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やる気が戻ってこない話

noteの投稿が数週間途絶えている。スランプだ、と書こうと思ったのだが、読書ノートやら日々の記録しか書かない個人ブロガー(とさえも呼びたくない)の分際で何がスランプだ、と自己ツッコミをする。

経験上、やる気がないときは無理に抗うと、完全に排除する方向性(たとえばnoteのアカウントを永久削除するなど)に向かうので逆効果だ。そういうときは自分の置かれている環境に加えて、自分の気持ちに静かに向き合うのがいい。というわけで、今日は久々にnoteの投稿画面を開けて自分を見つめてみる。

まず多忙

これは間違いない。在宅とは言え、勤務は朝6時半から夕方4時まで。でもたいていはもうちょっと長引く。そして次女の器楽のコンクールに向けて課外練習のお迎えが4時半ごろ。6時ごろに長女の部活のお迎えがある。その後も次女のオンライン塾やフィギュアスケート教室だとか、はたまた私自身のトーストマスターズの習い事のミーティングだとか、やっとお風呂に入って腰を下ろすのは9時近くなる。もちろんその合間に時間がまったくないわけではないのだが、書くという作業は合間にやっつける類のものではない。書くモードに入っていくのにかかる時間が隙間時間とぴったり合えばいいのだが、そうではない場合がほとんどだ。

情緒不安定

いきなり重くてすみません。ただ今、私は長年のトラウマから這い上がっている最中なので、心の中の怒りの問題と立ち向かう毎日だ。どういう症状かというと、怒りの原因となった人たちに怒鳴ったり心理的・さらには物理的に傷つけることを夢見て、自分の怒りを発散させている。でも実際に行動に起こすわけではないので、怒りは消えない。というか、実際に行動に起こしたとして、その思考自体が精神的に不健康なことなので、怒りの炎にさらに油を注ぐ結果となることは容易に想像がつく。そしてその一連の怒りの妄想はものすごいエネルギーを使い、日々やらなければならない最低限のこと、つまり上で書いたような仕事や娘たちの世話以上のことまで気が回らない。

最近カウンセラーにかかっているのだが、彼女曰く怒りを言語化して書くことで、自分の気持ちと向き合いスッキリすることがあるらしい。だからほんとはnoteにそれを記したらいいのだろうけど、そこまで体力も気力も続かないのが悩み。

インプットの気分

読書ノートを書かなくなったからといって、読書をやめたわけでもない。もちろん上記の理由で読書量は減っているが、夜寝る前には毎晩読んでいるし、エクササイズの一環でウォーキングやランニングもしているので、その時に必ずポッドキャストやオーディブルを聴くようにしている。本来ならばそれをアウトプットに変換することで自分の血肉となるのだろうが、今は深く考えずにランダムに情報をインプットしたい気分なのだ。インプットした情報に対して自分はどう考えるか、という次なるステップに行く前に、自分の知識としたいみたいに難しく考えずに、幅広い分野にランダムにさらっと触れてみたい。そして考えたいモードになったときに、脈絡がなさそうな散らばった情報が、これまた散歩中にふとつながって、それを形にするために書きたくなるんじゃないかと思っている。

優先順位に関する葛藤

最初に書いた多忙案件に関係するが、何が大事なのか?と見極める作業が長引いている。私たちは普段自分を忙しくするアイテムを取捨選択している。「忙しい」とは言っても、寝る時間、お風呂に入る時間、トイレに行く時間、スマホを見る時間、などなど、実は時間を費やしているものだ。私の場合はそういうベーシックな用事に加えて、子供たちの学校のボランティア、習っている楽器の練習、娘たちとテレビを鑑賞、などなどさらにあり、そのような多くの用事をどういう順序に置くかによって、noteをどれだけ更新できるかが決まる。つまりはその作業で、note執筆という項目が以前より優先順位が下がってしまっているのが現状だ。優先順位の上位を占めるのが子供たちのための時間だ。彼女たちの習い事や学校のあれこれはもちろんだけど、夜にその日会ったことをゆっくり話したり、一緒にマッサージし合ったり、テレビを見て大笑いしたり、そういう何気ない時間を最近増やした。

で、どうするの?

といろいろ書きつつ、noteを書こうと頭に置きながら生活をすれば、いざエディタを開けば書ける、というのが半年続けた私の結論だ。結局は、この数週間noteのことを忘れたふりをして、子供たちのためという名目の元、ダラダラと過ごしていた気がする。つまりは心がけとモチベーションの問題であり、この投稿をした時点でそれらはけっこう戻ってきている。

というわけで、数日おきに目標に少しずつ復活していきたい。

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