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あなたはファッションモンスター(褒め言葉)

雲の流れが早く変わっていくのは早朝。前に読んだ小説に書いてあって、興味に任せて「雲の図鑑」なるものを買ったものの、雲の形と図鑑に乗ってる雲を照らし合わせる作業は上手く出来なかった。あの雲の図鑑どこにやったかしら。とぼんやりと、空を見る。

最近、人の老いを色濃く感じる時がある。
若い時に自分が支えてもらったり、甘やかしてもらったり、沢山の学びをくれた人生の先輩も歳をとっていく
自分の意思とは裏腹に、柔軟さが失われていく印象がある。その柔軟さに私は救われてきただけに、ああ、歳を取られたな。と感じる時、切なさが増していく。
支えてもらえる立場から、ちょっとだけ
「ぼちぼちやってますか?」と声を掛けるステージに移行したように感じる

〇●〇●〇

私には、素敵な友人がいた
大正生まれのいちこさんだ。
洋裁学校を北海道で初めの方に立ち上げた。
生徒さんも多く、お教室を大きくしようと
洋裁学校のイメージのイラストまで専門の方に書いてもらい、銀行に相談したが
「これから既製服が流通していきます。だからやめた方がいい。」と止めらて融資を断られた。
大変ガックリ来たけど、その後本当に既製服が流通し始め、洋裁学校を小さくし始めたのが35年前。私が産まれた頃だ。
「あの時とめてくれた銀行の方には感謝してる。大変なことになるとこだった。」といちこさん。
その後も細々と洋裁教室は続け、90歳手前辺りまで続けていた。
1度、なにかの帰りにその洋裁教室にものを届けに行った。
当時、私の知ってるいちこさんは、いちこさん宅でお茶を飲みながら、2人でのほほんと喋る。ほんわりした笑顔と時々鋭く何かを言って「あっはっは!」と笑う姿だったから
その洋裁教室に入って 驚いた
しゃんっとした。「先生」のいちこさんがいた。
もう1つ驚いたのが、生徒さん達だ。
70~80歳半ばの生徒さんが10人ぐらい。みんな各々に自分で作ったものだったり、おしゃれしたものを身にまとい服を作っていた。
当時、いちこさんが「私には若いお友達がいて、友民ちゃんっていうの。この子が良くしてくれて助かってる」とお生徒さんたちに言っていたもんだから
「あなたが友民ちゃんね。」としゃん。としたおばあさま方に囲まれて
「いつもありがとう。これからも先生のことよろしくお願いしますね」なんて頭を下げられ
いやいやいやいや!と言いながら、普段ない状況すぎて冷や汗ダラダラ。
帰って 「本当のファッションモンスター(古参)はあそこにいた」と泣いた記憶がある。
それぐらい、見た事のない光景だった

私が布を買い、いちこさんが縫い、私が売る。売上を半分こして また布を買う。そんなことを何年か続けた。
「あなたが売って私が作る!ひと山当てようや!」と言って始めたことだった。
日常会話であまり使わない「ひと山当てようや!」が今でもじわじわ笑けてくる。

沢山話しをして、書ききれない武勇伝を聞かせてもらったし、服のこと、時代の移り変わり、どの話も興味深かった。

なによりもうんと可愛がってもらった。

そんないちこさんが旅立ったのは5年前。
北海道地震のすぐあとだった。

「ピンピンコロリ行くのは才能が必要」なんて誰かから聞いたことはあったけど
いちこさんはまさに、才能の持ち主だった

沢山いただいたブドウを、地震大丈夫だったかい?なんて言いながら、友人たちにブドウをお裾分けするドライブをしてる時だった
いちこさんの唯一の身内、お孫さん(と言っても私より年上)からラインが入った
お風呂に入っていてそのまま。とのことで
病院に運ばれたと聞いた。泣きながらすぐに札幌から1時間ほどのいちこさんの住む街に車を飛ばした。
90代だから。いつかは。とは思っていたが
いつか。が今に。なった時、やはり辛い。
病院にかけつけると、お世話になってるホームのお手伝いしてくれてるスタッフさん(80代)と、ホームの代表(50代から60代はじめ)、そしていちこさんをいつも気にかけてサポートしてくれていた洋裁教室の生徒さん(80代)が3人、待ち合い廊下にいた。
平均年齢が高い。

お風呂で。というワードに、人生の先輩たちは、「あぁあ」となっていて、お孫さんが道外から帰ってきて、いちこさんを引き取るまで
警察保管になるとのことだった
じゃあ、あいさつさせてください。と、私とオットは、お願いした。
人生の先輩たちは難しい。ということで、その場にいてもらった お体に触ったら困る。

ホームの代表と私とオット。
いちこさんのいる部屋に行った。入る時の異常な緊張感を覚えてる。
そのあと、泣きながらめっちゃ笑ったことも。

いちこさんは、何事も自分でしたい人だった。
だからなのか
お風呂の後にさっぱりして気持ちよさそうに眠ってるように横たわってるいちこさんを見て

「いちこさん!さっぱりしてるぅうう!(泣)(笑)(泣)」と言ったのを覚えてる

まるで「先に湯灌(ゆかん)済ませといたわぁ。あと頼むね。」みたいな

あっぱれである。

そのあと、人生の先輩たちのいる場所に戻った。2人とも,お風呂で旅立ったことが年代的にも怖かったようだが
戻ってきた私が「大丈夫。大丈夫よ。さっぱりしてて…」と泣きながら言うのを聞かされたのでした。

〇●〇●〇

あんなに華麗な旅立ちは。まだ他に知らない
思い出しても,寂しさと「さすがあっぱれ」が入り混じる

「死ぬまで現役」
「生まれ変わったらコシノジュンコになりたい」
(コシノジュンコのが若い)
など、強く言っていた。いちこさん。

お孫さんが転勤で道外に行かれたので
知り合いのホームに入った
そこの代表を、彼女は「ボーイフレンド」と呼んだ。
「先生は元気だから、好きに暮らしていいよ。」と言ってもらい、ほんとに割と好きに暮らした。

ずっと元気だったけど、晩年は少し弱気にはなって、いつでも夢とかやりたいこと、食べたいものがある人だったが
少しずつ小さくなっていったように感じる
小さくなり切る前に 旅に出た。

やっぱりファッションモンスター(親玉)だわ。

〇●〇●〇

昨日、久しぶりに振り返り
あぁ、あいたいな。と思った
彼女が繰り返し私に言ってくれたのが
「北海道の友民ちゃんになりなさい」だった。

んな、無茶なと思いながら、いつも真面目に強く言ってくれるから
私は嬉しかった。

同じぐらい言われていたのが

「柳に風折れなし。あなたは体が弱いから,柳に風折れなしで生きなさい。」だ

あちこちしんどいながらも、なんとか折れずにやってます。

30代後半戦

いろんなことが見えてくるなぁ。

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