2023年を振り返り 株式会社タベテク

みなさん、こんにちは。タベテクの田苗(たなえ)です。noteに書くのは
1年ぶりになりますが、ある人の投稿を読みまして、私も今年1年を振り返ってみようと思いました。

昨年は、ある意味事業が継続するか、ダメになるか、修羅場の年になりましたが、もう全速力で自転車漕ぎまくっていたら、知らないうちに目の前がパァーと明るくなって、年を越しました。いわゆる「ハードシングス」を経験し、自分の力(というか、他人の力)で何とか乗り越えられたことで、自信になりましたし、支えてくださった皆様に感謝の言葉しかなく、その方々を裏切らないためにも、自分の想いを絶対に実現させようと思っています。

2023年1月、2022年2月にロシアウクライナ侵攻で延期となってしまった、
トルコ柑橘での実証実験を今年の1月に始めることになりました。トルコでの装置設置は電圧の違いなどで苦戦しましまい、複数台設置予定を急遽、
1台に変更することになります。このとっさの判断が、どれほど後に影響を与えることになります。

試験開始から2週間後の2月6日私が実証実験をやっていた、トルコ南部を震源地とする大地震が発生したのです。私がニュースで知ったのは、数人の人が亡くなったという内容のものでしたが、それまでにトルコを3回渡航しており、現地の建物事情など良く知っていた為、これはただ事ではないだろうと直ぐにわかりました。トルコ・シリア地震 - Wikipedia

やっとトルコで実現した実証実験でしたが、5万人以上の方が倒壊した建物の下敷きになり亡くなられ、ショックと、これは実証実験どころではなくなった、その先が全く考えられなくなりました。というのも、トルコ人で私のトルコ渡航にいつも同行してくださっていた方は、地震関連の仕事をやっていた事を知っており、こうした大地震が発生したことで、私の仕事に関わってくださることもきっとないだろう、そう思ったからです。

ところが、大地震から数日後、トルコ人の方から連絡がありました。
私はトルコが大変な事態になっているから、私の事業はもう良いので、そちらの支援をしてください。という趣旨の返信をしました。すると、「地震関連の仕事はしません、田苗さんの仕事をします」という返信があり、仰天しました。ただ、もしかして、短期的なその場しのぎの地震関連の仕事を受けるよりも、長期的に私の仕事に関わっていきたいという趣旨なのかな?と聞いてみたら、まさにその通りで、お仕事で大変お世話になっている彼は、
素晴らしい感性の持ち主だ、とその時気づきました。今では、これからも一緒に仕事をやっていく、彼無しには絶対に事業の成功はあり得ないと思うほどの私のとても大切な仲間です。

それはさておき、もう、トルコでの実証実験など、諦めていた3月上旬、現地から2枚の写真が私のスマホに送られてきました。なんと、実証実験をやっていた倉庫は被災せず、停電もせず稼働し続けているというのです。


トルコ柑橘での実証実験の様子 試験開始2か月後

しかも、みかんにカビ一つない鮮度が保たれている状態です。私はこの写真を見た瞬間に、長年の経験から2か月この状態の柑橘が3か月後に腐ることはなく、私は実証実験の成功を確信し、3か月の常温保存試験の継続と、実験評価の為に、4月渡航を決断しました。

被災地に行けるかどうかもわからない中、私はトルコに渡航しました。トルコ被災地から約300キロ離れたメルシンに向かいました。現地について、わずか1週間前に民間人が通ることの出来る道路が開通したと聞きました。

私は現地のコーティネーターとその上司、いつも同行してくださっているトルコ人と4人で早朝から現地に向かいます。被災地から100キロ手前から、地震で倒壊した建物、窓枠がない建物が目立つようになってきました。盗難で窓枠まで盗まれているようです。トルコで大変お世話になっている青果物輸出企業さんの近くにたどり着いた時、トラック渋滞に巻き込まれました。

ちょうど、5月の大統領選の1か月前で、エルドアン政権が選挙で勝つために、全力で建物の撤去をしている最中でした。実は、渡航前「死臭がする」と聞いていて、内心恐ろしくてたまりませんでしたが、中心市街地のビル群は地震から3か月後に全て撤去され、更地になっていました。

