相対性理論といっても差し支えない

 今日はすこぶるしびれますよ!素晴らしい理論を発見をしました。世界ふしぎ発見はぼくが引き継ぎます。

 訳あって我が家ではシャンプーは風呂場の外に置かれています。外といってもドアのすぐ近くですけど。
 髪を洗うときは、髪を濡らす→ドアを開ける→シャンプーのポンプを押す→手に取る→ドアを閉める→シャンプーする、という流れです。

 今は1月です。ドアを開けると寒すぎて涙ちょちょぎれます。このときです。発見したのは。


 あったかいシャワーを浴びながら冷たい風も浴びたわけです。あったかいと冷たいを同時に感じました。そこに快感がありました。
 もっと正確にいうと"冷たい"を感じたことで"あったかい"が際立ち、"あったかい"の快感を強く感じた、といったところでしょうか。
 
 はい。お察しの通り、露天風呂と全く一緒です。まごうことなき露天風呂です。ぼくは自宅で露天風呂に入ったということです。

 最初から露天風呂っていっておけばよかったのでは?シャンプーのくだり要らなかったのでは?

 うっさい!


 本題に入ります。この世には「相反する2つのものによってプラスの効果が得られる理論」通称「アイプラ理論」が存在することを発見いたしました。

 まずはアイプラ理論によって説明できるものを紹介しましょう。

 手堅いところでいくとサウナ・水風呂でしょうね。露天風呂とあんま変わらない気がしますが。

                気持ちいいのは分かるけどさ
            サウナブームにまんまと乗っかるずぼら人間が
         したり顔で「整う!」とはしゃいでるのは見ていて滑稽だよね

 急にすみません、またうちの姉がハッスルしてしまいました。ハッスル癖があるんですよね、うちの姉。安心してください、きちんとサウナーのぼくが水風呂の良さ叩き込んでおきましたので。

 話戻しますね。

 あとはあまじょっぱいやつとか、外はサクサク中はしっとりのやつとかでしょうね。

 他には「痛気持ちいい」ってやつです。これは「痛み」と「快感」の相反する2つのものが組み合わさることで、「クセになる快感」が生まれているわけです。

「ブサカワ」とかもどうでしょう。これは「ブサイク」と「カワイイ」の相反する2つの状態が重なり合うことで、愛くるしいものに見えているわけです。

「ギャップ萌え」もいけます。「仕事ではリーダーシップを発揮して真面目に取り組むところ」と「自宅ではデロッデロになるまで彼女に甘えるところ」の相反する2つの側面を持つ彼をみて、彼女は「萌える」わけです。ほんと?デロッデロはウザいんじゃない?

 どうでしょうか。少し信憑性出てきたでしょうか。

           「じゃあお湯と水を混ぜて飲んだらうまいんか?」

 これはたしかにうまくない。ぬるい。不快。

 そうすると単に相反する2つのものがあるだけじゃだめっぽい。せっかく得た信憑性を即失いました。信憑性のキャッチアンドリリース。どーしたものか。


 もっとアイプラ理論の精査が必要みたいです。ここから少しずつディープな話に入っていきましょう。

 最初に書いたように"冷たい"を感じたことで"あったかい"が際立ち、"あったかい"の快感を「強く」感じたというのがポイントでした。

 もう少し詳しく分析します。

 "あったかい"シャワーを浴びます。"冷たい"風を浴びます。ここで温度に対するベースラインが一旦下がりました。
 再び"あったかい"シャワーを浴びます。するとベースラインからの上がり幅が発生しました。シャワーの温度は一定なのに。

 そうすると、唯一変化があったのはこの"上がり幅"です。これこそが快感の正体といえます。

 したがって上がり幅が必要である以上、相反する2つのものが相殺し合ってはいけないですね。これが快感を発生させるための条件の一つといえるでしょう。
 さきほどのお湯と水に関しては、お互いが相殺し合ったためにぬるくなり、上がり幅は発生せず不快になったといえますね。

