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『自分一人くらい・・』

部活をやってた人なら記憶にある
「全員で声を出して体操!!」
「全員で声を合わせてランニング!!」

ところが「声を出して」いるのは半分以下
出していない奴の言い分は
「自分が出さなくても誰かが出してますから」
 もしも全員がそうなったら・・・

岡ちゃんこと
元日本代表サッカーチーム監督の
岡田武史氏は
「だからこういったところから正す」
 そうしないとチームが崩壊する

「みんなのチーム」というと
 聞こえはいいが そこには
「自分一人ぐらいサボってもいいだろう」
 といった甘えが見え隠れ

「自分の思考や言動が  チームを支えている」
 という強い気持ちにまで
 一人ひとりが押し上げないと

『自分(達)のチーム』にはならないし
 それを口にしてはいけない!!
 (講演会参加時の田村メモより)

ひばりの引越し

一方こんな寓話をご存じだろうか?
~ひばりは麦畑に巣をこしらえた~
◆ある日大勢の村人が麦畑にやって来た
 →「そろそろ麦刈りを始めないと・・」

・それを聞いたひばりの子ども
 →「お母さん引越ししなきゃぁ・・」
 →お母さん「まだ大丈夫だよ」

◆数日後 3人の村人が麦畑にやって来た
 →「ぼちぼち麦刈りやらなきゃ・・」

・これを聞いたひばりの子ども
 →「もう駄目だよ、間に合わなくなるよ」
 →お母さん「まだ大丈夫だよ」

◆更に数日後 村人が一人で麦畑にやって来た
 →「じゃぁボチボチ始めるかっ」

・そこではじめてお母さんは子供に
 →『さぁ逃げましょう!!』

自分一人でもやる

この寓話の教えは・・・
「みんなで○○」と言っているうちは
 ある意味はじまらない(どこかで他人ごと)

「自分一人でもやる」になった時
 物事は動き始める
 ・・・本気度も目的も明確だからだ!!

そんな風に
 たった一人で何かを成し遂げたり
 周りを巻き込んで成果を上げてたり・・・

コトの大小には関係なく
 そういった「人」や「場面」に
 出くわした記憶ってありますよね


北京オリンピックを観るにつけ
 まさに『自分一人でもやる予選』
 勝ち抜いた人たちの集合体だよなと
 つくづく感じるし感動もする

ダブルチェック

何かミスが出ると
 オペレーションやチェック機能を改善
(同じ轍を踏まない手段は必須)

そこで登場するのがダブルチェック
(それでも駄目ならトリプル・・)

しかしながら
多重チェックはややもすると
「他の誰かが確認してくれる」
 といった緩さや甘さに繋がり

抜けや漏れや間違いのない
Qualityをお届けする・・・といった
 本来の目的と最終ゴールは
 『自分一人でもやる』と共に
 少なくとも「一瞬」消え去る

技術(仕組み)で解ける問題と
風通しの良さに通じる「適応課題」が混在

言うは易し行うは難し・・・ですよね

乗っかればいい

「自分一人くらい・・」
「自分一人でも・・」

正直なところコインの表裏の様に
 誰の心にも潜んでいる素養
 ではないだろうか

が故にシンプルに
「声を出してランニング」
 のような場面では
 くだらないプライドや言い訳を捨て去り
「声をちゃんと出せばいい」

「ボチボチ○○しようかな」
 といった空気感の時は
 周りの目や他責ではなく
「自分ごととして一歩踏み出せばいい」

その為に
 チェックシートルールといった
 「そんなモノ」と思ってしまうものがあるのなら
 忠実に確実にそれに乗っかって達成すればいい

そしていつしか習慣化され
 その手のモノは消えてなくなればいい・・・
 と思うし
 それこそが風土と文化の醸成だ

「自分一人くらい・・・」
 みっともなくて見苦しいことだと
 いつだって自覚し

「自分一人でも・・・」といった
 泥臭い人をリスペクトしたい


まだまだです・・・しなります

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