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はじめまして

初めまして、たな と申します。

不妊治療で授かった娘を34週で失った天使ママの一人です。
この度、天使ママアンケートの結果公開のために、
noteを作成することにしました。

長くなりますが、私の不妊治療からいままでの話をさせて下さい。


名前:たな
年齢:30代
所在:中国地方
職業:パート
家族:夫、ぽん(ポメラニアン)、お空に帰った娘、こま(マルプー※娘出産後に迎えた子です)

軽い気持ちで不妊治療

大学を卒業後、何の夢もなく普通に一般企業に就職をして、
3年ほど付き合った今の夫に圧をかけまくって入社5年で寿退社。

結婚してすぐに生理不順を直すために婦人科に通い始めた。
たまたま不妊治療をしているクリニックだったため、軽い気持ちで「妊娠を希望します」の欄にチェックを入れた。

当時私はまだ27歳で、自分がこれから体外受精を行い、我が子を亡くす経験をするなんて夢にも思ってもなかった。

様々な検査やタイミング法を続けて1年経過。
無排卵の上、薬での排卵調整が難しく、タイミング法がなかなか上手くいかなかった。
「簡単に授かれるわけないよね!」と楽観的な私はあまり気にしてなかった。

その後、主治医の提案で人工授精を飛ばして体外受精を行うことに。
まさか自分が体外受精をするなんて思ってもいなくて、不妊治療開始してから初めて泣いた。

無事1度の移植で受精し、そのまま心拍まで確認が取れた。
嬉しいよりも驚きの方が大きかったと思う。

楽観的な私は妊娠陽性がでたら何の問題もなくみんな元気に生まれてくるものなのだと本当に信じていた。
流産や死産という言葉を知ってはいるけれど、自分には関係のないものだと思っていた。

そのまま22週まで何の疑いもなく赤ちゃん用品を探してみたり、
戌の日のお参りにいったり、日々大きくなる我が子をみて幸せしかなかった。
女の子だったらこんなのがいいな。
男の子だったらこんなことしたいな。
名前はどんなのがいいかな。
本当に毎日がすごく楽しい。

22週1日の検診の日

長い待ち時間を経てやっと呼ばれた診察室。
いつも饒舌な主治医が無言でエコーを見ていた。
「何か良くないんだな」とすぐにわかった。

やっと口を開いた主治医から出た言葉は
「羊水が極端に少ない、ここでは細かいことは分からないから大きな病院に紹介状を書くのですぐに行って」
という私の中で消化できない言葉でした。
それでも私は「今の医学なら大丈夫!なんとかなるだろう!」とまだ希望を持っていた。

その後、もともと1週間後に大きな病院での検査だったはずが、翌日すぐに電話がきて、「今すぐ来てください」と言われた。
すぐ見てもらえる安心感と共に、「そんなに急ぐの?」という不安もあった。
病院に向かい、検査をしてもらうと、
「明らかに羊水が少ない。今は赤ちゃんが小さすぎて細かいことは分からないから、また数週間後に確認させてほしい」とのこと。
次の検査まで本当に地獄のようだった。

2回目の検査の日。
長い長いエコーの後、夫と医師の話を聞いた。
良くない話なのは察していたが、想像を超えてきた。

おそらく「ポッター症候群」だろうとのこと。
腎臓が上手く機能しておらず、おしっこを作ることができない。
そのため、おしっこでできている羊水が極端に少ない。
胎児は羊水を飲むことで肺機能を成熟させるので、このままではお腹の外では呼吸ができず生きることは不可能である。
お腹の中にいる間は順調に育つことができるが、羊水がほぼないため、圧迫により死産の可能性もある。
何も出来ることはない。

私も夫も声も出ず、ただ医師の声を聞いていた。
いつの間にか涙がぽろぽろと落ちていた。

夫と無言のまま会計を終えて、車の中で抱き合って泣いた。

この時夫が声を上げて泣くのを始めてみた。

出産までの時間

すぐに赤ちゃんのことを私の親に報告に行った。
(義両親には夫から伝えてもらった)

