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話数単位で選ぶ、2023年TVアニメ10選

aninadoさんが集計されている「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」に参加します。毎年楽しみ眺めていた企画。今回初参加です。

選出ルール。サイトからの引用です。

■「話数単位で選ぶ、2023年TVアニメ10選」ルール
・2023年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
・集計対象は2023年中に公開されたものと致しますので、集計を希望される方は年内での公開をお願いします。

10選の選出テーマで何となく意識したのは"他者性"です。今年アニメを観ていてすごく意識したテーマというか。どんな物語でも人と人の関係性を描けばたぶん他者性を描くことになるので全部にあてはまるのですが…… 

今年読んだ『マナートの娘たち』という本が"他者性"を描いた面白い小説でした。


読んだ本とか観た映画とか色んな作品の影響下にアニメを観ています。それがアニメと向き合う姿勢として正しいのかは分かりません。ただ、アニメのエピソードと私の間にみえたものについて考えるのは好きな時間ですし、それについて書いた感想はたぶん私なりの視点になるだろうと。アニメが描いたものについて考えられるかもしれないと感じています。

言葉にすればするほど、観た時の感動から離れていくように思えたのですが、ちょっとでも「面白かった」気持ちが伝われば嬉しいです。



以下の目次に挙げた10作品の内容に記事内で触れています。
一部ネタバレが含まれますのでご注意ください。


『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』#10「ずっと迷子」

脚本:後藤みどり / 絵コンテ・演出:梅津朋美 / CGディレクター:大森大地、遠藤求 / 作画監督:茶之原拓也、依田祐輔

「またダメにならないように頑張ればよくない?」という愛音の言葉が、燈の記憶にずっと残っていたのが印象的でした。元々語彙としてそういう言葉を持っていても、どうしようもなくふさぎ込んでいるときには、自分の中で意味を結ばないというか。誰かが手渡してくれた事実と言葉とが何か繋がるように感じて初めて言葉が光を帯びて響く……そんな経験が自分にもあったことを思い出しました。

燈にグっと感情移入したのですよね。私も自分の中で繋がりを持たないたくさんの言葉を持っています。伝えたい気持ちを表すにはバラバラで、一つひとつは確かに自分自身から出たはずなのに私を伝えるには散らばりすぎていて。そういった言葉からなる私はたぶん感動を前にしても、バラバラの言葉の内どれか一つが引っかかて人が感動するようには感動できず、感想を求められたらバラバラの言葉を組み合わせて、見当違いな感想を伝えてしまうかもしれない。だからなのか暗がりから眩しい光の中へ連れ出してくれた祥子のことを燈と同じように眩しく感じました。

世界からズレていると感じる燈がノートに書いたたくさんの言葉。散らばったその言葉一つひとつに歌詞のような輝きをみて、星を結ぶように歌へと変えてくれた祥子の存在がバンドから失われ、詩のもとに集まったメンバーたちが離ればなれになっていくところから始まる物語でした。物語の背景には、色んなものをまとめ上げてCRYCHICという場所を奇跡的に作り上げた祥子の存在が、常に影のようにあったと思います。バンドが居場所だったそよは祥子とCRYCHICを再び取り戻すことに捉われ、燈の歌に心を動かされた立希も燈の歌詞に合う曲を完璧に紡いだ祥子の影を感じていました。

そうした過去も過去の音も知らない愛音が燈にかけた言葉は落ち込んだ雰囲気に軽く口にし始めたもので、愛音自身に向かうように響きながらも燈に対しては別の意味合いをもって届きました。自分がダメにしてしまったバンドが再び形を持つのであれば、今度は絶対壊れない形で戻ってきてほしい。燈が言う「一生、バンドしてくれる?」の「一生」には一度繋がれて意味の光を帯びたものの輝きを失いたくないという願いが込められているようでした。強い想いがあっても、バラバラだったものをバンドという一つの形に沿って繋ごうとする程、それぞれが持つ言葉にならない気持ち(音)の違いが際立っていくのですが……

バンド以前に、互いの音は互いにとって時々特別な音をもって響いていたと思います。燈に響いた愛音の何気ない言葉。自分の言葉を上手く伝えられなかった過去を持つ愛音がそれでも誰かに気持ちを伝えようとする姿をみてきた燈が愛音に手渡した言葉。行き止まりにいた燈の言葉を立希が必死に否定したこと。過去に囚われたそよの言葉のなかにもみんなで集まれる場所を燈と同じように大切に感じている響きがあったと思います。一つひとつがまだ詩にならない音を持ったノートの言葉にも重なります。散らばった言葉一つひとつが確かに自分自身から生まれた心の叫びで、結ばれない事実に意味が失われないよう結ぼうとする……バンドという形に繋がらない一人ひとりの音は、その一つひとつが誰かに届いていた確かな響きを持っていました。

