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愛しきリスボア| 巻頭特集|Spring 2017

掲載|QUA|Spring 2017

【掲載背景】
 季刊誌としてNYジャピオンとは別に発行していた「QUA」。当初は旅行記事を巻頭特集にしていました。この005号ではこの年の2月に訪れたポルトガルのリスボンについて書きました。写真を見ていると、やはり旅行に行きたくなりますね。

愛しきリスボア

 イベリア半島の西、テージョ川河畔にある、ポルトガルの首都リスボン。紀元前にこの地に住んでいたフェニキア人の言葉で「安全な港」を意味する、「リスボア」と地元住民は呼ぶ。

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 1年を通じて穏やかな気候が続くためか、近年、観光地として人気が高まり、かつては観光オフシーズンと言われた季節にも市内には観光客があふれている。

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 石畳の道、素朴で少しさびれた古い街並みには、どこか懐かしさを覚える。お菓子好きの住民に混じって、ショーケースに並ぶ色とりどりの焼き菓子を眺めていると、店員が気さくに声を掛けてくる。「ボンディーア。リスボアは気に入った?」。この空気に触れれば触れるほど、街への愛着が湧いてきて、いつしか自分も「リスボア」と呼んでいることに気付く。

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 ローマ帝国、ゴート人、イスラム勢力に支配された歴史を持つが、たくましく異文化を取り入れ、より一層彩りが加えられた街。そして大航海時代には世界をけん引する港として栄え、海外との交易で得た巨万の富が残した、数多くの建造物が今も人々を魅了する。今回はリスボンとその近郊の魅力を紹介する。

光あふれるリスボア・ベレン

 小高い丘に囲まれ、起伏の激しいリスボン。その街並みを見て回るのには、名物の路面電車を使うのがいい。

 20世紀初頭に登場し、市民の足として利用されてきたこの市電。市内で最も古い街並みを残すアルファマ地区を回る12番、郊外に伸びる15番など、現在も五つの路線が運行中だ。リスボンの美しい街並みや景色を一通り眺めたいならば28番がおすすめ。エストーラ聖堂を出発し、坂の上のバイロ・アルト地区、商店が並ぶカモンイス広場、レストランがひしめくバイシャ地区を抜け、丘の頂きのサンジョルジェ城を横目に見てマルティン・モニスに至る、見所満載の、観光客に人気の路線だ。

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 住宅地では軒先をすれすれに通り抜け、石畳の狭い道ではゴトゴトと無骨な音を立て、コーナーでは乗客を激しく左右に振り回す。運転手はお約束のように無愛想だ。正直なところ、乗り心地は決して良くはない。だがそれを補って余りあるほど、リスボンの街と共に長い時間を一緒に過ごしてきた旧車両の車窓からの眺めは楽しく魅力的だ。

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 坂道を登った丘から見えるテージョ川の光る水面、何気なく通り過ぎる繁華街の中に突如として現れる、長い歴史を持つ石造りの大聖堂や建物の威厳ある佇まい。そんな観光客向けのよそ行きの顔だけかと思えば、ベランダに干された色鮮やかな洗濯物や、小さな雑貨屋の軒先で話し込む老人たちの姿など、ここに暮らす人たちの素顔も車窓は映し出す。おしりが痛くなったら途中下車して、リスボン大聖堂や、アルファマの街を一望できるポルタス・ド・ソル広場の展望台を訪れるのもいい。

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 街巡りの後は、テージョ川河畔に面したコメルシオ広場前から市電15番に乗り30分ほどの、二つの世界遺産があるベレン地区へ赴きたい。ポルトガルには15世紀から始まる大航海時代に活躍した二人の英雄がいる。一人は冒険家たちを支援し、自らもアフリカを探検したエンリケ航海王子。そしてこの国が海上帝国を築く土台となるインド航路の発見者バスコ・ダ・ガマ。ベレンには、この二人の偉業を記念し、ポルトガル王、マヌエル1世が1502年に着工、完成におよそ300年
を費やした世界遺産、「ジェロニモス修道院」がある。海外との交易で得た資金を惜しみなくつぎ込み、当時ポルトガルで流行し、王の名を冠したマヌエル様式で建てられた。海外から呼んだ建築家らによる、船や海がモチーフの装飾は、時に過剰とも揶揄(やゆ)されるが、日がな眺めていても飽きない。

