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扉が閉まる時は必ず窓が開く。そして0と1の間の谷に咲く百合を見て〜朗読劇#きみもし感想

3月24日、日曜日
阿佐ヶ谷アルシェにてSH produceさんによる
林将平さん脚本・演出朗読劇
「君の未来が、僕の未来×もしも心が持てたなら」
を観劇させていただきました。
A team,B teamと出演者を変えての日程だったので私は今日A teamの回を観劇!
以前から配信やSNSで応援させていただいてる黒田歩さん含め、まさか青色と灰色の境界線で重要な人物を演じられていた末吉さんも出演されるなんて!ハッピー‼︎てなりながら馳せ参じました阿佐ヶ谷アルシェ。
朗読劇なんですがSNSで拝見した通り舞台セットがとても素敵。マイクスタンドの位置や垂れ幕に照明に段差なんかが凄く凝られていてこれがどんなふうに演出されていくんだろうとドキドキ。

ドキドキしすぎて座った瞬間足攣りました(実話)

そして今団体の代表であり脚演もされた林将平さんの前説からスタート。
ここで物語に対して没入してほしい、と語られていて観客としてもちょっと襟を正すけど林さんてやっぱ話が上手だなーってラジオや配信を思い返しました。

そして前説が終わり、第一のお話。

「君の未来が、僕の未来」

 長年付き合った恋人と別れ、地元に戻ってきた主人公広沢春香が同じマンションに住む学生時代からの友人である三人(親友の裕奈とその恋人である和希先輩、そして晴香に対して学生時代から想いを向け続けている久)が暖かく迎えられるとこから物語がスタート。

晴香は、結婚まで決めていた恋人が海外に行くことが決まり,自分自身どうしたいか悩んでいて、その結果夢に向かって行きたい彼氏とすれ違いが起きた上に置いて行かれてしまった経緯かつ地元の知人や家族にも結婚の話をしていたために居心地の悪さを感じている中昔馴染みの祐奈達が寂しくないようにサポートしつつまた四人で集まるようになる。

あっ……なんか、大人になったなーと思うこの感覚。

昔はなにもなくても集まってた仲間がこうして集まるのは助けるため、支えてあげるため、また前みたいに笑い合えるようにっていう理由が伴ってて、昔馴染みとはいえ前と同じではない集まり場所になっているっていうのが余計に今とは変わった部分を感じさせたりして。
だから晴香も雪解け、とかあえて意識するようなワードを自覚してたりして。

この作品、というか二作品ともなんですけど……登場人物がみんな優しい人ばかりなんです。

誰かのためなら苦労するのもいとわないし、それこそ、どんな小さな事でも喜び合いたいっていうのがもう純粋すぎるくらいどっちの作品にも貫かれているんですね。
それって恋愛とかだけじゃなくて親愛もそうですし、親子愛も友愛も共通している今作で描かれてる最上の愛の形なんですよ。

この時点で爆泣きしましたよね。

(人の愛に触れると泣くタイプの化け物)

そんな愛の形を大切にしている人たちだからこそ、それが叶わなかった時に1番苦しむんですよ。

それが晴香と久で、さらに手紙という想いの伝え方。
言葉よりも直接的ではないけど、手紙を書くって書いてる間ずっと相手のことを思って、その思いに封をして、届くかどうか祈るっていうコミュニケーションの取り方なんですよね。しかも届くまで募る思いがそのまま形として残るコミュニケーションて手紙だけじゃないですか。
(だから私、手紙ってめちゃくちゃ好きなんですよ)

それを引き出しにしまった未来の久も、もともとは届けられなかった思いを綴ってたんですよ。
私この構図で、もう苦しくなっちゃって。
久の純粋さが現代、ひいてはもう学生時代から全然変わってないのが素敵すぎて……!

未来の久も居場所がなくて、時が止まったまま届けられなかった思いを後悔している。
現在の晴香は、恋人に言えなかった思いを抱えて,居場所がない思いをしている。

……そんな二人の邂逅ってもう必然になるだろうな、という納得感。キリスト教的な考えでの、神は扉を閉めた時に必ず窓を開けるっていうのがぴったりかなーていう。
そんな二人の窓越しの対話的な。
二人だからこそ、遠く離れていてもお互いを見つけて、1番素直な心で文通できていくし、喜びも悲しみも共有できる。

そしてそんな二人を引きつけたのが現在の久。
現在の久は、変わっていく晴香の様子を見てやや焦りというか,置いて行かれたような気分になっていく久の気持ちがすごいわかるなー,て思いました。だって今の久も未来の久も晴香に向けてる思いは変わってないんですし。現在の久からしたら自分の言葉ではない、誰かの言葉で背を押されてる晴香を見てることになるわけですから。
それって過去自分が経験したことをまた繰り返してるわけなんですけど。

久はこの時、晴香を思うあまりちゃんと言葉に出さないって選択するんですよ。

久っ!!!!!!!!

こうした流れから振り返ると前半の鍵閉めろよ,とかコーヒか何か飲む?の流れとかが甘酸っぱいけどまだ噛み合わない恋愛を感じてめちゃ好きですね。あの流れ大好き。そしてすぐ帰るから。て言っちゃう久。

久っ!!!!!!!!