そうした響きの帯びていた輝きが、一度全てを壊した記憶の中にあるバンドという形の中で失われないよう、燈が自分の中に散らばる言葉を繋いで詩を結ぼうとノートに向かう姿が記憶に残りました。絶対壊れない形で戻ってきてほしいと願うだけでなく、想いを言葉に託して届け今度は自分の力でその形を作り直すために。

かつて点と点の言葉を繋いでくれた音は今はもう存在しないのですが、燈が散らばって存在する言葉の星を繋ぎ、迷子の音を結ぼうとした形には燈たちの音楽の原形(はじまり)と、意味合いを変えていく「一生」という言葉と共にある新しいバンドの形が確かにあったように感じます。

第7話ではリアルなライブシーンの空間が描かれていました。第6話や第9話、第3話や第4話などでリアルなキャラクターが葛藤し、ときにぶつかり合っていてどのエピソードも記憶に残っています。楽奈や睦の眼差しも忘れられません。そうしたキャラクターや場の上に描かれる第10話は、現実に起こりえない流れのなかにある展開なのかもしれませんが、起きたこととして感情を揺さぶられるくらいこの作品にのめり込んでいたのだなぁと実感しましたし、この話数の持つ力強さに圧倒されました。

『虚構推理』第15話「雪女のアリバイ」

脚本:高木登 / 絵コンテ:佐原亜湖 / 演出:蒲原遥 / 作画監督:渋谷一彦

Season1がまるっと鋼人七瀬編だったので、Season2はスリーピング・マーダー編を描くのだなと予想してました。まさか最初と終わりを短編集から持ってくるとは……シリーズ構成の妙ですね。雪女もうなぎ屋の話も、妖怪や幽霊といったこの世ならざる者と関りをもった人間の前に琴子がどう出現するかが面白い短編でした。魅力的な二編に挟まれたSeason2もそういうテーマの上に描かれていたと感じます。

雪女回で面白かったのは、単に事件を解決する推理よりも虚構を組み上げた推理を先に提示し虚構に抵抗させるところ。アリバイ(不在証明)の話が雪女の存在証明の話にすり変わっていきます。

琴子が組み上げてみせた虚構程ではなくても、言葉を駆使すれば他者に偽りのイメージを張り付けてしまうのは案外容易いと思います。例えそれが、琴子が伏せていた前提によって脆くも崩れさるイメージのようなものであっても、一度空白を埋めた言葉は強力に他者を規定します。現実でもそれらしく見えるあれこれを繋いで他者の空白を埋め、実像とはかけ離れたイメージのなかに他者を規定してどういう人間か判断してしまうように。時にそれは人の命を奪います。

様々な人間に不要であると判断され、人生を左右されてきた(人生が終わりかけた)室井には、世の中が残酷な言葉の論理に支配された場所に思えたかもしれません。室井が出会った雪女は社会の外の存在でした。

琴子は、室井が逃れてきた世間で支配的な言葉でもって虚構推理を構築し、雪女に反論させようとします。他者を規定する言葉で構築されたイメージを否定し言葉を超えた繋がりに見えた姿が実像であるという雪女の主張は、他者である彼女の存在を強調するだけでなく、この世の中には社会の言葉や残酷な論理に支配されない他者が確かに存在することを室井に証明しました。サブタイトルが異なる響きをもって聞こえてきます。雪山以降ずっと彷徨い続けていた室井が、帰り着く場所を見つけた瞬間(下山)が描かれていたように思います。

言葉を駆使する探偵役の琴子が、言葉の持つ危うい力に自覚的であるのが『虚構推理』の魅力の一つだと思います。古今東西の探偵モノで、真実を求めるあまり言葉に駆動されすぎているように感じる探偵役に対してどこか恐ろしい印象を抱くので、妖怪の理と人の理の回復に注力する琴子がより魅力的にみえました。今の時代は特に。観る側にも虚構推理の物語世界を生きるキャラクターたちにも改めて主人公が持つ魅力を印象付けた傑作エピソードだと感じます。

虚構ここに極まれり……という感じ。おひいさまが食後にただしゃべってるだけなのに面白い話数。原作を読んでいるとき、会話する3人の立ち位置ってあまり想像できてなかったのですが構図すごい良かったです。指の輪っかツンツンはアニメオリジナルで笑ったシーン。室井やうなぎ屋のあのキャラクターの内で琴子のイメージがころころ変わるのが楽しいです。

