見限るおとなたち

朝日が昇り立つ時間。光陽が照らしている。肌は寒い。

タバコの煙が光陽と垂直に交差する。
私「おはようございます。良い景色ですね」と声を掛けて、やがて、互いの仕事の話になる。「私の管理不足もありますが、大変で、悪い部分は謝りますが、他は否定しておきたい所でして…」苦い顔をする。
彼は、煙を漂わせながら答える。「相手の駄目な部分を、指摘し合うのは、相手に期待できる可能性があるからですよね。その関係性を築くのはすごいですね。普通、諦めませんか?もう、〇〇の様に無視する形になりますよ。大人なんですから」
私「言われているうちがありがたい話ではありますね」と、話を止めて、相手の話に移る。

指摘をし合える関係とは、相手を傷つけ合う関係であり、それは、相手の認知コストの負担を伴う。それは、大人の関係では、対価を支払って得られる部分が多い。相手に対する気遣いか、時間か、労力か、ニーズを満たす物か。一言で締めると「この人にならコストを払っても良いかな」と相手に思ってもらう事だ。人は、見限る。そして除外する。主張をするな!と、話を聞くに値しないと。そうならない様に、我々は、約束を守り、変化出来る可能性を示し続ける事が大事になる。

暗転。
1人私は煙草を吹かしている。この先の労力を考えながら、「厳しい物があるな」と漏れる。40代前後で、根本的な部分の指摘が必要になるという事は、同時に、その年齢まで、見限られ、相手とその様な関係性を構築できなかったという事になる。私は、火が口元に近づく様に、諦めかけている。トイレの鏡越しに映る、自分の眼が、心底、冷たく、垂れていた。

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