 そしてもう一つ。上がり幅を発生させる前提として、相反する2つのものそれぞれがベースラインを動かせることが必要です。
 つまり、相反する2つのものが「相対性」を有するものでなければなりません。

 たとえば、アイスとワッフルコーンを一緒に食べるとそれぞれを単体で食べるよりおいしく感じます。つまり相対性があります。
 でもうんことコーンは一緒に食べてもうんこが強すぎてうんこ単体で食ってるのと変わらないわけです。つまりベースラインが動いてないってことなので相対性はないってことですわ!

 みなさんがうんこ狂いでなければ腑に落ちたと思います。解説ありがとうございました。

 まとめますと、アイプラ理論は、①ある2つのものの間に相反性があり、②相対性があり、③相殺しないこと、これらを根拠とする理論といえるでしょう。

 この3つの条件さえみたせばよいのですから、アイプラ理論で説明できるものは他にあるかもしれません。みていきましょう。


 たとえばこういうのはどうでしょう。
「空腹は最高のスパイス」というフレーズをきいたことはありませんか。
 これは「満腹」と「空腹」の2つの相反する状態の落差によって、食事がよりおいしく感じられるということですよね。空腹ならうんこいけるかもよ?ご賞味あれ。

 あとは、マラソンを走りきったときやテスト期間が終わったときは解放感がありませんか。
 これも「拘束状態」と「解放状態」の落差によって、縛りがなかった普段の日常よりも生命力のある解放状態を堪能できるわけです。

 少し抽象的ですけど「フリとオチ」もまさにそうじゃないですか。お笑い的には「フリ」があってその「フリを否定する」から「笑い」が生まれるってことですよね。

 どうでしょうか。生意気にも「フリとオチ」まで取り込んでしまいました。
 え?アイプラ理論って「フリとオチ」の二番煎じなの?こんないっぱい力説したのに?


 そっちがその気ならこっちもアイプラ理論で「愛」を語るからね。愛を。

「愛とはその人の短所を愛すること」みたいな格言がありますね。これは単に短所を愛しましょうってことじゃなくて、その過程に本質があると思います。

「大事なのは短所を含めてその人のことをたくさん知ること。そしたらいつの間にかその短所も他の個性と溶け合い、受け入れられるようになる。結果としてそれが短所を愛することになる。」とぼくは解釈しました。

 キャンバスで例えてみます。真っ白なキャンバスに一つ黒い点があったらちょっと気になりますね。
 だけど色んなことを知っていくと他にも赤や青や黄色の点が増えます。
 そうすると、カラフルな水玉模様のキャンバスが出来上がるわけです。
 ここまでくると黒い点すらもその魅力的なキャンバスを構成する一つの点になるわけですね。

 この場合のアイプラ理論に関して、短所によってベースラインが「下がり」長所によってベースラインが「上がる」ことで長所の魅力度が増し、結果としてその人を愛することが出来る、というのはちょっと違う気がします。

 短所や長所その他色んな個性がベースラインを「動かしあう」ことによって魅力の上がり幅が断続的に発生し、結果としてその人を愛することが出来る、といったほうが個人的にはすっきりします。

 このように価値観がたぶんに反映される場面においては、ベースラインが「上がる・下がる」というより、「動く」と言った方が適切かもしれません。

          提唱者がいいならそれでええんちゃう?(( ̄δ・ ̄)ホジホジ

 いかがでしたか、アイプラ理論。もうちょいカッコいい名前つけたかったんだけども。
 残念ながら姉はカバみたいに口開けて寝てます。白目剥いて。みなさんは違いますよね?感動して涙止まんないですよね?

 世の中にはアイプラ理論で説明できるものがたくさんあります。「これ、アイプラ理論やな」とつぶやきながら街中を歩いて職質されてくれれば幸いです。

 お眠り!