『薬屋のひとりごと』第4話「恫喝」

脚本:柿原優子 / 絵コンテ・演出:ちな / 作画監督:もああん / 総作画監督:中谷友紀子

後宮で生きる人々に花街と変わらない人の姿をみる猫猫の眼差しが印象的でした。家柄や後ろ盾によって受ける罰も変われば、命の重さも大きく異なる……身分差の横たわる後宮の階層を壬氏に導かれ自由に行き来するようになるキャラクターが猫猫でした。

皇帝の勅命を受け、後宮で最も大きい水晶宮に赴きつつ、下女の小蘭と食事し、料理場にいたかと思えば、食事を梨花妃の住居へと運ぶ猫猫。梨花妃の侍女たちは猫猫と猫猫が運んできた料理を蔑みます。目の前で閉じられる扉。後宮の外に暮らす庶民にとっては貴重な食べ物が蔑ろにされたように映ったかもしれませんが、追い出される一連の流れは繰り返しコミカルに描かれていました。寵妃に仕える侍女たちから追い払われても気にとめない様子が描写されていたと思います。身分差を当たり前のものとする後宮に適応しきった視線にさらされることを半ばあきらめているようにも感じました。そうした視線は、後宮における当たり前のものであったと想像します。

対象的に恫喝シーンでは描写がシリアスなものへ一転します。今回天秤にかけられたのは自分ではなく一人の命でした。後宮の仕組み(正しさに疑問を持たない視線)に囲まれて命が失われようとしている……衰弱する姿には、目の前で身体を蝕まれていった花街の妓女たちの姿が重なったかもしれません。コミカルな描写とシリアスなシーンの対比に、猫猫のキャラクターが浮かび上がるようでした。

何度も締め出された猫猫の花街と繋がる視線が後宮の人々に向けられていく第4話で面白かったのは、薬師である猫猫が薬ではなく食事療法で対応していく医食同源なところと、拒絶され何度も追い払われた繰り返しと同様のリズムをもって摂取と毒を排泄する日々の繰り返しが描かれていくところです。

身体を拭かず香を焚きしめていたことからわかるように侍女たちが触れられなかった梨花妃の身体に猫猫は一人の人間として触れていきます。真心からの触れ合いが、東宮との触れ合いの記憶に繋がるシーンの流れを美しく感じました。人として触れる手が東宮と触れ合った手の記憶を呼び起こし、全ての元にあった猫猫という存在に梨花妃が手で触れる……前半の拒絶の反復と後半の触れ合いの繋がりに、猫猫の視線があることで後宮の人々が人間として立ち上がってくる印象を持ちました。

これまで後宮の仕組みの中にあった、誰かを見つめることと触れること。猫猫の視線と手が持ち込まれることによって、それらは少しずつ変化していきました。桔梗に触れるシーンにどきりとするのは、猫猫が桔梗を通して存在を見つめ、存在に触れていると感じるからです。

猫猫の神秘性が一瞬垣間見えたかと思えば、いつもの猫猫のなかに視線と手が身を潜めてゆくのもお気に入りポイント。花街で猫のように可愛がられていた頃の顔をのぞかる猫猫の手は梨花妃に内緒で秘術を伝えるために添えられ、玉葉日のひとりごとに視線が泳ぐオチ。

自分の髪の毛でくすぐられる猫猫が可愛い。こういうカットでどうやったら思いつくんでしょうか。猫猫の視線を違う意味で気に入っている壬氏のキャラ立ち。高順は相変わらずわかってるなー。小蘭の食事シーン(お料理頑張ってねというセリフ) 侍女たちが一緒に洗濯干してたシーンとかも良いのですよね。猫猫の存在だけでなく、猫猫と接するなかに一人ひとりの人間が立ち上がってくるようで、説得力のある魅力的なキャラクター描写を通して物語世界にぐっと引き込まれました。前半の回として素晴らしい話数だったと思います。今年、アニメーションで最も感動した話数のひとつが薬屋のひとりごとの第4話でした。絵を描かれる方がこの話数をどう見たか、気になります。

『星屑テレパス』第9話「惑星グラビティ」

脚本:高橋ナツコ / 絵コンテ:小島正幸 / 演出:下司泰弘、かおり / 総作画監督:酒井孝裕 / 作画監督:堀澤聡志、田中翼、高村遼太郎、平田雄三、嘉村有一朗、永山恵、小菅洋、大竹晃裕

