自尊心のあげ方いろいろ「男尊女子」

負け犬の遠吠えの酒井さんの本で「男尊女子」というのがある。

これまであまり「一般的な感性をした女性」とはリアルでは深くつきあいがなかったので、初めて読んだときはそこまでピンときていなかったが、言い得て便利な造語だったなと今は思う。

例えば女性からの悲鳴に「うちはそんなんじゃないから社会を変えなくていいと思う、私はうまく稼ぎがあってそこそこ操縦できる夫を手に入れて妻としてもうまくやってみせてるし」という女性からの書き込みとか、娘が困ってても「あなたがもっと旦那をうまく転がさないから」という母親のことを聞いたりなどした時。

また、本の中にもあるように「男尊女卑な文化の土地での結婚生活たいへんだね?」と言われると「でも裏ではこっちが強いんで…あいつらあたしたちがいないとなんもできないし」と複雑な顔をしながらそれでしのぐ人を大勢みたとき。男政治家やおっさん権力者の喜びそうなことを腹話術人形のように言う男尊女卑女性とりまきや有名人らをみたとき。

ちんよしロリペド萌エロアイコンに自らなりたがるアイドルももちろんいる。少なくない数。

彼女らの自尊心は「この世界で、男(男社会)の中でどれだけ自分は彼らに価値ある存在と認めてもらえているか、その社会の中でうまくはまって社会を回せる合格品であるか」に依拠している。

それらを拒否して自分の意思や安全を貫きたい、そこに自尊心を置く女性とは意見が異なる場面もある。

ともすれば自尊心点取りアゲアゲゲームに参加させられてしまうこの社会で、もしくはそのゲームに負けたものや自尊心を削られたものが参加する自尊心削り取りゲームに参加してしまうこの社会で、
どこにどうやって自尊心を依拠するのかは人それぞれなのだね。生育史が大きく影響しているだろうが。

ただし、その自尊心はひとえに「他人からの評価」に依っているので裏切られるのもカンタンだし、常に他人からの評価がなくならないように怯えていなければいけない。
その評価基準にそぐい、嫌なこともかいくぐり、耐え、別に本心でしたくない努力もして、時には「私はこれが本当にしたいからしてる」と自己欺瞞さえして。

その人がそういう生き方をするのは別に自由だがそういう生き方をしたくないからこうしてる、といった時、「私を否定された」と思ったのか怒る人がいる。その鬱屈とした怒りのエネルギーをえんえん聞いてあげているとやはり、本当に本当には大変なんじゃん…と思い、こちらも疲れ果てる。

ぶっちゃけてたとえればブルーリボン賞をつけられた生き物がそれを誇るのとそんなリボンで自分を評価するような仕組みそのものを拒否する生物。相容れない。
その仕組みによって自尊心をたてていればその仕組みを否定されることは、まあ自尊心や生き方そのものを攻撃されたと感じるのかもしれず。

(くだんの本に出てくるような「男尊女卑が強い土地で嫁をやっている人」や、
「男尊女卑な彼だけど結婚しても、やっているように見せてうまく料理とか手を抜けばいい、だって彼レトルトとレストランの味の違いもわかってないから」というような戦略の女子とか、
については、ブルーリボンを好きで貰おうとしてるというより、
「一見、蔑視システムに従っているように見せているだけで、実は裏ではそうじゃないから。社会に表立って波をたててあらがっても消耗するだけで、自分にはそんな体力気力はないし、お互い傷つけて疲れて争ってもそれでここで女が取れるものといったらどのくらいのもの?だから迎合してみせて実をとるのが、現状で自分ができる最適解でよりよい生きのび方だ」という生存戦略なんだろう。)

支配的側と共存しなくてはいけない世界にどうしても生きていかなくてはならないなら、そういう生存戦略をとる個体がいるのも普通にあることだ。どこでも。人種間の相克にだってよくみられることだしね。

しかし、男尊女子という言葉を知って今までよりはっきりとそのなりたちと付き合い方を自分なりに整理できた。今回はそういう話。

まあもっと大きな枠でいえば他人や社会が自分につける点数によって自分を評価し、自己承認するという生き方は男女問わずやってる人多いんだろうけど。

これはミソYが喜んでとなえる「女の敵は女」という呪文とは違う話だ。
ようするに「女の敵は女」にしているのも支配的社会をやめたくない支配側であるということ。
気に入った奴隷の一部を優遇して他の奴隷を管理したりしつけることに使おうとする奴隷支配システムがあって、そうやったとしても、「奴隷の敵は(生まれつき)奴隷だからそうなるんだ」とはならんように。奴隷システムがなくなればいいだけだ。

支配側としては自分のつける点数に自尊心を依存してくれる側と、自分たちの支配システム文化に反抗し、なくそうとする側がいたら両者をけしかけあわせて戦わせたらそら楽しくて喜ぶ。楽だしね。

それが「女の敵は女wたのしー」であり「独立したい派はうまく男社会レギュレーションに合格してる女に嫉妬してるだけなんだよ。だからぼくちゃんたちのレギュレーションに従って僕たちを満足させるイキモノになれば幸せになれるのにね
(たとえポーズでも彼らは妻が男社会のレギュレーションに従って振るまってくれて周りのことを回してくれさえすればいいのだ。内心どうだろうと、実は女が強かろうと、彼らはむしろ喜んで家では妻が強いんですなどど言う。家事育児介護を妻がやり…という男社会レギュレーションには従ってるのだからなんの不満もないし、家では妻が強い=大人で僕は家では子供のポジションで世話してもらう、というスタンスが楽なのだから)」なのだ。

でも「夫の扶養から抜け出したい」にかかれている夫の状況のようにそういうミソYもしょせんは誰かの奴隷である。

この社会のヒエラルキーでは99%は自分より上がいて誰かには自分のことを決められている。大・中くらいの奴隷が自分より下の奴隷に命令することで支配されるストレスに耐えて生きている。

底辺の奴隷にも「女」という乳母が与えられて支配されて生きているストレスをごまかし癒やしながら耐えて生きさせられることになっている。

今のとこな。

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