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2009年1月16日 胸の奥の深海1

こういうことを興味本位で試すのはまったくお勧めしません。(そもそもただの傷害や事故にしかなりません)誰もかれもがわざわざ体験する必要はないし、わざわざ見なくてもいいものも、世界にはたくさんあります。

【 御注意ください 】

以下の話は、身体技法の専門家同士が、相互に信頼と了解と自己責任のもとに行った内容について記しています。絶対に真似をしないでください。安易にやると、本当に危ないです。何があっても当方では一切の責任を負えません。この話はここで読むだけにしてください。必ず!

《再録》 2009/01/15-16 胸の奥の深海

胸の真ん中には、逆三角形の平らな骨がある。(その名も胸骨。その中心部はダンチュウ、と呼ばれる)自分は仰向けに寝た状態で、誰かが自分の胸骨に手拳をぐっと当ててくる状態を想像してみてほしい。

いっぱいに吸い込んだ息を吐き出すと同時に、その手拳でぐーーーっと胸骨を圧迫してもらう。途中で力を緩めることなく、床に向かって垂直に力を加えてもらうと、胸はどんどん下に向かって沈んでいく。(もちろん様子を見ながら、ゆっくりと慎重に少しずつやるんですけどね)もう息が苦しくて苦しくて、どうにかなりそうになるまで。

いつだったか、そんな体験をした。

大した装備も無く、深い海に潜ったら、きっとこんな感じなのかもしれない。息を吸おうとしても、強く圧迫された肺には新しい空気は入ってこない。身体の中の酸素が少なくなって、頭の中が白くなる。周りで見ている人たちが、わぁぁ、、、と驚きの声を上げているのが遠くで聞こえる。(あとから聞いたら、相当な力で押されていて、私の胸はかなり変形していたらしい。。。)

海の底に横たわって、ゆらゆらゆれる海面を下から見上げたら、きっとこんな感じかもしれないなぁと、ぼんやり考えた。「箱に入れられて、海に沈められる」イメージが、私にはときどきまったく前後の脈絡も無く浮かんでくるのだけれど(私のどこかには、生贄・捨世系の体験の種子が埋め込まれているのでしょうな。きっと)、なんか実にそのイメージ体験に近い感覚なのだ。

肉体はここにそのままあるのだけれど、ただ意識だけが深い深いところに沈められていく。もうだめだ、というところで、ふっと手を離された。ふわーっと大量の空気が肺に入ってくる。からだじゅうの細胞が、酸素をうわーっと取り込んでる。あぁ。生きてる! という実感。ほんの数十秒でも、非日常の負荷がかかると、身体の感覚は明らかに変わる。

それから。

「うわぁー・・・ すごい体験したぁ!」「いつもやわらかいから(※)、よけいな抵抗をせずに、負荷を自然に受け入れられるんだね。かなり強い圧をかけても大丈夫だったなぁ!」みたいな話をして、周囲の人の感想を聞かせてもらって、時間と体験をシェアした。以上。瞬間的に濃密な体験は、これでおしまい。その場で起こったことはそれだけだった。

でも、この話にはまだ続きがあるんだ。

※ 註: ここで言ってる「やわらかさ」とは、単にべたーっと開脚できます、とか、足が高く上がります、とかそういう一般的な話とはかなり違う。例えば、水を入れた袋をゆするみたいな。草むらに風が吹いて草がそよぐみたいな。そんなように自然な、作為の無い、自動的な反応、みたいな状態を「やわらかさ」と呼称している、と思ってください。


治療家としての腕を磨くはずだったのに、いつのまにか占い師になっています。どこに行ってもしぶとく生きていたい。