失敗したり無意味に感じたりしたとき、その思いに引かれるように、向き合っていたもの全てが無価値に思えることがあります。モデルロケットを打ち上げたこと、上手くスピーチできなかったこと、ロケット作りで足を引っ張っていたこと、作ろうとした自分、みんなに話しかけた自分。
無価値の引力のようなもの引かれ、ユウの願いを全部叶えようとした約束はほどけ、小さくても自分を前に進ませた夢は誰かに話せば笑われるかもしれない夢に変わってしまいます。全部を台無しにしながら墜ちていったロケット。海果はその打ち上げを覚えていませんでした。

一人でいればよかったと後悔するほどふさぎ込んむ海果に、何も乗せて飛ばなかったはずの同じロケットが、誰よりも高く空をめざす美しい軌道を描いていたと伝える彗の言葉が印象に残りました。無価値と感じたものに他者が価値のあかりを灯す存在であることは本作で繰り返し描かれてきたテーマだと思います。みんなにつまらないと言われた瞬の話に、面白いと目を輝かせた海果。逃げだしたい思いの中にあった海果の妄想に、曇りのない夢想でこたえた遥乃。互いの明かりを道しるべにして宇宙を目指す夢に集まった灯台は再びあかりを灯す特別な場所になりました。海果の後悔に全てが無かったことになりかけていたとき、彗の言葉はそれらの価値を思い出させます。無価値の引力と現実の遠心力の合力の中、価値があると信じるものを空に飛ばし続ける……境遇は違えど私もそうした価値・無価値に引かれ揺れ動く重力を日々生きている気がします。その重力に一步を強く踏みしめる海果の姿が感動的でした。

瞬は物づくりにおけるそうした重力をたくさん経験している存在だと思います。失敗や現実における自分の才能と向き合ってきた瞬にとって、最後に価値が失われるくらいなら夢をみたくないと感じている遥乃がおそるおそる語る夢やみんなが口にする希望は、瞬が挫折を経験して一度は無価値になったものかもしれません。それでもみんなといることを選んだ瞬が選手権後に、唯一の居場所だったロケ研やみんな(特に遥乃)とどう関係していくか……最後まで楽しみに観賞したいと思います。

海果の妄想の中にあった視線すら成長を描く中で無価値なものにしないよう海果の変わらない憧れの眼差しにユウの儚い存在が描かれている気がしてすごく良かったです。やっぱり最初にお互いを価値のあかりで照らしたのは海果とユウでしたからね。どこまでも高く飛んでいってほしいです星屑テレパス。

私が生きている現実と同じ現実を生きるキャラクターが決断するとき絵が画面を越えてくる瞬間があります。今年そうした瞬間を感じたエピソードはどれかと聞かれたら、迷わずこの一本を挙げます。

『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』Layer 08「エコー」

脚本:森瀬繚 / 絵コンテ・演出:笹嶋啓一 / 作画監督:磯野智、奥田泰弘、河西睦月、苗木陽子

例えば音楽CDの音。途切れのない現実の音声をコンピューター上で扱えるよう切り分けた音(1秒間に何回、といった頻度で計測した音波)を、16bitであれば65536段階の細かさ(離散値)で近似する話を思い浮かべました。本作で何度か描かれてきた色の量子化の話題に繋がります。

紙に描かれた美少女は、コンピューターに取り込まれる(美少女ゲームの世界の主人公になる)際、元の絵に近い数値で表現されるので連続したアナログ情報と比べると飛び飛びのデータになります。情報が抜け落ちるのですが、ドット絵であっても、そこにないデータを想像で埋めるように、切り分けられた不連続な存在を連続した存在としてプレイヤーたちは見つめています。値のない場所には0とか90とか様々な数値が入る可能性がある(不連続の空白には、どんなものでも存在しえる)この話数で描かれる想像力は、そうしたものだと感じました。

想像というものを知らないと話すエコーたちは、事象を不連続なデータとしてそのまま受け入れる(飛び飛びのデータの間を想像で埋められない)デジタルな目を持つ存在なのかなと想像。守は何台ものTV画面に映る風景を全部同じと捉えますが、数値の上では揺らぎがあるかもしれないそれをエコーは全部違う映像と捉えていました。世界を離散値のようなもので認識しているとしたら、エコーたちがものすごい速さでゲームを作っているのも分かる気がします。既存の物語を数値で捉え分解した上で数値として組み立てている感じ。ゲーム音楽もそうやって記述していました。グラフィックスエディタでコンピューターに美少女を落とし込むエコーのカットが、何か象徴的なものにみえてきます。そう考えると、データが消えるように薄れかけた守にエコーが触れたとき、データとしてあの場所に存在する守の不連続性を、近い値で埋めたようにも見えます。

