『ハランクルク・帝国の盾 帝国の盾と辺境領の姫』前編

 大きな腕は岩をも砕く。
 力強い足はどんな獣よりも速く大地を駆ける。
 その乗り物はハランクルクと呼ばれた。
 ハランクルクは人を乗せ荷物を運び、やがて文明を興し、巨大な帝国建設の原動力となった。
 それからさらに長い年月が過ぎた、第3神聖紀6021年。

【序 帝国の歴史】
 第1神聖紀の終わりとともに、この大地に人間がやってきたのだという。
 第2神聖紀が始まった。
 まだ文明というもののなかった大地に、人々はハランクルクの力で文明を興し、その世界を広げていった。
 それから1000年あまりかかって人間は、その数と住処を増やして、いくつかの国を作るに至った。そして始まったのが戦乱の時代である。国々は互いに争いあい、離合集散を繰り返し、互いに奪い合った。500年続いた争いの時代の結果、世界の人口は12分の1にまで減ってしまったと言われる。だがそれでも争いは止まなかった。
 その戦いでもハランクルクは力を発揮した。ことにこの時代は〈神機〉と呼ばれる第1神聖紀時代のハランクルクが先陣を切り、超常的なそのちからは戦いの悲惨さに一層拍車をかけたという。
 長い不毛で無惨な戦いの中、〈5虎〉と言われた強国を次々と滅ぼして、統一への一歩を踏み出したのが、帝王ウラナング1世である。
 〈5虎〉を平らげ、ウラナング1世は帝国の成立を宣言した。これが第3神聖紀の始まりとなる。
 その後帝国は100年かけて16国を滅ぼし版図を地上のほぼ全域に広げ、ようやく世界に太平の時代が到来した。
 長い平和で豊かな時代。
 しかし、長すぎる平和は緩やかに帝国を分裂させていった。
 分裂は再び争いを呼ぶ。
 9度に渡る大反乱を強力無比の帝国軍は乗り切ったものの、その間に〈神機〉はすべて失われ、第1神聖紀の超技術も多くは忘れ去られた。
 この戦いの過程で、帝国軍は帝国の中で独自に権力を拡大し、大武将のいく人かが初の辺境領主として自治を許された所領を得るに至った。
 以降、辺境領は帝国の政治を司る貴族や軍で功績をあげた者へ下賜、または支配権を譲渡され、第3神聖紀6021年現在109存在している。
 中央に集中していた権力がこのようにして徐々に分散していきつつも、それでもなお帝国の平和は続いていたが、第3神聖紀6021年のいま、帝国の結束は緩み、ゴリョウ、プマースクなどいくつかの辺境領では帝国中央とのつながりも途絶えてしまった。そして残った帝国領内でも辺境領を中心に、反帝国の動きが勃興しつつある。
 なかでも勢力を広げているのが、リガ教団と呼ばれる一団で、第2神聖紀に帝国によって滅ぼされた自分たちの王国の再建を掲げて、辺境で数を増やしているという。

【幕間 ケイミレライの独白】
「これでよし」
 ケイミレライは操縦席のパネルを閉じた。これで1時間後にこのハランクルクは東へ向かって走り出す。
 この数日間、ほとんど座りっぱなしだった操縦席をぐるり見回してから、ケイミレライは機体を降りた。そしてここまで自分を運んでくれたハランクルクのほっそりした機体を眺める。いまは葉を茂らせたモーラの木の間で降着姿勢をとっている濃い青の機体を、もう一度だけ立ち上がらせてみたかったが、それは無理な相談だ。
 故国を旅立って以来、彼女を守ってくれたハランクルク・バハシル。
 背中にあたる座席の感触がないことがひどく不安に感じる。
「だけどほかに方法がない。この方法がいちばんだって決めたのだから」
 このままハランクルクなしで奴らと出会ってしまったら、という考えは振り捨てた。考えても始まらないことだ。
 いまは追いつかれるまでの時間を少しでも引き延ばすことを考えるのだ。
 最小限の荷物だけを詰めた背負い袋の位置を直して、ケイミレライは西へと向かって歩き出した。

