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自分の場所と意味を探す旅|アトム・エゴヤン監督「Adoration」【インタビュー記事|2009.05.21】

(掲載|北米毎日新聞|Hokubei Mainichi Newspaper|2009.05.21)

【取材の背景】

カナダのアトム・エゴヤン監督は、自分が大好きな監督の一人。この時は、作品が上映されたサンフランシスコ国際映画祭を訪れていた。エゴヤン監督は1年越しぐらいに二度お会いする機会があって、しっかり覚えていてくれたのは、すごく嬉しかった。カンヌ国際映画祭 エキュメニカル審査員賞受賞作。

【記事】

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アトム・エゴヤン監督(撮影|田中真太郎)

自分の場所と意味を探す旅

アトム・エゴヤン監督 「Adoration」

 最新作「Adoration」が現在公開されているアトム・エゴヤン監督に話を聞いた。アルメニア系カナダ人のエゴヤン監督は、1997年の「スウィート・ヒアアフター(The Sweet Hereafter)」でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞するなど世界的に知られる。「Egoyanesque」と評される独特の様式美に加え、物語を幾重にも重ね、複雑な人間関係を浮かび上がらせる演出が特徴的。「自己発見」、「テクノロジーと現実の対立」といったテーマが多用されるほか、ルーツであるアルメニアに関連した「アララトの聖母(Ararat)」などもある。 (聞き手・田中真太郎)

—作品は1986年に実際に起こった事件をきっかけにしている

 とてもショッキングな事件だった。妊娠している恋人に爆弾を持たせ飛行機に乗せるという、父親として、また恋人として極端で最悪な行動。

 その事件から、父親を悪魔的な存在としてとらえている主人公、というイメージを膨らませた。両親を早くに亡くした主人公は、母方の祖父が語る両親のイメージしかなく、母親は過剰に美化され、父親は祖父の怒りの対象としてしか知らない。だから自身を重ね合わせられるストーリーを見つけ、自分で父親への怒りを経験し、同時にその存在を受け入れる必要があった。

—手段としてインターネットを使ったのは

 (インターネットは)革新的で、信じられないくらいエキサイティングなもの。でも同時にどう使うか、また、その仮想世界とは別に現実世界が存在するということを知る必要がある。それはこの映画のテーマでもあるんだ。インターネットは解決を生み出すものではなく、情報を発信し、それを拡大させる手段でしかない。主人公のサイモンは、思想や批判が氾濫する仮想世界を経て、現実の肉体的な旅にも出なくてはならなかった。典型的な成長物語だが、少年がテクノロジーを通して成長するという話。

—祖父が父親への憎しみを話し続ける姿を撮影した携帯電話をサイモンが捨てるシーンが象徴的だった

 捨てたのではなく、燃やしたことが重要で、燃やすことは清める行為であり儀式的でもある。もし映像を消すだけなら、ボタンをおせばいいだけだが、それだけでは十分な意味を持たないんだ。それまで重要だったものを燃やして、灰にすることで十分な克服になる。

—これまでも、自分を探す旅を多く描いている

 自分自身が現実世界の中でどこにいて、どういう意味を持っているのかを見つけること。私が描いてきた若い女性、男性の主人公は、誰かほかの人の現実世界の中に生きていて、それはその人が自分にどうなってほしいかと望んでいる世界。そこから自分自身が誰なのかを見つけなくてはいけない。それは人生の中でも興味深い時期だと思う。

—彼らのほとんどが、自分の両親を知るということを繰り返す。とくにサイモンは、「アララトの聖母」の主人公、ラフィを思い起こさせる

 それは面白いね。これまで考えてなかったけど、両方とも父親がテロリストだし、その通りだ。普通ならば両親がした行動に対して子供は責任を負わないのに、国家レベルで両親がした行動に対しては責任を追わされるのはなぜかということ。だから、彼らは自分の両親の行動を理解しなくてはいけないんだ。

—本作のテーマ、演出、テイストは「スウィート・ヒアアフター」以前の作品に似ていると感じた

 「スウィート・ヒアアフター」は原作があったとはいえ、ほぼオリジナルの脚本。その後は、「フェリシアの旅(Felicia's Journey)」は脚色(原作もの)。「アララトの聖母」は、個人的なものだけど、同時に自分が属する(アルメニア系の)共同体のものでもある。(アルメニア人の)複雑な歴史の事実に対して、また知らない人に歴史を説明する責任から抑制が効いたと思う。

 「秘密のかけら(Where the Truth Lies)」は、またそれとは違う、特定の時代のアメリカの大衆の歴史を扱った原作がある。

 原作や資料がある場合は、自分が知らない人々や自分とは違う世界について知ることができる。それはすばらしいことで、たくさんの引き出しを作ってくれる。だけれども、原作がある場合は議論の必要があり、それは脚本にも影響する。この作品ならば、家族の姿や置かれた状況も理解できるわけだから、誰かほかの人に対して、責任を感じることがない。

—自分の考え、感情を、世界の人とシェアすることをどう思うか

 世界の人々が自分の作品を見て、それぞれの視点から、それぞれの解釈をしてくれるということはとてもありがたいこと。面白いのは国によってものの見方も違うということ。映画と一緒に旅して、違う反応を見るのは予想ができないし、楽しい。

 それはどの作品を人生のどの段階で見るかにもよるし、どの順番で見るか、それは無数の組み合わせがあるわけだけど、見方が変わるよね。「秘密のかけら」を最初にみたら、僕がどんな映画を作っている監督かという印象は、例えば「カレンダー(Calendar)」という小さな作品を最初に見た人と違うだろうし。どの映画でどう興味を持ってくれるかというのは興味深い。

 だから、実はレトロスペクティブをやるとややこしいんだ。たくさんの作品をいっぺんに観ると、同じテーマを繰り返し描いていることもあって、それがはっきりとしすぎてしまう。きちんと消化するのに2年ぐらい間を空けるとか、時間のクッションが必要だと思うんだ。

【映画紹介】

Adoration(2008年)

■監督=アトム・エゴヤン■出演=アルシネ・カーンジャンほか

 高校生のサイモンはフランス語の授業で実際に起こったニュースの翻訳をする。記事は、妊娠している恋人の荷物に爆弾を仕掛けて、彼女が乗った飛行機を爆発させようとしたテロリストに関するもので、サイモンは、胎内にいる子供の視点でテロリストの父親、利用された母親に対する意見を取り入れて翻訳し、それがネット上で話題になってしまう。

 サイモンはその仮想の両親とそれに対するネット上でのさまざまな人の意見、そして自動車事故で亡くなった本当の両親と、自分の父への憎しみの言葉を死ぬ間際まで吐き続けた母方の祖父との姿を重ね合わせていく。




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