現実をデータに落とし込む過程と、落とし込む過程で不連続になったはずのデータの空白を想像で埋める(美少女ゲームの美少女をアナログ的に見て、現実に存在するように話す)様子は、繰り返し描かれてきたモチーフでした。データとデータを埋める繰り返しが印象に残っていたので、もしかしたらゲームのパケを開けたらその時代に飛ぶ設定は、ゲーム自体が時代を標本化(サンプリング)したデジタルツインのようなもので、主人公たちは量子化されたデータとしてその空間に飛んでいるのではないか。飛んだ本人はデータのような世界を現実と認識している、みたいな。そういった妄想をしていたのですよね……第8話を観るまでは

熱力学やエネルギーのキーワードが出てきて、本作がこれまでタイムリープを描いてきたことと繋がるように感じました。エネルギーと時間は密接に結びついています。振り子のカットが印象的でした。振り子は、過去から未来へ流れる時間の中で振れているのか、逆向きの時間の流れの中を振れているのか。どちらでもあり得る(時間に向きがない)という力学の法則を連想しました。振り子が揺れると時計が進む……可逆な力学の法則のもとにある振り子が揺れると、不可逆な時間の流れが生まれるようにみえて面白いのですが……ここで、可逆な法則から不可逆な方向性があるようにみえるエーレンフェストの壺の話を思い浮かべました。エーレンフェストの壺は、熱力学第二法則(エントロピー)の不可逆性を説明する際に用いられるトイモデルです。熱力学から連想してエントロピーというワードが出てきたことでこの話数に登場する「水飲み鳥」の絵と繋がりました。本作における時間の流れはこれまでエントロピーと関係して描かれてきたのだと想像します。私自身、コノハの美少女ゲーム制作にかける"熱量"にずっと心揺さぶられてきました。

そういえば16bitセンセーションの第1話のコノハの熱("ゲームの中の女の子が一番輝いてるんですよ!"という台詞)に触発されてTwitterに「PCゲーム原作アニメ 記憶に残っているエピソード16選」をつぶやいたのでした。この期間はずっと2000年代のことを考えていたのですが、今考えると主人公の熱に私も時間を飛んでいたような。

16選のリストです。

PCゲーム原作アニメ 記憶に残っているエピソード16選
・『AIR』 第6話「ほし〜star〜」
・『ToHeart』 第8話「おだやかな時刻」
・『祝福のカンパネラ』 第8話「8話だよ!全員集合!」
・『ef - a tale of memories.』 第2話「upon a time」
・『SHUFFLE! 』第19話「忘れ得ぬ想い」
・『桃華月憚』 第21話「園」
・『ヨスガノソラ』 第1話 「ハルカナキオク」
・『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』第十二刻「H2O」
・『君が望む永遠』 第5話
・『乙女はお姉さまに恋してる』第7話「小っちゃな妹(かな)と大きなリボン」
・『School Days』第12話「スクールデイズ」
・『ましろ色シンフォニー』第7話「たそがれ色のブランコ」
・『Kanon』第17話「姉と妹の無言歌〜lieder ohne worte〜」
・『Phantom〜Requiem for the Phantom〜』第18話「対決」
・『うたわれるもの』第10話「傭兵」
・『D.C.II S.S. 〜ダ・カーポII セカンドシーズン〜』第12話「記憶の淵」

以下、16bitセンセーション第8話の感想。

守が降ってきたときのエコー2のリアクション。そういう場合にはそう振る舞う、をしてただけかもしれません。例えば私がエコーの同僚でエコーの隣りにいて、この会社は生まれたばかりなんですというエコーの言葉を聞いたときにはただ相槌を打つと思います。エコー2はそういう場合にはそう振る舞う、をしてただけかもしれませんが、生まれたばかりという言葉を受けて、急に赤ちゃんしだすのはちょっと思いつきませんでした。想像力以外の何物でもないと思います。お気に入りシーンは、60点つけてもらうエコー2のシーンとゲームを作るエコーの楽しそうにみえる横顔のシーン。ただでさえ考えることがたくさんある話数なのにエコーたちが予測不能な動きをするので情報量が非常に多かったです。エコー2の作画すごい

第8話を観たとき『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』第8話の「何か今週の回いつもと違う」というあの感じや『祝福のカンパネラ』第8話の「今週の話数、なんだか特別感あるなぁ」という感じを思い出しました。ちょっと分かりづらい例えですが、誤解を恐れずに言えば「変な回始まった!」とTVの前ですごいテンションが上がったのですよね。『祝福のカンパネラ』第8話がそうだったように、いつもと違う雰囲気の話数にはその作品のテーマが先取りされていることがあります。『祝福のカンパネラ』第8話で、シェリーさんがリトスの願いをどういうふうに受けとりサルサの振る舞いに何を思ったか。後に星空の下でミネットに手渡した作品を象徴する素敵な台詞に繋がる眼差しが第8話の時点で描かれていました。作品の根本にあるテーマがサブキャラクターの眼差しを通して描かれていたことに当時とても興奮したものです。

