クサイことを書きます…。自分が設計した製品は我が子のようなもの。

設計図は製品の遺伝子🧬のようなもの…と書きました。

ということで、設計職である私から見ると、自分が担当した製品は、私の文化的な遺伝子を持った子供のようなものだと思っています。

ある日突然上司や営業から、「あと100円くらいコストダウンしてよ」などと言われると、「こんないい服着せなくていいから。やっすいバーゲンセールの服でいいよ」(←なんかちょっと違うか?)と言われているようで、ちょっと悲しくなるのです。

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子育てと同じように、親(私)の言うことだけ聞いて育った子供はろくな大人にはなれないでしょう。他の子供や、学校の先生などいろいろな人と接することで、立派な大人になれるのだと思います。製品で言えば、量産前に設計部門レビューや製造部品レビュー、品質部門レビューなどがありますが、それらが、卒業試験のようなものだと思っています。(卒業試験に不合格なら、留年)

そのため、学校の先生とも言える、製造部門の人たちの意見は貴重なものなのです。(私にとって)

が、最近になって思うことは、製造部門や品質部門の意見が薄っぺらくなっているということです。

レビュー当日になってその製品に初めて触った…みたいな上役が、「ここは組み立てづらい。なんでこんな設計なの?」みたいなことしか言いません。せめてレビュー前に見てきてほしい。卒業式当日に、「あれ?こいつこんなやつだっけ?こんなやつ卒業させて大丈夫?」と、いきなり校長先生が言い出した、みたいなイメージです。

(これは、最近のうちの会社のことです。他の会社がこうでないことを祈ります)

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