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春が始まる。

春が始まる。

私は私の大好きな植物園に向かった。
行きたくなるのはいつも突然。なんとなく、植物に「会いたくなる」
大体、自分の中で「大事な時」に伺ってる。

お仕事をしていると…
特に自分が今後、今までとは違う事をしたくなったり、流れが変わってきてステージが変わる時。わかっていてもついつい自分の軸がブレたり外を見て内側を見ることが難しくなったりしませんか?

欲に駆られるということではなく、

知らない事、自分が無知だと思い知る局面があったりなかったり。

(そもそも知らなくても人にお願いすると良い事を悪い事とか申し訳なく感じて足掻いてみたり。)

植物たちは私に損得や見栄、
意地を張らせない。
そのままの自分にしてくれる。
そして自分の内面に眼を向けてくれる。


春、夏、秋、冬。植物はいつも違う表情を見せてくれる。何一つ同じがない。

去年の春に訪れた時は打ち合わせがてら。
入り口に入った途端に整理が出来なかった内側が音を立てて整頓された。
出口から観る外側は満開の桜が美しく
異次元とすら感じた。
秋に訪れた時は枯葉しか見えなかった場所に
今年は小さな可愛い蕗があった。
田舎には庭に当たり前に蕗があり、
子供だけど、食べれる事を知っていたので取って母に蕗煮を作ってもらった。
山菜取りが趣味だった父のおかげで山菜の下処理を沢山手伝った。

「ここを包丁でピッと割いて筋を取るの。」そんな話をしながら、
大地と大きく小さく力強くそこにいる生命に触れた。
私たちはよりシンプルでいる事で自分を見つめられるはずなのに
ついつい、色んなモノを背負ったり身につけようとする。
足して足して足して足して、引く事を忘れる。
私の仕事もそう。注意しないといけない。
外ばかり見るんじゃなくて外に惑わされないように内側を見る。

五感を整えるには情報を入れない。

という記事を昔チラッと見た記憶があるけれど、本当にそう。

いつ、いかなる時もその部分は普遍だと思う。

自分がブレてきたなーと感じたら、さっさと認めて自然に触れる。
余計な事を考えずに興味のあることだけに動いた子供の頃に触れた植物に頼る。
視点が変わるだけで見えてないものが沢山見える。

私の手は大きくて肉厚で手が長い。この仕事についたからこそ生かされたけれど、
思春期は華奢で長くて女性らしい指輪が似合う手に憧れた。手が綺麗な人は未だに目で追ってしまう。

コンプレックスというほどではないけれど、
子供の頃の蕗の話をしてる時の
この手が自分では思ってもないほど、優しく植物に触れている。
宝物を愛でる様に触れているその手が
綺麗と思った。とても嬉しい。とても優しい。
私の仕事は情報を沢山届けることでも情報を集め続けることでもない。
その人その人に優しく触れる事。
その為に私が私に優しくする。


私の大きくて肉厚のこの手でこれから
伝えられる事が少しだけ見つけた気がする。

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