【01 ガン信徒、追撃者】
「糞虫めっ、確かに命中したのか? 外れたのではないか?」
 上級信徒にあるまじき悪態をつきながら、ガンは操縦席から身を乗り出して闇を透かし見た。
 視線の先には丘陵地の凹凸が見えているはずなのだが、夜の闇の中ではそれもほとんどわからない。機体周囲の地形さえも判然としない闇の中なのだ。操縦席内の計器のわずかな光さえひどく明るく見えるほどだ。
 その彼の右隣りの闇の中に、ふっと光が浮かびあがった。
 光の中から女の声が答える。
「確かに命中しました。音からみて、関節部を撃ち抜けたはずです。たとえカイラーナといえど、脚が動かなくなっては逃げ切れません」
 至極冷静な、かつ柔らかい声色。
 操縦席のハッチが開く音は聞こえなかった。
 あの女にはどうも油断ならないところがある、とガンは思った。従順に見えても、どこか、すっかり服従していないと感じさせるのだ。が、そういう女を屈服させることこそ彼の最大の楽しみでもある。平信徒だった彼女を側近に引き上げたのもそのためだ。意志の強そうな女をおのが欲望に従わせる楽しみに比べれば、殺人の楽しみさえ色褪せる……。
「それからガン様」
「なんだっ」
「お声が大きうございます。せっかく灯火制限をしているのが無駄になってしまいます。できれば操縦席も閉じておいていただければ」
 ガンはなにか言い返そうとしたが、結局そうはせずに黙って――ただし乱暴に――操縦席を閉じた。次いでもうひとつの明かりも消えて、あたりは再び闇に包まれる。
 操縦席に腰をおろしたガンはいらいらと操縦桿を指で叩いた。
「ヨウディめっ、下級信徒のくせに偉そうなことを言いおって。……だいたい、このような仕事、俺には向いておらんのだ。ベイ司教の勅命でなければ誰がこんな泥臭い辺境に……なんだっ」
 通信機の呼び出し音にガンはスイッチを入れた。雑音混じりの先ほどの女――ヨウディ――の声。
「どうやら追い詰めたようです。11時の方向を」
 ガンは操縦席の窓覆いを開いて外を見た。
 闇の中に機銃の閃光がちらちらと見える。そしてかすかな音。
「よし。今度こそ捕まえるぞ。ヨウディ!」
 ガンが機体の起動スイッチを入れると、駆動鋼が動き出す独特の堅い音が響きだす。
 機体の腰部につけられた照明がいきなり太陽が昇ったかのように輝いた。
 降着姿勢にあったガンのハランクルクが勢い良く立ち上がる。ひと目でカイラーナとわかる人間に近いシルエット。ただし大きさは人間の3倍近い。詳しい者が見れば帝国軍で正式採用しているカイラーナ、ウーゾ型だとわかるだろう。だが、その表面には帝国軍はもちろん、所属を示す記章のたぐいはどこにもついていない。
 続いて、同じく照明をつけたもう1機のハランクルクも立ち上がる。こちらは大きさこそガンのウーゾと近かったものの、そのシルエットは伏せた獣にさらに手足をつけたような不格好なかたちで、全高は比べるとだいぶ低い。広く普及しているエイグ型――ウーゾのようなカイラーナではない、一般向けのスゥサ――だ。だが、これも詳しい者がいれば、その駆動音が普通のエイグとは異なっていることに気づいたかもしれない。機体の前側につきだした2本の腕のうち右の1本には、長い砲を1門携えている。そしてまたこちらのハランクルクにも所属を示すようなしるしはなにもついていない。
 カイラーナとスゥサ、2機のハランクルクは、銃火の輝く方へと走り始めた。
 ガンのウーゾが、長い――1カイほどある――脚で力強く丘の斜面を駆け下りる。脚を踏み下ろすたびに、斜面に大きくめり込んで土塊をはじくのは、それだけカイラーナが重いせいだ。同じように駆け下りていくエイグの方も斜面に大きな足跡をうがちながら走っていたが、めりこみ方はそれほどでもない。それだけウーゾの方が重いのである。
 しかしウーゾはその重さをものともせずに、軽快といっていい足取りで火線の輝く方へと突進していく。民間用とは桁違いの、カイラーナ特有の高出力のなせる技だ。
「さあて、お姫様。死んでしまったりしないでくれよう? 司教様のご要望もあるが……俺の楽しみがなくなってしまうからなあ……」
 ガンは気の弱い者が見たら悲鳴をあげそうな笑顔を浮かべて、ハランクルクの速度をさらにあげていった。
 しかし、先行させたハランクルクたちが待っている場所までたどり着いたガンを待っていたのは、彼にとって腹立たしい結果だった。
「逃げられた? 糞虫めっ! 逃げられただとぉっ?」
 ガンは横たわっているハランクルクの機体を何度も激しく踏みつけた。
「ハランクルクはここにあるだろうが! お前たちは近くにいたんだろうが! それでどうして逃げられるんだよっ」
 そこには2機のハランクルクからの照明に照らされて、1機のハランクルクが倒れていた。ガンのウーゾよりもより人に近いシルエットだが、右脚が膝の部分からおかしな方向に曲がっている。またその全身は無数の傷で本来の濃い青が白っぽくなってしまっていた。激しい銃撃を浴びた結果だ。しかし銃撃が貫通した証拠である穴はひとつも開いていないのは軍用であるカイラーナゆえだ。装甲されたカイラーナは、スゥサなら一撃で大穴が開くような大口径の機銃をくらっても簡単にはダメージを受けないほどに頑丈なのである。