そして晴香は、未来の久の手紙によって自分の命が限りあることを知ってしまう。

久……

やっと未来に向かっていける、て思った矢先にその未来がないことを知らされる晴香。
そんな晴香の絶望の真相は誰も知らないし、晴香もそれを話すことはできない。

でも、本人には居場所がないと思えている状況だとしても、誰かがちゃんと見ていてくれてる。
それが現代の和希先輩と祐奈と久であるし,未来でもずっと晴香の身を案じている久という存在。
和希先輩も祐奈も、今を楽しんでいて、明日また会う約束もする。
そして、今と未来,どちらの久も晴香を見てる。

今君はそこにいます。僕もここにいます。
この言葉が最高でした。

現在の晴香と久が重なったことで未来が変わったとしても、おそらく未来の手紙の送り主である久は変わらないし,晴香も将来は手紙の内容の通り死ぬかもしれない。

でも、二人とも届けられない思いに縛られることなく,言葉と共に前に進んでいけるだろうな。と、あの振り向きざまに未来を口にして互いに背中を押す晴香と久の姿を見て思いました。

「もしも心が持てたなら」
 
 最初にいいます。
タイトル回収がうますぎる。
博士の愛情をうけて共に生活してきたアンドロイド、リリィはその愛というものが何かわからないままただどことなく、博士が今自分にむけている思いというのは一般的なアンドロイドに対して向けるべきではないものというのを理解している。
ただ、そこを理解した上で弾き出す答えがわからない。
いわゆるAIはわからないものに対して素直に教えていただけますか、とかもしくはその場で停止してそれ以上の計算は打ち止めるのどちらかだと思うんですが、リリィはこの時立ち止まって考えてるんですよね。この時点でAIと人の思考の狭間に立っていて,その危うさを感知するのが同じアンドロイドであり新型のナルという構図がいいんですよね。
ナルはリリィが立ち止まっていて,不確かな回答をしているそれが正しくないことだと解析するし,だから諦めろっていう指示も出せる。
このリリィがいる狭間っていわゆる不気味の谷現象に当てはまるかなーて思うんですけど、ここで「リリィ」と「谷」というワードに辿り着きます。

谷間の百合、リリー オブ ザ バレーだ!!

(バルザックの同名小説もありますがこちらは悲恋なので割愛)

私なりにこのワードに辿り着いたんですが、これ何がすごいってですね。すごい純粋というか,無垢な心があるっていうのがわかることなんですよ。 

まず不気味の谷とはなんぞや?

詳しくはググった方がわかりやすいのですがいわゆるAIが人間に近づきすぎると人間から見た時の親密性がガクッとさがる。怖さを感じることを表したグラフが谷状に見えることからつけられた現象です。

実際本作ではアンドロイドが人間に近づきすぎることを抑えるようにしっかり線引きをしている描写だったり、天才的な博士がアンドロイドに対して愛情を向けてることが変人扱いをされてたりとかもあったので余計にそこが浮き彫りになった感はあります。

博士が臓器とか体の機械化を拒むのも一般人は機械導入しても変わらないでしょって考えてるのに対し、博士はそうじゃないって思ってるんだろうなー、て思います。
だってそうじゃなければリリィと娘とであんな複雑な感情に揺れないでしょう。

それで、じゃあ谷間の百合って何かというと
私なりの解釈,にはなるんですか「無垢な愛」だと思ってるんですよ。勿論、今作を鑑賞した上での導きでもありますし、事前に知っていたことも組み合わせた上での解釈です。


QUEENすね。
これはフレディマーキュリー作詞ゆえか神話由来だったりシェイクスピアだったりが元になってる曲だという印象。深掘り難しいですが……凄く純粋なラブソングでメチャ好きです。ここででてくる谷間の百合も、いわゆる無垢な愛,純粋な心を表してるんですよ。

そしてワッツ技師たちとのやりとりで,リリィは自分のメモリを全て消すことを選択します。
で、件のワッツ技師はというと、血のつながりではないけど親と子の情があるっていうのを表に出してくるわけですよ。

この流れで馬鹿泣きしましたよね

そんなワッツ技師,リリィ,博士を見て呆れてる新型アンドロイドのナルはそれでも機械としてのリリィに寄り添ってあげようとしてる姿も良かったなーて思いました。でもめっちゃ作り手の意思を継いでる子だと思った。ワッツ技師が子が親を思う気持ちを理解していてそのためなら多少の無茶をするタイプではあるし。

そして、ナルのプログラミングを消去して行った中にあるのが,語り手でもある一人の女性。
私はまだ正直この女性が娘なのか,それとも博士の妻だった(つまりリリィから見たら母親)にあたるのか決めかねてるんですよね。どちらでもあるかも知れないし。
男性の語り手の方はプログラミングと仮定しています。博士が打ち込んでいった0と1の羅列。
その羅列、0と1を打ち込んでいくときの博士はどんな思いを込めたのか。
そのコードの狭間には、どんな気持ちがあったのか。

それって、やっぱり愛なんですよね。

朝一緒にコーヒーを飲んだり,森を歩いたり,夜眠る時はおやすみを言う。特別じゃないけど、唯一の愛。

人工知能が人を超えるシンギュラリティだとか、不気味の谷だとか言われるけど、その本質にあるのは人の愛だったていう帰着。
そこで重なる博士の数十年にわたる思いに胸が優しく打たれました。

そして、最後にリリィという一人の女性が言う言葉。

「もしも心が持てたなら、」

仮定ではなく,心が持てたならと言う決意に変わる。

心に広がる情景が美しい。
素敵な時間を過ごせました。

あーあ!!!!アルシェに帰りてえなぁ!!!!










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