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尾張の意地

小学校3年生から社会科の勉強が始まる。
これに合わせて、郷土の歴史や
偉人について学ぶ副読本がある。
県や市町村で違いはあるかもしれない。
名古屋市は、中学生にも副読本を配っている。
現在のカリキュラム加えて、副読本を
教えるとなると教員の悲鳴が聞こえてきそう。

この副読本、読み応えが結構ある。
社会の教科書と視点も違っている。
そんな副読本と学校や地域で見聞きしたことを語ってみたい

ナゴヤ歴史探検より「宗春と吉宗」

江戸に幕府を開き、武家諸法度や参勤交代など
着々と幕府中心の体制を確立してきた。
それなりに経済もまわり出した。
五代綱吉の時代は、元禄文化の花が開いた
江戸時代の中でも華やかな時代。
しかし、徐々に財政状況も悪くなり、しかも
七代家継は、8歳で亡くなり徳川本家の血筋は絶えた。
こうした事態に備えて尾張、紀州、水戸に御三家を置いていた。
協議の結果、紀州家の吉宗が八代将軍として江戸に入った。
幕府の財政を立て直すために、大奥の規模を縮小。
倹約令を出して、町民レベルまで質素倹約を命じた。
その改革は、社会科の教科書にも取り上げられている。

その頃、尾張藩七代目徳川宗春は、
倹約よりも社会を活性化する政策を進めた。
祭りや芸能を活発化させ、街に賑わいをもたらした。
殿様自身が待ちに出て派手な遊びをしていたとか。
門前町を中心に芝居小屋を作った。
江戸で活動できなくなった芸人や役者たちを受け入れ、
演芸が盛んになり、のちに「芸どころ」と呼ばれる一因になった。
これに面白くないのは、吉宗の徳川幕府。
御三家筆頭の尾張藩が、幕府の政策と真逆。
しかもこの政策が、うまくまわっている。
幕府からの注意や勧告もどこ吹く風。
吉宗は、宗春を隠居させてしまう。
しかし、尾張藩の勢いは衰えず。

幕末の土壇場でも影の主役は、尾張藩主とその兄弟たち。
その話は、次回に。

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