外の世界では生きられないこと。
人口死産の選択はできないこと。
早産の可能性や、お腹の中で亡くなる可能性があること。
ただ生まれるのを待つしかできないこと。

一通り聞いた母から出たのは
「早く出るといいね」だった。
耳を疑った。
この人は孫に早く死ねといっているのだ。
お腹にずっと入れておくのは辛いからという、子を想う親の気持ちなのだと分かるけれど、私にそれを言うのは配慮に欠けている。
もともとデリカシーのない親なので今までも散々ひどいことを言われてきたが、これが一番つらかった。

日々大きくなるお腹と、元気に動く胎動を感じながら私達夫婦は、少ない家族の時間を過ごすことにした。

切迫早産

30週を超えたころ、早朝にお腹が痛くて眠れず、トイレに行くと少し鮮血がでていた。
すぐに夫を起こして病院に電話すると、「入院になるかもしれないから、荷物をまとめてすぐに来てください」とのことだった。

病院に到着し内診してもらうと、子宮穴が開いており、このまま入院することになった。
すぐに個室に入りその日はそのまま少し眠った。

朝起きて夫と先生と話し合い。
1週間後に控えているMRIまでは薬で切迫早産を抑える。
その後はについては2択なので夫婦で決めてほしいとのこと。

①お腹の張りを止める薬を飲んで満期での出産を目標にする
②出産しても生きられないので、治療はせずこのまま出産する

何の希望もない2択問題を出されたが、結局すぐに答えは決められなくて、二人でただただ泣いた。

短い家族の時間すら奪われるのかと、ただ静かに家族で過ごしたいという願いすら叶わないのかと。
誰にも向けられない恨みを涙を流すことでしか表せなかった。

それからMRIの日までは病院で寝たきりの生活が始まった。
夫が毎日荷物を届けてくれたり、電話やラインをしてくれたりした。

MRIが終わって、夫と今後の治療について話し合った。
なんとか薬でお腹の貼りは収まっていたので、
私達の選択は、「張り止めの薬を飲みながら、すぐに家に帰って家族で過ごす」だった。

一時帰宅

帰ると決めたら嬉しくなって、すぐに退院の手続きに入った。
私が帰ると、夫は仕事にあまりいけないし、家事も私の世話も全て任せることになる。
夫の負担になるなら数日後でもいいよと言ったが、
夫は「1日でも早く帰ってきてほしい」と言ってくれた。

退院後は両親や友人が料理を作ってくれたり、
夫はテレワークにして私の身の回りのことをしてくれた。
愛犬はずっとそばにいてくれた。

赤ちゃんが生きているうちにみんなで写真を撮りたかったので、カメラマンを呼んで、自宅で写真も撮ってもらった。
カメラマンさんには事前に外で生きられない子だということを伝えていたが、泣くこともなく楽しく撮影ができた。

出産

34週に入り、ついに陣痛が来た。
すぐに病院に向かい、そのままお産になるかと思ったが、途中で止まってしまった。
まだ一緒にいられるねって本当は少しうれしかった。

その後本格的な陣痛になり、夫立ち合いのもと出産した。

大きな声で泣く赤ちゃん。
ずっと性別が分からなかったので、産まれて初めて女の子だと分かった。
羊水がなくて圧迫されていたのか
左脚は細くなり、曲がっていた。
頑張った証の曲がった足は愛おしくて愛おしくてたまらなかった。

お腹の中にいる間にもたくさん呼んであげたかったので、名前は決めていた。
夫婦ともに植物関係の漢字が名前に入っているので、植物の名前で、
男の子でも女の子でも違和感のない名前

ひらがなで「なつめ」

1694gの小さな身体で元気に泣いていた。
「かわいいね、なつめかわいいね、大好きよ、元気に産んであげられなくてごめんね」
と何度も声をかけた。
少しずつ小さくなる泣き声、弱くなる呼吸を見守る事しかできず、
娘は私の腕の中で息を引き取った。

2時間足らずの家族の時間だった。

火葬の日

出産後普通よりも数日早く退院し、火葬までの時間を夫と愛犬と自宅で過ごした。
夏だったので、エアコンの設定温度をかなりさげて、
娘にはたくさんの保冷剤を添えていた。

