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澄んだ秋晴れの日に

担当していた利用者さんが亡くなった。

一報を聞いて、お宅に伺って最後のご挨拶をした。
ご家族が気丈に振る舞う様子を見て、うるんだ瞳から涙は出なかったけど、家を出る時に「ある程度覚悟はしていたけど、やっぱりバタバタしちゃいますね」の言葉に何も言えずにうなづくしかできなかった。
お互いの目には涙がいっぱい溜まっていたのにな。なんで一緒に泣いてあげられなかったんだろう。次の訪問に向かう車の中で涙が溢れた。


1年半関わらせていただいた。
人はこういう風に老いていくんだ、ということを教えてくれた方だった。
訪問リハビリを始めた当時は歩いていたし、おしゃべりが大好きで40分介入のうち35分は話していていて、何度もご主人との馴れ初めを嬉しそうに話す方だった。

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機能訓練よりも息を引き取る瞬間まで、どう生きたいか、どうしたら人生を全うしたと思えるかを考えて毎週通った。

12月には、飾ってあった小さなクリスマスツリーのてっぺんのきらきらした星を触っては、「これから雪が降るね」と話した。

5月には、窓辺に飾ってあるカーネーションの近くに座っては、花やこれから咲く大きく膨らんだつぼみを触っては季節を感じた。

「孫が足の指にきれいに塗ってくれたんだ」と見せるキラキラしたピンクの爪を見せてくれては、私も!と足の指を見せては「若い子みたいで恥ずかしいけど嬉しいの」と話す彼女と微笑み合った。


だんだん歩けなくなり、いつも待ってくれていた居間で座る姿もどこか小さく、大好きだったお話もしなくなった。

最期にお会いしたのは、亡くなるちょうど1週間前。言語聴覚士とバトンタッチしたとき。最初は眠っていた彼女も口腔ケア中に目を覚まし、私を見ると「あら、来てくれたの」と言わんばかりに笑顔になった。「わかりますか?」「わかるよ」小さく口を開いて答えてくれた。それが私がお会いできた最期の彼女。

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ご挨拶したときにご家族に持って行った、カーネーションを抱えて笑顔で座る彼女の写真は、ご家族が覚えている限り、ご家族の中で生き続ける。

私が覚えている限り、私の中で生き続ける。


たくさんの人生経験、たくさんの思い出、たくさんの学びをありがとうございました。

老いる美しさを教えてくれた彼女から学んだことを胸に、また明日を生きようと思う、澄んだ秋晴れの日に。


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