 だが、それは装甲されている部分の話で、関節部などはその限りではない。可動範囲を確保するため、どうしても防御の薄くなる関節部は、ハランクルクにとってもっとも弱い部分と言える。
 とはいえ、そこを狙い撃てる角度は限られているし、ましてハランクルクは激しく走り回るものだ。機銃弾を雨あられと浴びせても、関節部に命中することは滅多にない。
 ヨウディが撃ち抜いたのは、その関節部だった。
 ヨウディのハランクルク・エイグの持つ12カタム砲は、軍用の砲としては小さな部類だが、それでも関節部に命中すれば、充分カイラーナを撃ち抜く威力がある。
 その結果が倒れているハランクルクの右脚というわけだった。
 ガンになじられている者たちはその場にひざをついて恭順の意を示している。3人いる、そのうちのひとりが頭を上げた。
「ご命令のとおり、我々は先行して、姫のカイラーナを追いつめる予定でありました。その後、北へ走るカイラーナを発見。予定通り包囲態勢に入りましたが、相手がバハシル型ということでなかなか追いつけずおりました。しかし、そこでヨウディ殿の射撃で姫のカイラーナは脚をやられて、我々は速度を落としたこれを包囲し、降伏するよう勧告したのですが、応答なく……」
「細かいことは報告書にでも書け! 結論はどういうことなんだ!」
「どうも、カイラーナに姫は最初から乗っていなかったようです」
「自動操縦か……。糞虫めっ!」
 再びガンが乗り手のいないハランクルクを蹴飛ばす。
 どうやらこのハランクルクの操縦者は、機体を自動操縦にした上で自分はひとり逃げ去ったらしい。
「間抜け共がっ、見てわからなかったのか!」
「まさか、自動操縦のまま、こんな場所をこれほど長く移動できるとは思って……」
 言葉の途中で男はガンに蹴り倒された。
「糞虫めっ! なんのためにお前らをわざわざ選んだと思ってる! ハランクルク操縦の腕を見込んでのことだ! でなければお前らのような奴隷まがい、俺の1カイ以内に近づくこともできんのだぞ! わかっているのか!」
 一団は黙して俯いている。
 もとより下級信徒が上級の信徒に許可無く口を利くことは許されていないのだが、なによりガンという男の気性を、この場の誰もが把握しているのだ。
「それが、ハランクルクの自動操縦ひとつ見抜けんとはっ。糞虫めっ、糞虫めっ。小娘に軽くあしらわれおって! 糞虫めっ!」
 しばらくそうやって悪態をついていたガンも、やがてようやく癇癪が収まったか、足元の男に向き直った。
「行方はわかっているのか」
「ケナンバムたちが捜索しております。まだ連絡はありませんが、しかしおそらくは西に向かったものと……」
「なぜわかる」
「西にはクセドの街がありますから」
 答えたのは、やはりいつの間にからハランクルクから降りていたヨウディだった。身体にぴったりとした乗衣は、彼女の艶かしい身体の曲線を強調している。強いハランクルクの照明によって、いっそうその凹凸は強調されていた。
「……クセドだと? 帝国軍の駐屯地があるのか?」
 ガンが一瞬言葉に詰まったのは、半分はその街に帝国軍が駐屯している可能性を考えたからだ。いまの段階で帝国軍と事を構えるのはリスクが大きすぎるのだ。そしてもう半分はヨウディの姿に目を奪われたからだ。見慣れた姿のはずなのに、こんな状況で見る彼女は、強烈な艶めかしい魅力を放っていた。その証拠に彼の足元に控えている3人もヨウディから視線が反らせないでいる。
 その視線を意識しているのかいないのか、ヨウディはいつもの冷静な調子でガンの疑問に答えた。
「いいえ。そこまでの規模の都市ではありませんが、より大きな街へ行くにも、ハランクルクなしでは難しいはず」
「なるほど。小娘は、ハランクルクを手に入れるか、キャラバンに紛れ込むか、とにかく足を確保しようとするだろうということだな」
 ヨウディは無言でうなずく。
「よし。今日はベッドで寝られるぞ、ヨウディ!」
 ガンは踵を返して自分のハランクルクへと戻っていく。ヨウディも無言でそれに続いた。
「ガン様、我々は……」
「小娘の捜索だ! そのなんとかいう街に向かったという証拠を見つけてこい! でなければ、ほんとうはどこへ向かったかわからんではないか。いちいちこんなことを命令させるな!」
「は……」
 ひざまずく3人を残して、ガンはハランクルクに乗り込む。
 そして懐から折りたたんだ紙を取り出し、広げる。
 紙には少女の写真と、その身上書きが印刷されていた。複雑に結った髪は、彼女が裕福な家の生まれであることを想像させる。整った顔立ちは「人形のようだ」という者もいるかもしれないが、そう決めつけるには緑の瞳と濃い目の眉は、意志の力を強く感じさせる。
「ケイミレライと言ったか……。15歳。見た目も合格だ。諸侯の姫をものにするのは初めてだな……」
 そうつぶやくと、ガンはまたあの凶悪な笑顔を浮かべたのだった。

