オタクか。そうでないか。

 「ああ、死にたい。」
 覚醒した直後からそう感じることで思考が始まる。
 おもむろに「今まで学校というものに馴染めたことがあったかどうか」について思い返す。
 小・・・×
 中・・・×
 高・・・×
 大・・・×
学校という学校に馴染めた記憶(印象)が全くない。
 いっそ行かなかった方が良かったのではないかとさえ思う。「馴染めない」という「負け感」を何度も何度も感じて社会生活そのものに負け癖が付くくらいならば、世の中が「標準」の目安として作っているレールから自分を切り離し、自分が熱中出来ることを一つ、また一つと増やしていった方が良いのではないかと思う。
 オタクは社会から除け者にされているように思うが彼らは幸せそうだ(少なくとも画面の中では)。であればそういった生き方もありなのではないか。
 ここまで一気に考えたところで「しかし画面の中のオタクたちはアメリカのオタクたち。やはり島国ニッポンではあのような自由で幸せなオタクたちはいないのではないか。」というツッコミを自分に入れる。
 しかしよくよく考えてみると彼ら自身もオタクの中ではある種の「選ばれしオタクたち」なのである。4人ともMITに籍を置くPhDまたはエンジニアなのだ。原因は「クニ」にはないのかもしれない。
 画面の中では彼らの他にもう1人のオタクが登場する。コミックストアの彼だ。彼は貧しさのあまり職場であるコミックストアで生活している。作中では貧しさを皮肉っているシーンがよく登場する印象だ。しかしよく考えると主人公たちよりも彼の方が標準サイズのオタクに見える。
 そもそもオタクというのは社会不適合者なのだ。社会に馴染めないストレスを娯楽にストイックに尖らせた結果として生まれたのがオタクであって、そもそも彼らが高い社会性を求める世の中から必要とされる場面は少ない。クラスの中だけでなく社会全体においても彼らは除け者なのだ。
 であれば雇用の観点で見ても彼らは除け者なはずなのである。
 ゲームセンターでフィギュアを取ろうと一生懸命千円を両替している彼らは実を言えば数万円、数十万円する限定フィギュアが欲しいのかもしれない。

#ビッグバンセオリー

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