コメントでミソジニーを証明してますがな「夫の扶養からぬけ出したい」

ラノベ愛好者の男がひたすら「ぼくのちんをなでなでしてくれる美少女で脳みそ溶かしたい~」と萌えロリ絵で脳みそオナっているのに対し、
「私もよく電子まんがは読むよ」という(前の投稿とは別の)別の女性の知人たちが何を読んでるかといえば「夫の扶養から抜け出したい」というエッセイ「風」漫画だった。

本当に実体験でエッセイのか創作なのかはそこまで調べる熱意がないから知らないが、無料分5話まで読んでみたところ、
結婚が他人事ですむ自分から見たら読むだけで息が詰まるような世界だった。

めっちゃシビアー大変そう。でも一応夫の気持ちも書き込んでいるんだな。
一応バランスをとろうとはしてるじゃん。

これは「どんなにもともとはそこそこ人間が普通な男でも
この社会システムの中にいると自然に俺様モラハラ、ミソジニー男に成形されてしまう、そういうふうに社会と既存の文化の形ができている」という話だな、と思った。
思ったが。

そこに適応して生きていてその生き方を肯定している、または肯定してもらいたい、もしくはそれで特や楽をしている側からすると「この社会は過酷だ!」と叫ぶことは自分たちへの否定や反逆と思うらしい。

本にもなったというのでネットのレビューをみてみたら
「被害者意識の強い女がわめいてるだけ」「男を悪者にしたいだけ」「この社会は実は見方をかえれば女尊男卑でもあるんだ」というキレて口から泡飛ばしてる男の長文の罵りがわんさと「もっとも共感されたコメント」として上位にきてる。

「主婦だけどうちはこんなんじゃないしー」というのもあるけどね。本当に女からのコメントかどうか、女のなりすましで女の主張の正当化をくじこうという男があまりに多いからわからんね草。

てか、性犯罪やちんよし絵を公共の場でおっぴろげ炎上の件でもそうだが、キレて自己弁護・女叩きに駆けつけて口から泡飛ばしてるザマそのものが自分が本当は後ろめたくて褒められたことしてないと意識下ではわかってることを証明してるが。

「また女視点で男を悪魔のように描いている漫画だ」っていうが、そんなん「いじめ加害者がいじめ被害者の訴えを読んで『まるで俺を悪魔のようにかいている!ぼくはいじめた意識なんてないのに!』」というのと同じだ。

今まで自由に個人が発信する方法が少なくて、そうでなくなったら女性たちが個人の内面を発信するようになったらこれだけたくさん言われだしたということは「自分たちはその意識がないが、やってきたことが相手にはこういうダメージを与えた、相手から見たらこういうことをしていたのだ」ということ、それを素直に「他人の視点に立って」思うことができないんだね。

なんでそれをしないかというと「女は俺より立場が格下の生き物だから」と思っていて、その価値観に従って行動してきたことを自分では本当はわかってるからだ。
いじめ加害者が被害者にそう思ってるから「相手と同じ目線にたってみて」反省などしないのと同じ。でもいじめてることは本当は自分でわかってるので、本当のことを向こう側から暴かれたら逆ギレして否定するしかない。

それに「女は共感脳w」とバカにするYたちには共感力がないってことだからね。

というか漫画という形で相手側から自分のやってることを見せられると「悪魔のように感じる」ということは、漫画の力がちゃんとあったってことだね。

主人公の感じたことを読者も感じるから、だから居心地の悪さを感じる。
相手にとってはこうだったとわからせられるから、突きつけられるから、だからこそ逆ギレして長文否定コメントをアマゾンとかに書き出す。

まあどっちにせよ日本はこのザマじゃ闇。コメントがそれを証明してる。草。

とにかく女子は勉強したりスキルや発想をつけるべく脳みそ磨いたほうが絶対に吉だね。

自力でいつでもどこまでもどの国でも好きに生きられる。その力をつけることに時間使わなきゃ。


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