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 そこから歩いてもう一つの世界遺産、「ベレンの塔」へ。テージョ川監視の目的で1520年に建てられた石作りの要塞で、こちらもマヌエル1世が手掛けたもの。優雅なマヌエル様式の外観が特徴だ。

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 ベレンの最後には、テージョ川沿いを歩き、「発見のモニュメント」を訪れてほしい。両側に配されたレリーフの中には、今まさに海へ漕ぎ出さんとするエンリケ王子、バスコ・ダ・ガマの姿がある。その屋上展望台からは、光あふれるベレンとリスボンの街並みが一望できる。

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王族たちが見た夢・シントラ

 リスボンの中心にあるロシオ広場駅から電車に揺られること約40分。かつて王族たちが避暑地として城や別荘をこぞって建て、それらが構成する景観が世界遺産に登録されている「シントラ」がある。鉄道のシントラ駅から、さらに周遊バスに乗り山の上にある観光拠点、シントラ・ビラへ。そこでまず目に入るのは、二本のとんがり帽子がシンボルの「王宮」。イスラム教徒が建てた建造物にマヌエル1世はじめ、ポルトガルの王族たちが手を加えながら16世紀から19世紀まで代々、利用してきた。増築のため、さまざまな様式が混在しているのが特徴だ。

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 ひとしきりビラを巡ったら再び周遊バスで、激しく蛇行する山道を登り「ムーアの城跡」へ。さまざまな勢力の支配下にあったポルトガルだが、7〜8世紀にこの地を支配したムーア人は、崖の上に屈強な石造りの城を築いた。この城跡にたどり着くには、バス停からさらに山道を登ることになる。

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 山の頂上をぐるりと囲むように作られた城壁は歩いて1周できる。天気が良ければ、さっき見てきたばかりの王宮と白璧の建物が並ぶビラを見おろす絶景が楽しめる。城壁の歩ける部分は狭く、壁は1メートルほどの高さで、場所によっては片側にしか設置されてない。もちろん敵が登ってくるのを防ぐためであろう、城壁は崖ぎりぎりのところにある。歩くだけでもかなりスリリングで、双方向ですれ違う際は、互いにやや顔を強張らせることになる。

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 再度バスに乗り、打って変わってパステルカラーがかわいらしい「ペーナ宮殿」へ。こちらもやはり山の頂上に築かれた城で、標高529メートル。女王マリア2世とその夫、フェルナンド2世がドイツから建築家を呼んで築かせたもので、1885年の完成と意外に歴史は浅い。

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 一見、ヨーロッパの典型的な古城のようだが、ゴシック、ルネサンス、マヌエルなどの様式にイスラムのテイストも加えられ、見る角度によってさまざまに表情を変える面白さがある。所蔵の美術品も含め、贅を尽くした内装はもちろん見応えがあるが、この「天空の城」のハイライトは、まるで空中に浮かんでいるような錯覚に陥る、バルコニーからの眺めだろう。

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 もう一つ、シントラを訪れたら足を伸ばしたいのが、シントラ駅前からバスで約1時間ほどの「ロカ岬」。この路線は観光客だけでなく近郊の学校に通う子供たちも次々に乗り込んでくるので、車内はポルトガル語のおしゃべりでにぎやかだ。「暑いので、窓を開けてください」。仲間にせっつかれ、観光客に英語で果敢に話し掛ける姿が微笑ましい。子供たちが一人また一人と友達に別れを告げて降りていき、観光客だけになったころ、北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸最西端にあるロカ岬に到着する。

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夕暮れ時で、多くの観光客が高さ140メートルの崖の上から、西の果てに沈む夕日を眺めている。十字架を頂く記念碑には、ポルトガルの詩人、カモンイスの詩の一節、「ここで地が終わり海が始まる」と刻まれている。

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 詩の通り、これからの旅を思ってか、あるいはこれまでの旅を思い出してか、夕日を見る人たちは一様に感傷に浸っていた。



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