いつも唐突にいなくなるコノハに、守は何を感じていたんだろう……コノハ主観の話数の間に流れている守の月日はとても長いものでした。その時間の中で誰もいないはずの空間に、守が何度想像のコノハを描いていたか考えてしまいます。今日道の向こうにコノハが立っているかもしれない、あの角を曲がったらそこにいるかもしれない。消えた誰かに起きうる可能性に思いわずらうモチーフはエコー2を探す守の姿に重なります。エコー2ももしかしたら守と一緒に歩く自分の姿を、何もない場所に想像したかもしれない

いない人がそこにいるように想像する。何もないところに様々なものを描いてきた人の想像力。そのエネルギーは膨大です。守にとってのコノハがそうであったように、量子化された可能性を生きる不連続の美少女が、連続存在として今も多くの人の記憶のなかにあって、現実のあらゆる場所に存在するように。拡散はしても消えない美少女たち。エントロピーが減少してるようにみえます。そもそも美少女ゲームのあるこの世界というのはどこかで時間の矢に逆らっているといえるかもしれないです。

エコーたちが美少女ゲームをひっそりと作っているあの空間が、時間を超え、過去現在未来を全て内包するような大きなテーマへと広がってゆくのを観ている興奮というのは、『タイムシークレット』や『タイムトンネル』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』あるいはinfinityシリーズやマブラヴシリーズなどのゲームを手に取ったときに感じる「このなかにあの壮大な世界が広がっているんだ……」という気持ちに似ていました。そうしたゲームに対して抱く不思議な時空感覚そのものを描いていたのではないかと考えます。

カットとカットの間に色んなことを想像してしまう魅力が一つひとつのカットにあったというか。普段たまにコンテ集をながめるだけのアニメ好きなのですが、8話のコンテ「すごい……」と感じたのですよね。コンテを語る語彙がないので、別の方法で何か伝える方法がないか考えた結果がこれです。

『スキップとローファー』第9話「トロトロ ルンルン」

脚本:日高勝郎 / 絵コンテ・演出:本間修 / 作画監督:井上裕亮、迫江沙羅、小笠原憂、田中沙希、齊藤和也、田中彩 / 総作画監督:井川麗奈

人の記憶や土地にまつわる思い出、誰かに対する印象や今感じている心地よさ(ルンルン)といった輪郭のトロトロしたイメージは、普段言葉として私の外に出ないもので、他者の知らない私的な時間の流れにあるもののひとつです。私的な時間の流れの上で他者の言葉や仕草、会わなかった時間にあった変化などの様々な事柄が、独特の意味をもち始めるときがあります。
美津未のつぶやきがミカの時間のなかで響き、美津未の姿が志摩の時間のなかで特別にみえたように。

何気ない仕草でも受け取る側の時間のなかでときどき特別な意味を帯びる……電車でみつみがナオちゃんの手に触れたとき。離れていくように思えたみつみがしまくんの元に駆けて戻って来たとき。誰も知らない私が抱える時間にみえてくる他者。"関係する"とはそういう積み重なりに他者を見つめ続けることなのかなと思います。そうした関係性のなかで一人ひとりの心に芽生える感情のモノローグを聞きながら、本作のキャラクターたちをとても身近に感じました。

第9話で美津未が過ごす夏もそうした私的な時間の流れのなかに描かれていたように思います。同じ言葉にならない時間を他者も抱えていることを意識する美津未の眼差しが印象に残ります。みんなに向ける眼差しの先に、美津未以外の夏時間も描かれない中に描かれているように感じました。みんなはどんな夏を過ごしたんだろう

互いに言葉にならないものを抱えていて、近しく感じたと思えばときどき遠く感じる。変化の境目や輪郭はわからなくて、私的な時間に感じた全てを相手に伝えたり共有したりすることは難しいけれど、気になる誰かの隣にいることにする。誰かと関係することは、言葉にならないものが互いの間で積み重なっていくことなのかもしれません。私自身、大切なものほどその輪郭を定めてしまいたくないと感じています。