私は熊本地震の3か月後も見ましたが、そんなこと、絶対にあり得ないほど、綺麗に更地になっていて、まだ行方不明者も多数いるといっているのに、一体、行方不明者はどこに行ってしまったのだろう?、と感じました。

現地の青果物輸出企業に到着した際、最初に見た光景がこちらです。

2024年4月17日


この社屋は耐震工事の為、2022年から工事に入っており、私が訪れた2023年1月には完成直前でした。それが、見るも無残な姿でショックでたまりませんでした。現地につくと、誰も笑顔はなく、表情は暗く、招かれた昼食も、言葉もなく、お葬式のようになってしまいました。ただ、この企業、当初は加工工場は被災した救援物資の物流倉庫になっていると聞いていたのですが、青果物を取り扱っているため、地震から3週間後には仮復旧で稼働始めたらしいのです。しかも、引退していた会長さんが陣頭指揮をとって、現場をまわしていました。その会長さんの言葉が凄くって「絶対、自分たちの力で立ち直って見せる」私はその言葉を聞いた瞬間、この会社の少しの部分でもいいので、応援したい、関わっていきたい、貢献したい。と思いました。その気持ちは今でも決して揺らぐこともありません。

その後、実証実験の現場に向かいました。現場に入った瞬間、私の見立て通り、実証実験は大成功でした。一緒に同行した現地コーティネーターの上司が、結果に驚き「直ぐに国に報告しないと」というほどの成功でした。
見た目もそうなのですが、味も全く劣化しておらず、次の日にアンカラ大学の農作物貯蔵専門の教授が来られ、「信じられない」ということになり、実験サンプルを分析頂くことになりました。結果、定量的な分析が行われ、弊社装置が及ぼす鮮度保持効果について、科学的証明がされ明らかにすることができました。

私は、被災地の地獄と、実証実験の大成功を1日で経験する事になり、4月17日というのは、言葉では表せない、何とも言えないもやっとした気持ちを味わいました。もう、一生こんな経験はできないと思います。

それから日本に帰国し、トルコでの実証実験の大成功は、色んな所に波及していきます。先ず、トルコ日本大使館に招かれることになり、全面的支援を受けることになりました。9月にはイスタンブールで元西村経済大臣、トルコ日本大使、トルコ日本総領事が出席の意見交換会に招かれることになり、
私のトルコでの経験をお話しさせてもらう機会を得ました。

9月5日 イスタンブールで開催された意見交換会に出席

11月には「経済界」という雑誌に今までのトルコでの活動について取り上げて頂くことが実現しました。

私は今年の1月にトルコで着想したアイデアを形にすべく、九州の産学連携プロジェクトチームで装置開発を始めました。私のハードシングスを救っていただいた支援者の人と、トルコ向けの装置は何としてでも年内に完成させる、と約束をしました。一方で、プロジェクトチームも被災地域の支援をしたいという気持ちが一つになって、ものすごい力になり、装置は今月完成しました。新しい装置にみかんを入れて、2週間後に効果を確認する事が出来ました。

知財の事などがあり、公にできるのはまだ先のことかと思いますが、新しい装置は倉庫ではない、屋外で稼働試験に成功しています。プラズマを閉鎖された空間ではなく、屋外(屋根はありますが)で稼働させたのは、おそらく
私たちが世界で初めてではないかと考えています。長年の経験から、ある仮説を持って、装置開発に挑みました。今回の事業の成果は、今後の私たちの事業を大きく飛躍させるであろうと確信しております。

こうして、あれよあれよと怒涛の1年でしたが、何となーく始まったチームに次々と新しいメンバーが加わり、ハチャメチャ起業から、事業者への転換点に差し掛かっています。私たちのゴールは資金調達でも、IPOでもなく、装置を冷蔵施設の乏しい途上国に拡げていく事です。当初の気持ちを忘れるこもなく、これからも続けていけたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました! 

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