僅かばかりの記録

桜を見る。季節の行事を済ませるのは、季節の移り変わりを眺める為だ。気の合う仲間や、美味しい食事、適度なアルコールで、胃や心も満たされていく。

その中で、言葉を交わし、行き交う目線が、自分の浅はかな、もどかしさに、つい視線を滑らせてしまい、まだ時間が必要そうだと内省している。

核の部分の発露が、怖さや、孤立や、奪い合いや、理不尽からの抗いや、不信感や、当人の力不足や、良い格好を見せたい自分や、マイナスの部分ではなく、ただ、仲間たちとワイワイ過ごしたい、といった明るい核に変化していって欲しいなと、流れ行く川を横目で見る。

色々とあるが、人間関係から仕事に通ずる迄、ただ、気の合う仲間たちとワイワイしたくて、ワイワイ出来る対象が、仕事だったりする事が多い。そこに崇高な目的や、後付けのエピローグには、結果論でしかないという実感が湧いている。

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