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自分が嫌いだ、という自己肯定

あぁ、こんなことをしてしまった。最低だ。
どうしてこんな人間なんだろう。
ろくでもない人間だ。

自分のやってしまったことを後悔し、こうした言葉をつぶやく。

自分を責めてみる。

「自己否定」とか「自己嫌悪」と言われる行為だ。

とにかく自分を責める。どうにもならない思いをどうにか消化しようとして吐き出す。

その行為を振り返ってみて、これは自己肯定をしているのではないかと思った。

こんな自分はダメだ、嫌いだ、と言うことで、「そう考えられる自分はもっとよくできるはずだ」とか「少なくともやってしまったことをダメなことだと考えられる人間だ」というふうに自分を保っている。

自分をどうにか許してあげたくて、どうにか認めてあげたくて、自己否定のことばを発する。

自分の存在を肯定するために自己否定するって不思議。

だから何ってことはないけど、そう思った。そして、こういう現象って実はいろんなところに潜んでいる気がした。

ちなみに、自己否定のことばを受け取る「聞き手」がいる場合、聞き手は「あぁこの人は肯定してほしいんだな」とすぐに察するものだ。でも、自分が話し手になるとそうした自覚がないなとも思った。


自己否定から一周回って、考えたことのつぶやき。



花を買って生活に彩りを…