【幕間 ケイミレライの独白】
 かすかに銃撃音が聞こえた気がする。
 いつのまにか眠っていたようだ。あたりはもう真っ暗になってしまっている。明かりが漏れないように覆いをかけながら時間を確認した。
「2時間も寝ていた」
 立ち上がろうとする脚がひどく痛む。腫れ上がっている感じだ。生まれてこのかた自分の足でこんなにも歩いたのは初めてのことだ。
「さっきのが銃声だとすると、ぐずぐずしているわけにはいかない」
 痛む足を励まして、ケイミレライは歩き出す。
 もしあれが銃声だとすれば、追っ手はついに彼女のハランクルクに気づいて追いついたのだ。もしかすると無関係な盗賊かなにかかもしれないが、それはそれで危険であることに変わりない。彼らがハランクルクに気づくところまでは計算通りだが、いったいそれでどれくらい時間が稼げるものか……。
「とにかくクセドまで辿り着かないと。そこまで行けば彼が……、〈帝国の盾〉が助けてくれる」
 少女は丘の斜面を登っていく。

【02 ナミカゼ、運送業者】
 ナミカゼはクセドの街で運送業を営んでいる。
 街周辺の村や農家を回って、荷物――主に農作物だ――を集め、それをクセドの市場に持っていく。すでに売買契約は済んでいるので基本的に彼がすることは荷物を運ぶだけだ。
 同じく運送業を営む者の中には、大型のハランクルクを連ねたキャラバンを組んで、もっと大量の荷物をもっと遠く――例えば帝国中央――へ運ぶ者もいるが、ナミカゼはひとりを貫いている。
「こんな小口を扱ってくれるのは助かるけどさ……、ひとりだと大変なんじゃないかい」
 ナミカゼ自身も手伝って、荷台に木箱を積み終えたところで、中年女が言った。いま積んだ木箱に詰まっている野菜を作った家の女だ。近くの街、クセドから50ダーリほどの距離にあるこの孤立した農家は、周囲2ダーリの範囲を耕作して、さまざまな野菜を栽培している。ナミカゼの得意先のひとつだ。
「奥さんや子供はいないんだろう? せめて誰か雇っちゃどうだい?」
 黙って聞いているナミカゼに農婦は言葉を重ねた。
「こら、人様のことだ。いちいち詮索するもんじゃねえ」
「詮索とは人聞きの悪い。あたしゃナミカゼさんを心配して言ってるだけだよ」
 善人特有の正義の確信をもって、女はたしなめる夫に言い返した。
「こんな変わったハランクルクも売っぱらってさ、もっと新しくて大きいのに変えたらいいんじゃない? このハランクルクじゃたいした荷物は運べないだろう?」
 ナミカゼはぎこちなく笑い返すだけだ。
 代わりに夫が再び割ってはいる。
「男にはこだわりってものがあるんだよ。効率だけでハランクルクを選ぶなんざ男じゃねえってもんだ。それに、でかいハランクルクならそれだけ維持費もかかる。キャラバンだってうちなんかにゃ寄ってくれねえだろう。ナミカゼさんがうちにきてくれなくなってもいいのか?」
 妻をたしなめながらも、農夫はあらためてナミカゼのハランクルクをまじまじと見ないではいられない。確かに変わったハランクルクなのだ。田舎暮らしのせいで、自分の知らない新しい機種なのかとも思うが、全体に使い込まれて、ひどく古くさくもある。あちこちとってつけたような外装があるのは、長く使われた証拠だろう。ともかくも、似たハランクルクを見たことがないのは間違いがない。
 そもそもこのハランクルクには腕というものがないのだ。
 脚は2本そろっているものの(当然だ、そうでなければ動けない)、たいていのハランクルクには荷物を運んだりするために腕がついているものなのに、ナミカゼの機体にはそれがついてない。腰のあたりから背後に突きだした荷台のつき方もなんだか奇妙で、当たり前に見かける貨物用のスゥサの重心の低い姿勢とはだいぶ違う。そのバランスの悪さを補うかのように胴体上部の左右から斜めに伸びた荷台を支える梁はひどく太い。
「そりゃあ、ナミカゼさんがうちの野菜を運んでくれなかったら困るけどさあ」
 妻の方は夫の言葉に多少は納得したようで、不承不承うなずいた。
「そうだろうが。さあ、ナミカゼさん。急いだ方がいい。日が暮れるまでにクセドについた方がいいだろう。最近はまたぞろ野盗どもが出るっていうからな。まああんたのハランクルクの脚なら、それほど心配することもなかろうが……」
「気をつけてくださいよ。最近じゃ野盗以外にもなんとか教とかってのがうろついているらしいからね」
「ああ。そっちもな」
 操縦席に乗り込みながらナミカゼは答えた。膝を落とした降着姿勢をとっても、彼のハランクルクの操縦席はよじ登るほどの高さになる。これも、使い勝手優先のスゥサとしては珍しいが、ナミカゼは脚力のある機体だから、というふうに説明をする。もう50には手が届いているはずだが、その動作はきびきびとして危ういところがなかった。
「なあに。いざとなればあれが火を噴くってもんだ。あいつがあればカイラーナが襲ってきたって大丈夫だ。それこそ〈帝国の盾〉でも来ない限りはな」
 夫は背後の家を手で示した。玄関の手前には石積みの陣地が作られ、そこから防水帆布をかけられた長い柱状のものが横水平に突き出ている。砲身だ。
 軍用の野砲を据えつけてあるのだ。
 民間の、それも農夫がこんなものを持っているのは、帝国法では違法のはずだが、帝国軍の保護の及ばないこのあたりでは、どこの農家でもだいたい似たようなものを持っている。いざ危機が迫ったとき、簡単には助けを呼べない、家と家、村と村の距離が離れている辺境では当然の備えなのだ。
 ナミカゼは駆動鋼に火を入れると、ハランクルクを立ち上がらせた。
「気をつけてなあ!」
 声をかける夫婦に手を振りナミカゼはハランクルクを発進させた。
 そして右手を見つめて小さくつぶやく。機械換装されたその手は、かたちこそ生身の手によく似ていたものの、関節の構造も剥き出しの金属製だ。
「大丈夫さ、〈帝国の盾〉はもうないんだから」

 農夫は急速暗くなっていく夕方の日差しの中、もう黒い影絵にしか見えないハランクルクを見送った。
「それにしても、変わったハランクルクだよなあ」

【03:盗賊たちのあてはずれ】
「こんな時間に1機だけとは、不用心な運送屋がいるぜ。俺たちの獲物にしてくれと言わんばかりじゃないか」
 操縦席から身を乗り出して双眼鏡を目に当てながらマッズイは笑みを浮かべた。当人は歴戦のさむらいのにがみばしった笑みだと思っているが、周囲の意見はそうでもない。
「マッズイ、その笑い方は気持ち悪いって言ってるだろ」
 となりのハランクルクの操縦席で制御盤に脚を投げ出してだらしない座り方をしているミトケーは言った。マッズイと組んでこの盗賊稼業を始めてもう3年になる仲間だ。
 ふたりともふたりともかなり使い込まれたスゥサに乗っている。踏破能力が自慢のテグというタイプだ。
「まあ、俺たちじゃあとてもキャラバンを相手になんかできませんからねえ」
 ふたりより少し若い――まだ少年と呼べる年齢だ――ムムットが、操縦桿に寄りかかった姿勢で言う。彼が乗っているハランクルクはマッズイやミトケーの乗っているものより一回り大きい。コワーと呼ばれる機種だ。大きさがある分パワーもあって、運送業者などでよく使われている。そしてその背部の荷台の上には似つかわしくない大きな砲が載せられていた。砲身の長さだけで1カイ以上ある砲は、まっすぐ前を向けては積めなかったとみえ、機体とは直角の横向きに設置されている。
「うるせえぞっ、ムムット!」
「す、すんません。マッズイの兄貴」
「おぼえとけ、ムムット。人間ってのは本当のことを言われるとむかっとくるものなんだよ」
「なるほど。そうですねミトケーの兄貴」
「言ってねえで仕事にかかれっ。獲物に逃げられるぞっ」
 拳を振り回すマッズイの隣を、2機のハランクルクがもう歩き出している。
「そうですよ。急いでください、マッズイの兄貴」
「おいこらっ、置いていくなっ」
 マッズイは慌てて駆動鋼を起動した。

 金属的な風切り音が聞こえたかと思うと、いきなり前方の地面が爆発した。
「砲撃。12カタムか? はずれた? それともはずしたのか?」
 ハランクルクを急停止させたナミカゼは周囲を見た。噴き上げられた土砂が操縦席の窓にぶち当たる。
「次弾がくるか。いや、それはないな。だったら……」
 ナミカゼは再びハランクルクを前進させた。いまの砲撃で大きな穴が開いた方へ向かってだ。
「俺に……戦わせるな」

