『エレベーターと鏡』
とあるプロジェクトを推進するチームが
・「手段」と「目的」を履き違えてしまったり
・「考え方」が凝り固まってしまったり
・「お客様の立場」に立ったつもりが
全くズレた発想になってしまってたり・・・
指摘されれば
「あっ! そっかぁ!!」と気づくことなのに
妙に抜け出せない展開になってることって
あったりしますよね
そんな時に用いる発想が
「何を問題とみなすか?」・・です
今日は『問題解決のアート』の中の話を
抜粋・引用しながら展開してみたい
「エレベーターの話」
この話は大きなオフィスビルでのストーリー
・エレベーター(以下:EV)の
「待ち時間が長い」とテナント入居者からのクレーム
「EVが改善されなければ退去もやむをえない」
とまで迫られる
・困ったオーナーはEVシステムのプロに対応と解決策を依頼
・その結果は大きなコストをかけて
*「EV増設」 *「EV機種変更」 *「最新の制御装置新設」
のいずれかを施すほかはないと結論
・完全に行き詰ったオーナーは頭を抱える
えっ そこっ!?
・絶望的になったオーナーは
やけになって部下を招集し事態を相談
・多くの代案は出るも満足のいく解決策には至らない
・それまで口を開かなかった
人事部の新人が“おずおず”とひとつの提案を行った
「各階のエレベータの前に
大きな鏡を置きましょう!!
それで問題は解決するのではないでしょうか」
・3週間後
EVの待ち時間に対するクレームは
一件もなくなった
なぜ
「待ち時間を減らす」という
「問題」が「解決」したのか?
専門性が邪魔をする
・エレベータ前の「鏡」設置により
待っている人がそこを覗き込み
→身だしなみを整えたり
→後ろにいる魅力的な異性に目をやったり
→不機嫌そうな自身を垣間見たり・・・と
「EVの待ち時間」・・・つまり
「EVの待ち時間として認識される時間」は
激減することとなった
EVシステムの専門家は
EVそのものに解決策を探る
つまり「EV内部を問題とみなした」
プロとして重要とされる
知識や技術やノウハウといった・・・
リソースこそが解決策の全てと
「問題を定式化」してしまう
そこにこそ
(絶対に)解決策があるからだ
人事部の新人の提案は
「EV内部」に問題を置くのではなく
「待ち時間が長いと認識してしまう人間側」
にフォーカス
結果
大きなコストもかけずに
事なきを得たわけだ
素敵と最適
この話は
対岸の火事ではない
商いの構図に立ち返ってみよう
*「問題解決」を施すことで
→「価値」を感じていただき
→「対価」を頂戴する
自身の業務
自身が提供していること(商品・サービス)
はどうだろう!?
問題解決のプロセスばかりに気を取られ
どこかでプロっぽく
何だかそれっぽく・・・
そんな思考や行動をしてしまい
いつしかこっち都合の
素敵な答えを導いてはいないだろうか
目指すべきは「素敵」ではなく「最適解」
ダイレクトな事実や
持ち合わせている専門性によって
隠れて気が付かない心理や想い・・・
みたいな「本当の課題」
*5分という時間
→5分が長く感じてしまう感情
*1万円という金額
→1万円払う意味やジャッジの基準
奥深くてシンプルですよね
今一度「問題の定式化」
あなたの役割は何でしょうか?
・設計 ・営業 ・企画
・マーケティング ・人事労務
・接客 ・調理 ・マネジメント
・制作 ・デザイン ・・・・等々
それぞれが
それぞれのプロとして業務を全うする中で
プロとしての見識やスキルと同じくらい
本当のライバルは誰?
ことの本質はどこ?
・・・という
『問題の定式化』=『何を問題とみなすか?』
そう
エレベーターホールの「鏡」を
いつでも忘れずにいたいですよねっ!!
今日もまた自戒を込めて
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