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2010-07-13 マンモスと夢の途中

あのころは、よく夢を見ていた。インディジョーンズも真っ青の、大アドベンチャースペクタクルなシリーズばっかり見ていた。

2005年から2006年にかけてのことかな。

ある日、夢の中で、私は見知らぬ妊婦の身代わりになって死んだ。
マンモスに追いかけられてる妊婦の身代わりになって死んだ。

死に際の瞬間に、考えた。

「こんな風に、見も知らぬ人の身代わりになるなんて。相変わらず私は向こう見ずで、おひとよしで、つくづく馬鹿だ。でも、これで二つの命が助かる。私は私らしく死ぬ。これでいいのだ」

って。

そこで夢はブラックアウトして、終わる。
あまりにもリアルな夢で、本当に死んだかと思った。
でも、目が覚めたら、元気に生きていた。

しばらくして、妊娠中の女性と新しく知り合った。
マンモスと妊婦の夢のことは、考えないようにした。

臨月近い頃、逆子で困ってる、って言う彼女は、ここまでわざわざ(私の仕事場ね)やってきて、逆子治療をオーダーした。

正直なところ、私は逆子治療には自信がないし、乗り気じゃなかった。(あ、でも一般的に鍼灸治療は逆子に効く、と言われていますよ。これは単に私の治療経験値と腕の問題、であります)

触れながら、彼女はあまりにも疲れすぎていると思った。
彼女の闇の深さを感じた。
でも、その笑顔と闇の深さとの乖離が恐ろしくて、何も言えなかった。

数日後に「逆子治ったよ!」と連絡をもらったけれど、心配だった。どうしようもなくて、雑司ヶ谷の鬼子母神で、ずっと祈っていた。それ以外には、もうなにもできなかった。

しばらくした後、私は京都に居た。暑かった。空気が重くて。(実はあんまり京都は好きじゃない。こわいんだ。なんとなく)

その頃、いまにもどうにかなりそうなくらいに忙しくて、私はいまにも壊れそうだった。

京都の町中を離れたくて、高山寺に行った。生涯にわたって、夢の記録をつけていたお坊さん、明恵のお寺だ。

鳥獣人物戯画を拝観して、縁側でぼーっとしていた。空気は澄んでいて、秋の気配が少しだけ感じられた。トンボが飛んで来て、私の目の前の床に、そっと止まった。

あ、これはなにかのお知らせなのだろう。そんな気がした。

結局、巨大なマンモスにやられて死んだのは、私じゃなかった。

京都から帰って来たら、彼女が亡くなったという知らせを受けた。彼女はお産は無事だったけれど、その後自ら死んだ。

亡くなってる姿に会っても、いったい何が起こったのか、とても受け入れることはできなかった。美しい顔が、少し歪んでいた。

私の記憶に残るのは、彼女の身体の感触と、そこで感じた闇。鬼子母神で感じた果てしのない重さとやるせなさ。最後に見た横顔の美しさと、触れた身体の冷たさ。

それだけ。

結局、なにがあったのかなんて、わからないまま。いつまでも、決して知ることはない。すべて闇の中だ。あれ以上、なにもできることなんてなかった。

甘ったるい夢や希望なんか、すべて徹底的に打ち壊された。なぐさめとか、共感なんて、存在する余地はない。


私に残されたのは、膨大な敗戦処理、みたいな毎日。それでも逃げず、壊れられない自分がつくづく恨めしかった。なぜ、彼女と知り合ってしまったのだろう?ほんの数ヶ月の、数回しか会わない付き合いでしかなかったのに。

マンモスは私の肉体を殺すことはなかった。
私の肉体は丈夫だ。そうそう簡単に殺られはしない。
いまでも生きてるのは私だ。

マンモスはあれ以来、もう一度も現れない。
私はいまや、全然夢を見なくなった。

これからもこのまま忘れずに、このまま抱えていくしかない。
廃墟の焼け野原からも、いつか新しい芽が出てくるって、そう信じて毎日暮らしているだけ。

それだけ。

治療家としての腕を磨くはずだったのに、いつのまにか占い師になっています。どこに行ってもしぶとく生きていたい。