 その反応を見たマッズイは慌てた。
「なんでそうなるんだよ! 逆に逃げろよ!」
「でなきゃ、その場で隠れるとかするだろう、ふつう!」
 ミトケーも叫ぶ。ナミカゼの反応は彼らにとっては意外なものだったようだ。
 後方からムムットに砲撃をさせ、その爆発で驚いて逃げ出したところをマッズイとミトケーで追いつめる。それが盗賊を営む彼らのいつものやり口だったのだが。
 今日の獲物は、そういう彼らのもくろみをすっかり読んでいるかのように、目の前で起きた爆発をものともせずに、その煙の中を突っ切ってすごい速度で走っていく。
「くそっ、追うぞ! 荷物を満載したスゥサだ、すぐ追いつける!」
 マッズイは叫んでハランクルクを走らせた。ミトケーもそれに続いた。
 しかし今度もマッズイたちのもくろみはあっさりと覆された。
「なんて速さだよ。追いつけねえ……」
 砲撃を避ける為なのか、じぐざぐに向きを変えながら走るナミカゼのハランクルクは、しかしそのあとをまっすぐに追いかけるマッズイとミトケーのハランクルクよりも断然速く、どんどん距離が離れていく。
「くそっ、ムムット、もう一発だ! もう一発撃て! 奴の脚を止めろ!」
 マッズイは無線機にむかって叫んだが、答えは否定的だ。
「まだ装填終わってないよ! それにここからじゃ兄貴たちに当たっちまうかも!」
「くそうっ! ああーーっ、もう見えなくなる……っ」
 起伏の激しい丘の間に見え隠れしていたハランクルクがついに見えなくなった。
 マッズイはなおもしばらくハランクルクを走らせていたが、ミトケーがついてきていないのに気づいてハランクルクを止めた。
「無理だよ。追いつけねえ。これ以上は動素管の無駄だ」
 無線機からミトケーの声。
「くそっ、ありゃいったい何者だ? あんな速度は反則だろっ」

 もう追跡がないことを確認して、ようやくナミカゼはハランクルクの速度をゆるめた。
「やはり盗賊どもだったかな」
 いきなり砲撃で目標を破壊しようとするのは軍隊だけだ。あるいは個人的な怨恨か。
 砲撃は、狙い撃ちしたにしては着弾点が遠かったし、盲撃ちにしては、次弾がこない。おそらくはわざと「当たらないように撃った」のだ。
 砲撃がわざとはずされた、ということなら、撃ったのは盗賊だと見当をつけたのだ。だいたいこのへんに軍隊が展開しているという話は聞かないし、そもそも軍隊がいまのナミカゼを狙って攻撃を仕掛けるという事自体が不自然だ。怨恨の線は、考えても仕方がない。だから、盗賊だと判断する。
 相手が盗賊だとするなら、砲撃の目的は、狙った獲物の牽制。おびえて逃げ出したところを、仲間が待ちかまえているという寸法だ。
 そこまで考えたナミカゼはあえて着弾点を突っ切って走り出したのだった。
「脚でこいつに追いつけるハランクルクはそうはいないだろうからな。……さて、ずいぶん遠回りになってしまったぞ」
 盗賊から逃れるために、クセドの街とは反対方向にだいぶ走ってしまった。もう日はすっかり沈んで、夜の帳が丘陵地帯を覆っている。ナミカゼは照明を灯すと、ハランクルクをクセドの方へと向かわせた。

