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鳥取の桜も満開になりました。

今年も桜の季節になりました。今日、祖母と話をしていて、桜への想いがまた少し変わったのでその気持ちを忘れないように残します。

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普段、一緒に住んでいる祖母を実家近くの大型スーパーまで車で送ることがよくあります。
祖母はこのスーパー前から市内を循環する100円バスに乗り、好きなところをぶらぶらするのが日課です。
今日も例に漏れず、スーパーの前まで車で送ってと言われたので、自分の外出時間に合わせて送ってあげることにしました。

その道中でのこと。
「今日は桜がキレイだけぇ、おじいさんと花見をしてくる」と祖母が言いました。
僕らのおじいさんは今から4年前に肺炎で亡くなりました。なので「え、どういうこと?」と尋ねると、「今日はおじいさんの若い頃の写真を持ってきたから、見せてあげようと思っとるだが」との答えが。
確かに祖母の手には若かりし頃のおじいさんが写った写真がありました。なるほど、その写真を持って、祖母はお花見をしてくるということでした。

「おじいさんは死ぬ時に“桜を見たい”って言っとった。」
祖母が続けます。4年前におじいさんが亡くなったのは4月27日。ちょうど桜の季節が終わった頃でした。

「おじいさんが死ぬ前に”桜が見たい”と言ったから、ななみさん(祖母の孫で僕の姉)が気をきかせてくれて車を出してくれて、それに乗せて近くの公園まで桜を見に行こうとしたら、看護師さんに玄関で注意されて諦めた。ななみさんは介護士だけどそれじゃあいけんかった。おじいさんは最後に桜を見れずに死んでいった。」

祖母からするとそのことがずっと心残りだったみたいで、毎年桜の時期になるとおじいさんと花見に行っていたということでした。おじいさんのそんな出来事や祖母の毎年の花見について初めて知り、悲しいような、嬉しいような、表現しがたい気持ちになりました。そんな会話をしていると、目的地の大型スーパーに到着したので祖母をおろします。「気をつけて」と声をかけると、「今日は天気良いからおじいさんと桜を見ながらランチして帰るけな」と言い残して祖母は歩いて行きました。
「人は死んだら体は無くなるけど魂は生きてる。だからおばあさんは全然悲しくないんだよ。」以前祖母が言っていた言葉をふと思い出しました。

祖母との会話を終えると、衝動的に自分もおじいさんに会いたくなってきました。おじいさんのお墓は近場にあるためすぐに行くことができます。なので、もともとの目的を終え、次の予定までの間にお墓参りをすることにしました。

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スーパーで、お花とお供え用の桜餅と、生前好きだった「いいとも」という名の焼酎を買い、いざお墓へ。いつも通りの手順でいろいろお墓にお供えをして、墓石の前でしばし合掌。天気もよく、鳥も鳴いていて、とても穏やかな時間でした。

4月のこの時期にお墓参りをしたことがあまり無かったから気づきませんでしたが、お寺にはとても立派な桜の木が何本もありました。しかもその全てが見事に満開。春の到来を堂々と告げていました。

そして、そのうち1本の桜の木が、祖父が眠るお墓の近くまで枝を伸ばしてくれていました。生前には叶わなかったお花見ですが、死後の今は墓石の上で爛漫と咲いていてあたかも特等席にいるかのように見えます。いろんな巡り合わせでこの場所にお墓を建てましたが、もちろんそれは偶然だったとはいえ、もしかすると多少の運命もあったのかな、なんてことを思いました。

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桜に対する意味合いが、今日また一つ増えました。満開の桜をもう少し楽しみたいと思います。


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