BEAT CRAZY 其の五
ベーシストの荒尾が抜けた後、俺達はベーシスト探しを始める。
https://note.com/tamuraya_kyoto/n/n19c7f23fb472
というのも、その後のLiveが何本か決まっていて…
当時は今みたいににヘルプで入って貰うっていうことがあまりなくて、誰かメンバー抜けたら『すいません。出られません。』って感じのバンドが多かったから。
ある意味、みんなツッパてたのかもしれない。
とりあえず、ビークレ絡みで出演依頼してもらった原爆オナニーズ主催の名古屋芸音のデカイイヴェントにはどうしても出たかった。
ベンジャミン山田
俺達は陸上自衛隊を辞めて山田が家にいるらしいという情報をゲットする。
山田と言えば…
京都お洒落パンクのカリスマだった。
当時のパンクスといえば、アナーキーの影響もあったのか、ドカジャンに作業着パンツみたいなヤンキーファッションで髪の毛だけ立ててるみたいなパンクスが殆どだった。
そんな中、山田はSEDITONARIESのガーゼシャツ、ボンテージパンツ、ケツあてをして靴はROBOTのラバーソールにJOHNSONSのジャケットを着ていた。
間違いなく、京都で初めて本格的なパンクファッションをした先駆者じゃないかな。
そして、いつも京都のBALビルの前に何人かとたむろしていて、シャコ短の車で女の子をナンパしに来てたヤンキー達としょっちゅう揉めてた(笑)
存在は前から知っていたし、見かけたこともしょっちゅうだったけど、俺とのファーストコンタクトも強烈だった。
フンニャラ(後のシティインディアン)と2人でパンクな格好して歩いていると、突然『お前、どこのパンクなんじゃコラァ!』って。
気がついたらおでことおでこがくっついてる…
今なら濃厚接触で叱られます。ソーシャルディスタンスの真逆(笑)
幸いフンニャラが山田とは何度か話たことがあったようで、喧嘩にはならなかったけど。
お洒落なわりには、ヤンキー的なアプローチをされたのをハッキリ覚えてる(笑)
その後、仲良くなって当時山田がヴォーカルをやってた『SEDITONARIES』っていうSEX PISTOLS、EXPLOITEDのコピーバンドを何回か観に行くようになる…生卵を持って…(笑)
年月が経って、山田が陸上自衛隊を辞めて家にいるって話は聞いてた。
ただ…山田はヴォーカルやろ…って思ってたけど、ギターもベースも弾けるらしいってことで、当時のギターの辻くんが山田に白羽の矢を立てて…
家の前で待ち伏せ(笑)
40〜50分待った後、山田が帰って来た。
突然、コック二ーコックスのベース弾いてくれって言われて…かなり惑ってたと思う。
『まぁ、今決まってるLiveだけなら』っことで
何とかOKをもらうことになった。
これでビークレと原爆オナニーズに顔向けができるってホッとしたのだったが…(続く)
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