『君は放課後インソムニア』10話「姉はん星」

脚本:池田臨太郎 / 絵コンテ・演出:横手颯太 / 作画監督:三橋妙子、冨永拓生、井元一彰 / 総作画監督:熊田明

誰にも話せず、不安が不安として共有されないところにたった一人でいるときよりも深い孤独がひそみます。別の形をとって表に現れる不安。眠れない夜や履きつぶした靴。早矢が子供の頃に抱いていた感情も類似の孤独だったと思います。形は違っても同じ孤独をもつ者同士が孤独を知って不安を共有するとき、結びつきが生まれ、他の誰とも取り替えのきかない存在になってゆく…そうした関係性の中で互いに向けられた声は特別な声として響きます。例えば、二人だけのラジオや姉妹の会話。
中見にとって曲はどういう存在なのか…早矢が中見の知らない風景に曲を見てきたように、中見も早矢が知らない風景のなかに曲をみていました。中見の言葉や眼差し、知らなかった景色を写した写真はそれを知るのに充分だったと思います。中見に託すように早矢がかつての風景を共有しようとした言葉も特別な響きを持ってきこえました。

脚色がすごいと感じた第11話と迷いましたが、早矢の視点から見えた中見と曲の二人の関係性が改めて良いなぁと感じた第10話を選びます。

『ヴィンランド・サガ SEASON 2』第20話「痛み」

脚本:瀬古浩司 / 絵コンテ:森本育郎 / 演出:青島昴希 / 作画監督:鈴木幸江、金田莉子、藤田亜耶乃、朱世傑、若狭賢史

レジス・ボワイエ著『ヴァイキングの暮らしと文化』では、エッダ詩やサガ、ルーン碑文など多くの文字資料が引用され主に考古学の観点から文化・文明の担い手であるヴァイキングの姿が描かれていました。当時の北欧社会が多くの農場の集まりであり、奴隷が遠隔地との交易において利益をもたらす存在であった(ヴァイキング遠征を可能にしていた)ことも読みとれます。とある農場で行われた婚礼の様子と夫婦のその後が描かれる場面は『ヴァイキングの暮らしと文化』の面白いポイントのひとつ。

ヴィンランド・サガ2期は奴隷編、農場が舞台になっていました。他の奴隷たちと交流し、森を開拓していく場面が丁寧に描かれています。背景美術も素晴らしく、上に挙げた本の描写と重なるように思える部分もあり、土地に根ざした物語を生きる人々が私たちと地続きの身近な存在に感じられました。凄惨な争いが描かれた1期の後だと営みと初めて出会うような気持ちがしたのですが……目的を見失い一度空っぽになったトルフィンが出会う営みもそうしたものであったのかなと思います(3人の朝の時間)だからこそどんな凄惨なシーンよりも一人の人間を棒で打ち据える場面が暴力的にみえました……

嵐が営みを奪い、あり得たはずの未来への道を閉ざして生きている限り癒えない傷跡を残していくこと。暴力の嵐の真っ只中にいたトルフィンが、かつての自分と同じ道を辿ろうとする者の痛みを自分のものとし、差し出した手。何が待つかわからない海を目指した幼い頃とは変わり、今度は明確な目的を持って海へと向かうその背に、主人公が再び主人公となる姿をみました。

アルネイズ役の佐古真弓さんの演技が素晴らしかったです。SEASON2の第14話や第17話もすごかったのですが、第20話はトルフィンやエイナルたちと同じ場所に自分もいるのではないかと錯覚するくらい引き込まれてその声がきこえました。言葉の重さを受けエイナルやトルフィンは行動し決断していく……SEASON 2のラスト4話へと繋がる素晴らしいエピソードだったと思います。

『天国大魔境』#08「それぞれの選択」

脚本:窪山阿佐子 / 絵コンテ:藤田春香 / 演出:仲野良 / 作画監督:富坂真帆、奥谷花奈、澤田英彦、小林冴子、廣江啓輔、永野裕大、ゼロ、柴田海

誰かを救おうと願って進んだ分だけ、命を奪う選択を迫られる……天国から隔てられたこの場所で流れる時間は価値あるものを無価値へと変容させる呪いにみえるのですが、同じ時間の流れがあればこそ知る想いがあり育まれる関係性があるのだと二人を見守りながら感じました。意味合いを取り戻した時間の流れの中で下される選択と訪れる死が重くのしかかります。

訪れる死を前にして空を見せようとするキリコたちの姿が印象的でした。偽りの死を前に教団を襲撃するためリビューマンを扇動した(見せかけの理想郷を築こうとする欲望から死の意味合いを変容させた)行動と対置されていたと思います。偽りの死を告げるため歩いていった距離と、空を見せようと歩いていった距離。それぞれの選択とわずか数歩の歩みに、価値と無価値との反転が起こりうる……キリコとマルの旅路は価値あるものが無価値へと変容する意味合いの崩壊と隣り合わせの旅だったように思います。

