田中という人物

自己紹介をしたいと思います。

出身は秋田県 高校生まで。今は千葉に住所がありますがほぼ都内で寝泊まりしています。

それでは小学生の時から今に至るまでを書いていこうかなと思います。長くなりますので暇な時にでも見てください。


小学生の時は野球、陸上、バスケ、スキーを掛け持ちしてました。秋田の山奥ですので冬は通学はスキーの時ありしたね。実は…これは田舎あるあるなんです。


中学では野球をしました。もちろん坊主です。素振り左右1000回とかしたり。とにかく結果を出したくて毎日研究してました。打率も3割超えることできたので努力次第でなんとかなるんだなと実感できましたね(今は某友人から笑いも3割打者だねと皮肉をいわれてますが…精進します…)


高校の進学先が野球が弱かったので坊主にしてまでしたくないと思い野球は選ばなかったです。モテたかったんですごめんなさい。これは思春期あるあるですね。とくにしたいスポーツはなかったので、さめて新しい事と思いバレーボールを選びました。同期は経験者が多く経験に負けるのが嫌いで毎日22時くらいまで練習したり。最高到達点315のヘボセンターでしたが少しは結果出せて満足できました。

いわゆるスポーツ少年でした。いろんなスポーツを通して学びましたし充実した学生生活を送る事ができました。良い経験です。


高校卒業後については叔母が看護師で親の勧めもあり看護師を目指しました。自分がしたくてと言うより人に勧められてですね。

進学するなら自分が知らない土地に行きたいですし、知らない人と関わりたいと思いなんとなく千葉を選びました。ただの刺激欲しさですね。

自分は女系家族の末っ子で幼少自体から女性への対応の仕方を教わっていましたので看護学校でも活かせました。他人への甘え方を覚えちゃいましたね。てへぺろ。

そんなもんで実習でも好かれてなんぼだと思い教員、指導者に媚びへつらいました。てへぺろ。

そんな看護学校時代を過ごしたので配属先の希望は特になかったです。でも救命病棟24時に少し憧れもあったし幅広く知れば好きな科も見つかるかなと思い救急科希望し配属しました。まぁモテたかったって理由もあるんですけどね。てへぺろ。こんな理由でしたのでもちろん最初はしんどかったですよ。ほんと。

配属1週間あたりで先輩に「末梢ラインセット持ってこい」って言われて急いで準備したら「これじゃねぇよ おまえ大丈夫かよ」って怒鳴られました。理不尽ってこう言う事言うんだって身を持って知りましたよ。

鉄の扉の先にある閉鎖滴な救急病棟。配属15年前後の猛獣ばかり。猛獣の扱い方は母親や姉達に教わっておけばよかったなって思うほどです。最低ですね。

ナースステーションでは陰口いや目の前にいるのに存在を否定されたように悪口をいわれました。しんどみが増していきましたね。でも同期が5人いたので同期の絆はそこで深まりました。まぁ僕が辞める時には5人から1人になりましたけど。

17時に申し送りが終わると決まって2時間別室で指導もありました。これは今なら申し訳ないなって思いますけど当時は地獄でしかなかったです。指導が終わってから記録の時間で毎日20時とか21時に退勤とかが良くありました。高校時代はそのくらいまで自主練してましたが、楽しくない事はただただ苦痛だなって。

奨学金の縛りもあったし外の病院より福利厚生が良い
男性看護師も8人はいたしで辞めずに耐えました。

配属2年目の時あたりから外部の人を取り入れ始めるようになり、お局と呼ばれる理不尽大魔王はどんどん異動して5年で様変わりしました。

2年目時に仕事が凄まじくできる先輩と出会いました。
自分のアセスメントを聞いてくれるし指導もしてくれましたね。内面だけではなく外見もイケメンなんですよ。ほんと惚れました。その先輩がいたからこそ頑張れました。

5年目にも人の意見聞き出すのが上手くて仕事も凄まじくできる男性看護師の先輩と出会いました。このころから救急が楽しく思うようになりましたし、周りも評価してくれるようにもなりました。

僕にとってこの2年目、5年目はターニングポイントですね。環境って本当大事だなって思います。

6年目でプリセプターに選ばれました。ほんと遅咲きですよね。自分が経験した理不尽をプリセプティには経験して欲しくなかったし、良い環境にしたいと思いました。自分のようにくすぶって欲しくないし救急は楽しいって思って欲しいと純粋に思いました。気持ちを言うだけは簡単でそれだけでは自己満。ですので指導についての勉強はもちろんしました。結果は…個人的に1年で凄く成長できたと思います。プリセプティも僕も。


その指導の年に同期小泉が現代表熊谷に自分を紹介してくれました。その時に看護師の転職コンサルに向けてとの諸々の話をしましたね。救急、指導が楽しい今を捨てても良いのかと葛藤しましたが、それ以上に熊谷の人間性に惹かれたました。

たまたま僕は尊敬できる先輩に出会えて、それを後輩に還元できたけど(自己満)、同じく悩んでいる看護師って多いんじゃないかなと思い始めました。1人の力はたかがが知れてますし限度もある。"看護師転職"ここからなにか自分の思いを還元できないかなと思い、熊谷と出会った月に公立病院退職の旨を師長に良い無事退職しました。有給休暇は20日ほど捨てる形になりましたが…

そんなこんなんでAmbiateに所属し、今のAmbiate田中があります。

纏まりのない自己紹介でしたね。多分誤字もあるでしょう。言い回しが変なところもあるでしょう。そこは目をつぶってください。お願いします。

長くなりましたが、ここで田中の自己紹介を終わりたいと思います。

最後まで見てくださった方、アイシテマス。


(Ambiate 田中)

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