在を細かく伝えることが大切と思えれば自然と英語の使い方にも慣れるのではないかと思ったんですよね・・・そう思うと日本ってなんて平和で心の広い国なんだろうと言語を通じて感じます。

英語的思考には責任の所在がツキモノなんだけど勉強の過程ではそうは思ってない日本語的思考を強くお持ちの方には英語はすごく難しいとか感じるんだなと思います。受動態や分詞構文なんかは、会話文とかで教えたほうがわかりやすいんじゃないかなとか思います。He hits my face. と  My  face  is hit by him. のニュアンスの違いが感じられればOKみたいな(笑)

英語の単語や文法の説明をする前にこういう文化的違いも理解しながら学ぶと楽しいし納得できるかもしれないよと最近ではお伝えしています。

なんとなくそれはわかってることなんだけど、いざこうして語源化するのってなかなか難しくてやってこなかったのですが、先日、質問を受けて説明していくなかで、ここの違いがややこしくなる原因の一つかもしれないって思い書き起こしてみました

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました

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