外の象徴である空を映した瞳から光が失われた世界に取り残された後、自らの手を呪うマル。寄り添うキルコが手をとり、その力の価値がこの世界で狭められはしないのだと訴えかける言葉が印象に残りました。

今年、漫画原作の映像化には圧倒されるアニメオリジナルシーンがたくさんありました。そのなかからひとつ選ぶなら天国大魔境の第8話です。

『お兄ちゃんはおしまい!』#02「まひろと女の子の日」

脚本:横手美智子 / 絵コンテ・演出:伊礼えり / 作画監督:山﨑匠馬 / 総作画監督:今村亮

優秀な妹の兄の立場に気が重くなり部屋に閉じこもっていたお兄ちゃんが、妹の計画によって女の子に変わり妹の妹の位置に収まる話。兄として一人過ごそうとしていた時間は妹と向き合う時間に取って代わります。妹みはりとは別方向を向きがちな兄まひろなのですが空間的にも成長的な意味合いでも妹と同じ時間を経験することになります。これまで交わらなかった時間にはまひろが見ていなかった(忘れていた)みはりの姿があることに気づいたり。自分と比べる中にその輪郭を捉えていたのとは全く別の、妹の位置に収まった自分に直に触れてくる(髪の毛やお腹に触れてくる)確かな輪郭を持ったみはりと再び同じ時間を過ごす中で嬉しそうに笑ったり妹の成長を受け止めようとするまひろをみていると、不安要素は残されますが元の兄妹に戻ったとしても大丈夫なんじゃないかなと思えました。

部屋で会話するシーンが良かったエピソードというのを毎年個人的に選んでいて今年はおにまい第2話でした(昨年は明日ちゃんの7話とDIYの4話)部屋の空間自体も主役になっている回って惹かれます。お兄ちゃんが閉じこもっていた部屋が明るいコメディの舞台になっていて良かったです。

自分と比較するなかに見える他者というのは実像とかけ離れていることが多いと感じます。独り歩きし始めた他者イメージの想像を逞しくする過程で、良いところを無いようにみてしまっていたり。自分と比較する中に見えていた妹(ひとり成長して遠くへいってしまったように思えたみはり)と今ここにいる妹とでは最初は上手く繋がらなかったかもしれません。まひろの中のみはりイメージは分かりませんが、直接触れてくるみはりと空白だった妹の成長を奇しくも追体験するなかで、本当のみはり像が生まれたのではないでしょうか。忘れていた過去の姿が今のみはりと繋がる瞬間にそう思いました。輪郭に直にふれていく話で、みはりが直接触れさせはしないというようにクッションでグイグイするシーンの繰り返しが面白かったです。だいたいそういうときまひろは妹の方を全然向けてなかったと思います。

作画が強く印象に残り日常で意識し始める身体の動きや重さがあります。『作画マニアが語るアニメ作画史 2000〜2019』を読んだ時の感想にもそう書きました。

おにまい2話の髪を洗うシーンがすごくて、水を含んだときの髪の重さであるとか何かたまに日常で意識するようになったのですよね。髪の重さを意識するときおにまい2話も思い出すというか。2話ですごいと思ったのは脚色です。複数の話で1エピソードになっていてその選び方も良いなと思いましたし、髪を洗うシーンの過去と現在が上手く繋げてありました。追加された台詞はどれも面白かったです。

ちょうど今『機動警察パトレイバー35th 公式設定集』(先日発売した本!)を読みながら、横手美智子さんの脚本回を色々鑑賞していて「どの部分が脚本家のアイデアなのだろう」ということを考えていました。『機動警察パトレイバー』TVシリーズ第12話「太田惑いの午後」は、雪が降りそうな今の時期にときどき台詞を思い出すエピソード。脚本は横手美智子さんが手がけられていました。

アニメを観て記憶に残った風景や台詞というのは自分が思った以上に日常生活のいろんな場所にありそうです。これからもそういった記憶に残るエピソードと出会いたいですね。

10選以外の話数

・『ポケットモンスター めざせポケモンマスター』第147話
・『僕のヒーローアカデミア』第130話
・『ツルネ -つながりの一射-』第六話
・『【推しの子】』第7話
・『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』第11話
・『江戸前エルフ』 第六話
・『呪術廻戦』第29話
・『蒼穹のファフナー THE BEYOND(TV Edition)』第八話
・『ひろがるスカイ!プリキュア』第23話
・『オーバーテイク!』第9話

など、他にもたくさんのエピソードが記憶に残っています。

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