とにかくたくさん写真を撮って。たくさん抱っこした。
両親にも来てもらい、抱っこしてもらった。
娘は状態もよく、見た目には少し小さいだけで普通の赤ちゃんと何も変わらなかったので、
毎日身体を濡れたガーゼで拭いてあげたり、用意していた洋服を着替えさせたりした。

初めは警戒していた愛犬も、すぐに大切なものだと認識してくれて
娘のそばを離れなくなった。
それどころか抱っこしようとする夫にかみつく始末だった。
動かない、冷たい赤ちゃんを生きている赤ちゃんと認識していたのだ。
とても救われた。ありがとう。

短い家族の時間はあっという間に終わり、火葬の日になった。
両親は一緒に来たいと言ってくれたが、断った。
両親がいたら私も夫も悲しみを全部出せない気がしたから。

天気は晴れ。
綺麗な夏の空だった。

棺に入れて運ぶのが嫌だったので、車の中は抱っこで火葬場まで移動した。
夫はかなりゆっくり運転してくれた。そりゃあ行きたくないよね。
普通の家族のドライブみたいだった。

火葬が終わり、小さくなってしまった娘を連れて家に帰った。
帰るとすっかり空は曇っていた。

私達が家に入ると、愛犬は娘を探していた。
それを見てまた夫と泣いた。

それからは2人でテレビで相撲をみたり、親が持ってきたご飯を食べたりした。(民法は赤ちゃんが出てくるのでしばらく相撲しか見れなった)

なぜ私たちがこんなことになってしまったのか。
なぜ娘が病気になったのか。
どうしたら娘に会えるのか。
答えのないことばかりを考えていたと思う。

日常へ

産後しばらくは夫も仕事を休んでくれて、夫婦で静かに過ごした。
夫は「少しずつ普通の日常に戻るのが寂しい」と打ち明けてくれた。
私も同じ気持ちだったので、嬉しかった。

これから泣く回数は減っていく、食欲、出産の痛みも、体形も全部戻って、娘がいたことも一緒に無くなってしまうんじゃないかと怖かった。

それでも日々は過ぎていくし、季節も変わって私たちも変わっていく。

娘の時間は本当に短かったけれど、娘がこの世にいたことは事実であって、
私と夫は親になった。それは誰にも否定させない。

娘がこの世界からいなくなってもうすぐ2年になる。
またこの季節がくる。
娘を想って泣く日は随分減った。(これを書きながら泣いているのだけど)
それでも毎日骨壺に声をかけたり、たまにおやつを供えたり、記念日にお花を買ったり。
娘が家にいる生活は確実に私達家族の当たり前になった。

乗り越えるとか、忘れるとかでなくて、どうやって一緒に生きていくか。
そうやって夫とじいさんとばあさんになりたい。
いつかお空で娘と再会してたくさん抱きしめてあげたいと今は思える。


大変長くなってしまいましたが、以上が私の経緯となります。
乱文で大変申し訳ない。

娘を亡くしてからは、X(Twitter)で出会った天使ママたちと交流を続けています。
同じ経験をしている人だからこそわかる気持ち、
誰にも言えないけれど、天使ママだから話せることがあります。

私にとって一番のグリーフはSNSでした。
スペースで直接声を聞いて、みんなで泣いて、眠れない夜にお話をして、他愛もないことで笑い合って。

自分だけじゃないと思うだけでこんなにも心が違うのだと本当に思えました。

この度アンケートを作成しようと思ったのは、
「他の天使ママのためになにかしたい」
というそれだけでした。

正直私は性格もそんなにいい方じゃないし、何か特出したものがあるわけでもないです。
本当に普通の、なんならちょっと普通より劣っているくらいの人間です。
そんな私でもXでスペースを開いて話をするだけで、「元気になれました」「救われました」といわれることがすごく嬉しかったのです。

普通のママには聞けないこと、検索しても出てこないこと、
みんなどうしているんだろう?って漠然と不安なこと。
そんなことをアンケートにまとめて公開することで、
ちょっとでも不安が無くなればいいなと思います。

最後まで読んでくださった方ありがとうございました。
ちょっと長すぎるよ!途中飛ばしちゃったよ!の方もありがとうございます!

アンケート結果の公開まで少しお待ちください!


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