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2022/01/01

元々、インスタグラムで日記を書いておりましたが、日記を同級生に見られるのは肛門見られてるみたいで恥ずかしくて仕方ないのでnoteに書いていこうかと考えています。田中海でございます。

あけましておめでとうございます。周りが正月で浮かれれば浮かれるほど、それを祝う相手が1人もいなくて余計に孤独を感じてしまいますが、やはりお年玉が貰える分、クリスマスよりは全然マシですね。と言いつつも新年早々あり得ないほど朝から頭痛が酷くて泣いてしまいました。みんなが家族や友達や恋人と新年を祝っている間、僕は頭痛を我慢しながら秒針が動くのをずっと見ていました。
やはり彼女というものは必要なのかもしれません。いたことはないですが、ああいう存在を肯定してくれる人間がいないと生きていけません。家族も先生もフォロワーでさえ、
周りの人間はみんな「僕」ではなく「結果」を肯定してるんですからね。ただ存在を肯定してくれる人間がいないんです僕には。
最近はやはり4コマも大して伸びませんし、少し伸びたとしても、猫とか既存のキャラクターとか、みんなが好きなものを出してやっとなんです。自分の描きたいものは評価されないまま新年を迎えてしまいました。
だけど続けていきたいとは考えています。当たり前ですけどお笑いってすごく難しくて、「いいね」を貰うのも独りよがりじゃ絶対ダメなんですよね。自分が面白いと思う気持ちは続ける上で大事ですけど、なによりも他人に響かないと何も意味がないし、人は離れます。でも、だからこそウケれば嬉しいですし、何よりも気持ち良いんですよね。死にたい気持ちが消化されてネタに昇華されて他人の評価に繋がって、、、
そしてやっぱり芸人になりたいのかなぁと最近は思うようになりました。自分は社交性がないし自分の世界に入ることが多くて集中力がないから普通に働くのは向いてないんだろうなとずっと思っていました。それを理由にして芸人になりたいとか漫才をしたいとか漠然と思っていましたけどそうじゃないんですよね。根底にはやっぱり嬉しいと気持ち良いがあるんですよね。もちろん売れるなんて事は無いだろうけど、それを生業にできたら良いなぁ。

今日やってたバチくるオードリーの企画で、出演者の芸人が各々売れなかった頃言われた屈辱的な言葉にコント形式で今の自分が物申す、というような企画をやってたんです。アルピー平子さんは、「女遊びも芸の肥やしだろ」という先輩芸人に対し「2年後お前らは消えている」と言ったり、オードリー若林さんは「春日のキャラってよくわかんないんだけど、モデルとかいた方がよくない?」と言うスタッフに対し「誰かの真似の二番煎じのキャラで2,3年売れて消えていきたいわけじゃないんだよ!」と...当時は言えなかったことを今の自分がコント形式で代弁する企画です。その中で、ハライチ岩井さんが三者面談の日に先生から「お前で笑った事は一度もない。芸人は向いていない。」と言われたと語っていました。それに対して「お前みたいにセンスのない奴にハマらなくて良かったわ!」と叫んでいました。コント形式だし、ある種、茶番みたいだったし、それなのに、気づいたら声を出しながら泣いてしまっていました。何も見えなくなっていました。何も知らねえ奴ほど「つまんねえ」とか平気で言うし、こっちの熱量なんかひとつも知らないからセンスを否定される事が「死」と同じことだとかひとつも知らないんですよ。それでも結局4コマだって漫才だって評価するのは他人だし笑わせられないなら自分の実力不足でしかないんですけど。
今のところは...とにかく苦しむしかないんでしょうね。

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