【04:〈銀鯰〉、ハランクルク乗りの酒場】
 〈銀鯰〉。クセドにある酒場。酒場と言っても、「酒も飲める食堂」といった趣の店だ。
 名物は値段の割にはボリュームがあり、種類も豊富な腸詰め。
 そしてこの店にはもうひとつ特徴がある。
 ハランクルク乗りが多く集まることだ。
 この世にハランクルク乗りは多い……というよりも、ほとんどの人間は一人前になる前にはハランクルクの操縦を身につけるのが普通だ。
 だが、だからといってハランクルクに乗ることそのものを生業にしている者ばかりではない。
 クセドほどの都市ともなると、職場に行くのに徒歩でじゅうぶん、というところに多くの人が住んでいるから移動手段としてのハランクルクは必ずしも必要ない(あっても乗り合いの大型スゥサが運行している)。まして作業機械として、となるといっそう必要がなくなる。
 そんなわけで、都市を中心に普段はハランクルクに縁のない層というものが生まれる。
 一方、ハランクルクなしでは生活がたちゆかないひとびとももちろん多い。
 土木作業に従事する者、農業を営む者、そしてナミカゼのような運送業者。さらにはキャラバンや帝国軍の庇護のない都市(たとえばこのクセドのような街だ)を守る傭兵。もちろん軍もハランクルクなしではたちゆかない。
 そういう、ハランクルクを操ることを生業としている者を、とくにハランクルク乗りと呼ぶわけだ。そんなハランクルク乗りたちがこの〈銀鯰〉には集まってくるのである。
 その第一の理由としては、不定期に雇い主を変えることが多いハランクルク乗りは、仕事の口を得やすい場所に集まってくる、ということがある。ハランクルク乗りが集まる場所には、ハランクルク乗り向けの仕事もまた集まってくるのだ。だが、2番目の、そしていちばん大きな理由は、居心地がいいから、だろう。
 ハランクルク乗りのような人種には特有の匂いみたいなものがあって、そうでない人々のあいだにあえて混じっても居心地が悪いだけだ。いさかいにならないまでも、心休まる時間を過ごすのは難しい。客の皆が友達同士というわけではないにせよ、居心地のいい居場所を求めて〈銀鯰〉にはハランクルク乗りたちが今日も集まってくるのである。
 ナミカゼもまたそんなひとりかもしれない。
 いつも通りの注文の品である腸詰めの盛り合わせをひとつ、またひとつ口に運びながら、時折ウィシマ茶をすすっている。
「おいしい?」
 〈銀鯰〉の給仕をやっているシモネッタが気安い仕草でナミカゼの前に顔を突きだした。
「あ、ああ。うまいよ」
 やや気圧された感じで答えるナミカゼに、シモネッタは疑わしげに眉をひそめた。もう少女という歳ではないはずだが、表情に愛嬌があって可愛らしい。
「ほんとに? ナミカゼさん、いっつもおいしくなさそうな顔をしてるじゃない。ほら、また」
 ウィシマ茶をすするナミカゼにまたシモネッタが指摘する。
「そうかな。美味いけどな、これ」
「そっちじゃなくて。お茶よ、ウィシマ。いっつもおいしくなさそうに飲んでる」
 シモネッタは右手を突きつける。金属の鋭い爪がぎらりと光った。
 ナミカゼの腕と同様、シモネッタの右腕は、前腕の半分くらいから先が機械換装されている。といっても、ナミカゼの人間の手に似せたタイプとは違って、シモネッタのそれは3本の鉤状に湾曲した爪が2本と1本でものを挟み込める形式だ。器用さではもちろんナミカゼの使っているようなタイプには劣るのだが、安価で頑丈なのが売り物だ。その頑丈さは大型拳銃の弾丸だって跳ね返せるといわれるほどだが、もちろん実際には飛んでくる銃弾を腕で受けること自体がまず不可能だからあくまでも噂の範囲のことではある。
 ともかく、見た目は凶悪そのもので、傭兵や一部の運送業など強面で売っている連中ならともかく、酒場の給仕、それもうら若い女性であるシモネッタには似つかわしいとは思えない。
 だが、シモネッタ当人は気に入っているようだった。
「そもそも、うち一応酒場なんだから、お酒を飲めばいいじゃない。あたし、ナミカゼさんがお酒飲んでるとこ見たことない」
「酒は……やめたんだ。それに酔っぱらってそいつのお世話にはなりたくないからな」
 ナミカゼはシモネッタの右手を見ながら答えた。
 そのまじめ腐った口調がおかしかったのか、シモネッタは笑い出す。
「もしかして酒癖悪いんだ? そうね、もし酔っぱらったナミカゼさんがあたしのお尻に触ろうとしたら、こいつで思い切りつねってあげるわよ」
「やめてくれ。この歳になって、尻をつねられて泣き出すなんて願い下げだ。威厳もなにもあったもんじゃない」
 シモネッタはまた笑った。先日、実際にその通りの憂き目にあった酔漢のことをナミカゼが言っているのだとわかったからだ。
「これからはできるだけ美味そうに飲むことにするよ。尻は大事にしたいんだ」
 そう言ってナミカゼがカップを口に運ぼうとしたときだった。
「いらっしゃい……」
 店の扉の開いた音にシモネッタが反射的に言い掛けた言葉は途中で立ち消えた。
 ナミカゼが視線を送ると、そこにはひとりの少女が立っていた。
 背格好、とくに身体にフィットした乗衣身につけているせいで、彼女が若い娘だというのはわかったが、ほかはひどいものだった。
 全身泥と埃にまみれて、長い髪も朽ち木のようにざんばらになってしまっている。
 足下もおぼつかない様子で、一歩踏み出すたびに、いまにもその場に倒れそうに見える。
「ちょっとあんた……」
 さすがにこんな客はごめんだとシモネッタが娘の方に詰め寄りかける。と、娘が店内をぐるり見回して、それからシモネッタを見た。
「ひとを、探しています」
「え」
「帝国軍大武候、ナミカゼ様を……。こちらにナミカゼ様はいらっしゃいませんか」
「ナミカゼって……」
 シモネッタが振り返る。ナミカゼはカップをテーブルに戻して椅子から立ち上がった。
「ナミカゼっていうなら、俺がナミカゼだが……あんたは?」
「ナミカゼ大武候……! どうか、お力をお貸しください。父と、帝国のために……!」
 そこまで言ったところで、娘は力尽きたのか、その場にくずおれた。
「あんたなに言って……。ちょ……、ねえ、こんなところで死なれちゃ困るわよ! ちょっと……!」

【幕間:ケイミレライの回想】
「美しい国! 帝国による支配の時代は終わりを告げ、リガの神による支配の時代、美しい神の時代が到来するのです」
 唖然とする父、ゼキスの前でベイは歌うようにそう宣言した。
 ケイミレライもまた、その場にいて、満面の笑顔を浮かべる中年男の顔を違和感をもって見ていた。
(こんな顔をして笑う男だったろうか)
 もっと陰気で卑屈な笑みをいつも浮かべていたような気がする。父である辺境領主ゼキスの家臣団の中でも地味な男。なにかというと父に意見するノレヘントや、声の大きいコトンモトンなどの間で、あまり目立っていた記憶が無い。
 それがいまや主役然と広間の中央に立って、小銃を手にしたさむらいたちを従えている。いきなり広間に入ってきた彼らは、辺境領の政りごとを担う人々に向けてその銃口を向けたのである。
 さすがにひとかどの人物の集まりだけあって、誰も悲鳴をあげたりはしなかった。いや、あまりの出来事に自失していただけかもしれないが。
「いまこそ、帝国の支配を断ち切り、唯一の正しい支配者の元にひれ伏さねばなりません!」
「正しい支配者というのは貴公のことか、ベイ!」
 最初に我に返ったのはコトンモトンだった。持ち前のどら声でベイに食って掛かる。
「まさか。私は神の代理人のそのまた代理人に過ぎません」
「ではその神とやらを連れて来い。この辺境領は帝国の領土である! 支配権を得たければ代理人でなく本人が来るがいい!」
「この……っ、不信心者!」
「道理を言うのが不信心なら、世の知恵者は皆不信心だな。そのくらいのことは、おれの頭でもわかるぞ。信心して頭のめぐりも悪くなったのか?」
 コトンモトンは大声で笑った。その声につられて、重臣たちからも失笑が漏れる。
 だが、硬い銃声とともにその笑い声が急に途切れた。
「き……貴様……っ」
 コトンモトンが腹を抑えてその場にくずおれる。
 ベイの隣にいた男の小銃から白くかすかに煙がたなびいていた。
 銃を構えた男が言った。
「神罰だ。神の怒りを思い知るがいい」
 ケイミレライはその男の顔に浮かんだ笑みを見て恐怖した。その笑顔は、間違いなく自分がいま成した殺人を楽しんでいるとわかったからだ。
 ベイはしばらく足元に倒れ伏したコトンモトンをひきつった顔で見下ろしていたが、やがて少しかすれた声で再びしゃべりだした。
「神の権威に疑いを挟むことは許されない! かたがたは、いますぐ正道に立ち返り、正しき信仰のもと、おのが職務を果たされたい。もし神の権威に従えぬというのであれば……」

