自分も「強者の論理」に根ざしていたと気づいた話
私は、あからさまに負のオーラを放つ人が苦手だ。
自分のバリアが確立されていないからか、自分のエネルギーまで吸い取られてしまう気がするので、できるだけ距離を置きたいと思う。
そんなわけで、何事もネガティブに、マイナスの方向に捉える人に対して、「なんでそんなふうに考えるんだろう……」「自分で自分の首を締めて不幸になっている」と考えていた。
そして、考え方がネガティブベースの人が、どうしたらポジティブに物事を捉えられるか、どうしたら自分をもっと幸せにできるのかという問いが自分の関心ごとだった。
とくに関心が強かったのは、2017年の秋から2018年のはじめの頃のことだ。
それからしばらくして、私はその頃に比べてだいぶ、自分の状況をネガティブに考え、周囲の状況や他者に対して否定的な感情を抱くようになっていた。
その時、以前の私を思い返し、自分の調子がそこそこによかったからこそ、前向きに状況を捉えることができていたんだなと思った。
そして、「前向きに考えられないのは、その人の考え方に問題がある」と、まさに自己責任論的な考え方をしていたのではないか、と気づいた。
それは結局「強者の論理」(マッチョな思考)であり、そんなことを他者に求めるものではなかったのではないか、と。
いまでも、その時向き合っていた「どうしたら自分も周りも幸せになる考え方ができるのか」という問いは重要なものに変わりないのだけど、「人は状態や環境などさまざまな要因によって考え方も変わる」という当たり前の事実を自分ごととして再度実感してみて、少し考え方が変わった。
変わったというより、「自分を幸せにする考え方」を実践するのは難しいものだと痛感した。
花を買って生活に彩りを…