【05:姫の願い】
「ご迷惑をおかけします。着替えまで借りてしまって……」
 小さなテーブルに向かって椅子に腰掛けた少女は、まっすぐ視線をシモネッタに向けてそう言った。
 テーブルの上には使ってそのままにしてあるのだろう、化粧品の瓶がいくつかある。そのテーブルと、あとは掛け布団も寝たままの生活感あふれる寝台。窓際には洗濯物がつるしっぱなしになっていて、3人入ると窮屈な感じはいなめない。ことにナミカゼにとってはそうだったかもしれない。乱雑なその部屋はシモネッタの女を強く感じさせたからだ。
 倒れた少女を、ナミカゼは頼み込んでシモネッタの部屋に運び込んだのだ。自分の家に連れて行ったら、というシモネッタに対して「若い娘をひとりで俺の部屋なんかに」というナミカゼの答えを気に入ったらしい。ただ引き受けるにあたって「恩には着てもらうからね」とは付け加えた。
 そして、しばらくして意識を取り戻した少女に食事を与え、入浴もさせ、いまに至るというわけなのだった。
 そうして身綺麗になってみると、少女はまったく見違えた。ナミカゼも驚いたし、服や風呂を提供してくれたシモネッタにいたっては、かなり深刻な衝撃を受けているふうだった。
 それほどに少女は美しかった。シモネッタも美人といっていい方ではあるのだが、少女の美しさは抜きんでていた。その美しさは単に遺伝的な形質というばかりでなく、表情や仕草、人間の「外見」をかたちづくる基本的な部分から異なっているようで、あきらかに「育ちが違う」感じをシモネッタにも、そしてナミカゼにも与えたのだ。
 むろんいくつかの真新しい擦り傷を除いては、身体のどこかを換装した様子もない。シモネッタのような機械換装はもちろんだが、おそらくは生体換装もしていないのではないか。身体を換装するようなこととは無縁の生活を送ってきたということだ。
(しかし、そんな娘がなんであんな姿で……しかも俺の名をたずねて……)
 疑問ばかりが浮かぶナミカゼだ。
「い、いいのよ……、サイズが合ってよかったわ……」
 シモネッタはややひきつった笑顔で言う。
「はい。ありがとうございます」
 そう礼を言いながらも少女は借りたシモネッタのシャツの胸元を居心地悪そうに引っ張っている。下着は借りていないから、布地が肌を締めつける感じが気になって……多分無意識の動作なのだろう。だがシモネッタの右手ががちがちと神経質そうに鳴っているのがナミカゼは気になった。
 大事そうに背負い袋を抱えて座る少女の向かい側にナミカゼは腰掛ける。少女は座り直して、怖じる気配もなく彼をまっすぐ見つめた。
「それで……君の名は? 俺のことを知っているふうだったが」
 少女はうなずいた。
「父から話を何度も聞かされました。〈帝国の盾〉の名にもっともふさわしいさむらいだと」
「父……?」
「はい。ゼキス・カン・スドノウレが父の名です」
「ゼキス……そうか、ゼキス坊やはいまは領主に……、ゼキス・ササバは領主になったのか……」
 カンは、領主や執政官など、ある地域の支配を任された家系に与えられる称号だ。そしてそのあとにはたいてい、支配する地域の名前が続く。
 遠くなるナミカゼの顔に、少し安心した表情を浮かべる少女。そして言った。
「私は、ケイミレライ・カヌア・スドノウレと申します。ナミカゼ大武候、ぜひ我が辺境領と帝国のためにお力をお貸しください」
「力、とは。かつてはいざしらず、いまの俺は一介の運送屋にすぎ……ません。私があなたにお貸しできる力があるとは思えませんが」
「それほど難しいことではありません。私を帝都まで連れて行っていただきたいのです。大武候が運送屋だとおっしゃるのなら、私はその荷物です。私という荷物をひとつ帝都まで運んでいただきたいのです」
「そう……おっしゃられても。いったいどうして私が……」
 戸惑うナミカゼの顔に、自分が急ぎすぎたと気づいたケイミレライは息を整え、居住まいを正した。
「すみません。ちゃんとおはなししなければなりませんね。はじめからお話しします。大武候はリガ教団というのをご存じでしょうか」
 小さくうなずくナミカゼ。そして寝台に腰掛けたシモネッタも大きくうなずいた。
「ああ、きいたことあるわ。なんでも帝国より古くからある宗教だってやつでしょ。最近このへんでも見かけるようになったわよ。うちのお客ではいないみたいだけど」
 ケイミレライは続ける。
「彼らの教義は、自らの王国の再建。帝国以前に存在したという、彼らの王国を再建しようとしているのです」
「そんなのいいの?」
「当然、帝国法に反する行為です。けれど教団の信徒は日々増加し、各地で帝国からの独立を唱えては、争いを起こしているようです。中には武器を取って帝国軍と戦う者たちもいると聞きます」
「まさか、ゼキスの……いや、ご領地でそのような反乱が?」
「いいえ。そうではないのです。いっそそうであればよかったかもしれない……」
 ケイミレライの言葉に、一瞬ナミカゼの顔が険しくなる。だが、それには気づかず姫は続ける。
「反乱、といえばこれも反乱といえるのかもしれません。……反乱は静かに、私の……そしておそらくは父も気づかぬところで進んでいきました。気がついた時には手遅れだったのです。財務官ベイによって城は乗っ取られました。リガ教に改宗せぬ者はすべて捕らえられ、私はかろうじて城を脱することができましたが、父も幽閉されたと聞きました」
 そのときの様子を思い出したかのように、ケイミレライはかすかに身体を震わせた。
「ベイは即座に追っ手を差し向けましたが、どうにかここまで辿り着くことができました。大武候殿、私は父の命を受けて、この反乱を帝国に届け出て、帝国軍の出動を仰ぐつもりなのです。父は大武候殿が必ず力になってくれるから、助力を乞うがいいと申しておりました。どうか、お力をお貸しください。ベイの放った追っ手は遠からず私がこの街にたどり着いたことに気づくでしょう。急いででかけねばならないのです」
「待ってくれ……。待ってくれ……姫」
「大武候……?」
「その話は……請けられない。俺には無理だ。ほかを当たってくれ」
 ナミカゼの答えにケイミレライは呆然と言葉を失った。まさか断られるとは思っていなかったのだ。
「な……なぜですか。リガ教徒は帝国の敵なんですよ。スドノウレを乗っ取ったように、ほかの国も……はやく滅ぼさなければ帝国は……」
「帝国、帝国、帝国……。なるほど、そのリガ教徒とやらが自分たちの王国を立てれば、帝国は滅びるかもしれない。だが、それを防ぐために帝国軍を動かせばどうなる」
「どうなるって……、それは戦いに……」
「そうだ、戦いだ。戦いになればひとが死ぬ。敵味方の兵士だけじゃない。大勢のひとが死ぬんだ。男も女も。大人も子供も……っ」
「では大武候は、このままスドノウレをリガ教徒の手に渡せとおっしゃるんですか! 私の国をっ!」
「私の国、か。貴族はいつもそうだ。なんでもかんでも自分のものみたいに考える。だけど、そこに住んでいる人間はひとりひとり生きているんだよ。持ち主が変わったって、幸せに生きられれるならそれが誰だってかまいやしない」
「そんな……っ。大武候には! 帝国軍人としての誇りはないのですか!」
「そんなものは大昔に捨てた! 俺に、俺にもう戦わせるな……!」
 激して立ち上がりかけたケイミレライは、ナミカゼの言葉にうちのめされたように椅子に腰を落とした。
「そんな……では私はいったいなんのために…………」
 うつむいてつぶやくケイミレライに、ナミカゼはなにか声をかけようとして、結局なにも言わないまま椅子から立ち上がり、そのまま部屋を出た。
 2階にある玄関をでて、安普請の階段を下りたところでシモネッタが追いついてきた。
「今夜のとことはあたしがあずかるけどさ。いいの?」
「いいも悪いも……。あんたには迷惑をかけるが、宿賃はあとで俺に請求してくれ。それでできたら、姫がいいというまでいさせてやってくれ」
「ナミカゼさん……」
 シモネッタはまだなにか言いたげだったが、ナミカゼはそれを振り払うように背を向けて夜の街に歩き去った。

つづく

【次回予告】
 『ハランクルク 帝国の盾と辺境領の姫』、第1話、次回。
 ナミカゼに裏切られたと感じたケイミレライは、ひとり旅立つことを決意する。
 が、その行く手にはガンの凶悪な罠が待ちかまえていた。
 はたして救援の手は間に合うのか。
 失われた〈帝国の盾〉がいま復活する。

【あとがき1-1A】
 あとがきであります。
 ずっとメカアクションものを書きたいなあと思っていましたが、どうにかこうにか、手探りながら書き始めました。
 ところであとがきのあとの「1-1A」というのは、「第1話の第1回分のあとがきAパート」という意味で、つまりBパートもあるんですね。
 あとで書きますが、Bパートは100円ちゃりんしてくださったひとだけが読めるようになってます。

 そんでもって……いかがでしたでしょうかね。
 できるだけ主役である(!)ハランクルクを登場させようとがんばったんですが……まだ足りないかも。こっから先はさらにハランクルクが大活躍しますので、ご期待ください。
 そして読んでくれたあなたにいくつかお願いです。
「感想ください」
 作家はお金と感想で生きてます。なので「自分がなにも言わなくても……」と思わずにひとことでも感想ください。あ、「死ね」とか「ツマンネ」とかそういうのはノーサンキューです。それはそれで死にます。
「告知にご協力を」
 noteの最大の弱点である告知システムの欠如。これをおぎなうために、ツイッターとかフェイスブックとかそのへんで「こんなの書いてるやつがいるよ」って知らせてやってくださいませ。私がついったーでつぶやいている告知のRTでも結構です。とにかく書き始めた以上はひとりでも多くの人に読んでほしいのです。
「ちゃりんしてください」
 先にも書きましたが、作家はお金と感想で生きています。
 1日に5人のひとがこのおはなしにちゃりんしてくれれば、おはなしを書くのに使ったファミレスのお茶代が払えます。誰もちゃりんしてくれなければ、作家に書く気があってもおはなしを書くことができないのです。

 ではまた次の第1話、第2回でお会いしましょう(あんまり反応なくて書いてる本人がくじけなければ)。
 次回は、冒頭部分のみ無料公開で、全文は課金(300円予定)でやってみようと思います……が、実際どうするかは、今回100円ちゃりんしてくれたひとの意見も聞きたいところです。

 さて。あとがきBでは、このおはなしの世界設定で、今の段階で知っていると本編が少し楽しくなる(はず)の部分を掲載しています。
 基本、本編だけ読めばおはなしは楽しんでもらえるようにしていますので、知らなくてもいいですが、ほら、裏設定とかって知ってると富野アニメみたいで楽しいじゃないですか。設定では「ハランクルクってなんなのよ」とか、この世界のすごい基本的なところも解説してますが……まあ、普通に読む分には「モビルスーツじゃなくてハランクルクなのね」くらいに思ってもらえばいいかな。
 またBパートには、ちゃりんしてくれたひとの特別権利として、今後のこのおはなしの展開に参加してもらうようにしました。
 いくつかの選択肢を選んで、この先ナミカゼやケイミレライがどうなるのか、投票してもらおうというものです。その結果によっては私が当初書こう思っていた結末と違う展開になっていくかもしれません。

 では(ちゃりんしてないみなさんとは)このへんで。また次回。
※第2回アップされました! こちらからどうぞ!
※第1回の読者参加企画の募集は終了しています。参加してくれたひと感謝! です。

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