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自分語りです。乙。(其の3)

いまどきのことは知りませんけど、治療院勤務の労働形態なんて、どこもおよそブラック職場もいいところでございました。わたしの勤め先のように、きちんと毎月お給料が出て、定休日がある、というだけでも御の字!!!でございました。残業代?なにそれ食えるの?給料遅配、院長の私用に呼び出されて使われる、みたいな話はざらざらとあふれていて、業界的にも枚挙にいとまがありません。

そのときわたしは29歳になったころで、サターンリターン真っ最中。(そのころは占いは一切していません)せっかく25名だかの並み居るライバルをぶっちぎって採用してもらったその職場。もしも、そこで働けなくなったらもう絶対それ以上の職場に採用されることはない。なんとか独立できるまでの経験と実力が身につくまで、なにがなんでも、なんとしてでもこの職場に居続けなければ!という固い決意を抱いていました。

わたしは若い頃から毎月の月のモノがたいへん激しく症状がでましたので、そういうときはなにもかも放り投げて寝ていたいのが本音です。しかし、幸か不幸かワタクシなかなか丈夫にできておりまして、大量に鎮痛剤飲めばなんとでも動けます。風邪もめったに引きません。そこに勤務している間に体調不良で休んだことはいちどもありませんでした。

そうはいっても、早朝から夜遅くまで、あまりのハードワークと体調不良が重なったときなどに、具合悪くてモーローとした状態で顔色悪く職場にいると「なんだその顔は!もっとしっかり口紅塗って化粧してこい!」とボスに怒られました。そうだったそうだった。懐かしい。なんだよちくしょーこきつかいやがってがっぽり儲けてるクソボスめ!とおもったものです。いまは顔塗りサボってるので、ちょっと顔色が悪いですね。もっと真面目に塗らないと。

いろいろと細かいローカルルールが多くて、注文の多い難しい職場だったので、わたしのすぐ下の代は、なかなか新しいスタッフが職場に居着きませんでした。とっかえひっかえいろんな人が出たり入ったりして、いつまでもわたしは下っ端でした。あるスタッフがようやくちょっと続いたかとおもったら、ある日突然職場に来なくなった。その新入りさんの親御さんから職場のボス宛に巻紙みたいなながーいお手紙が来ました。

「人の健康を守る職場の人たちが、職員の健康を害するような働き方をしていていいものでしょうか?まだ職場に慣れない新入りを早く来させて、最後に帰すだなんてひどすぎます」と書いてあったそうだ。え?だって、わたしはずーっと下っ端期間が長かったので、先輩の分までぜーんぶ雑用してきましたけど。それがなにか?だって、そんなもんでしょう?人生って。

まぁそんなものよと割り切って、体調が悪かろうと、気分が悪かろうと、理不尽な要求の患者さんが続こうと、分厚く顔を塗りたくって、なにも感じない、なにもかんがえないようにして、いつもどおりにこにこてきぱききびきびと仕事するのです。だって、そんなもんでしょう?世の中のお仕事なんて。

そんなにひどい症状じゃないような患者さんがどんなにご自身の体調不良を訴えてこようとも「そうですか。そうですか。それはお辛かったですね」なーんて答えながらも、心の中では「どーでもいいけどいまのあなたより、わたしのほうが体調悪いよね〜。あはははは…いい会社にお勤めして、家族にも恵まれて、こんな時間からこんなところでしょっちゅう丁寧な手厚い治療を受けられるだなんて、あんたは恵まれてていいよねー。結構なことですよ。羨ましいですよ。あはははは…」なんて心のなかでひとり喋っているのです。もちろん顔は満面の職業的笑顔仮面ですよ。

んー。そういう状態がずっと続くと、それはそれは、このうえなく荒んだ気分が普通の状態になります。それがなによりも嫌だった。そんな気持ちでしかできない仕事が本当に嫌でした。でも、職場なんて、仕事なんて、そんなもんでしょう?そうおもっていました。

当時付き合っていた人は、わたしが土日休みでないことや、有給休暇やボーナス?なにそれそんなのないよ状態で、職場でかけてくれる社会保険さえなくて、あまりにも貧乏で時間も余裕も体力もないことがまったく理解できないようで、よく文句を言われました。いらいらした。このうえなくひどい別れ方をしました。そんなものでしょう?人生なんて。そうおもっていました。

そのころ、ボスがよく笑いながら嫌味を言っていたものです。「みんな雇われて勤めている間は、休みが少ない。休みが少ないって文句言うけど、自分が独立すると休みなしに働くようになるよ。私の予想は絶対に当たるから、見ててごらん。雇われている間は気楽なもんだ。独立して初めてその厳しさがわかるんだ。休んだらゼロ円なんだよ」と。

ああ。そうでした。ボスの言っていたことは正しかった。わたしは、独立してからは、インフルエンザになって急に予約をキャンセルしていただいたことがいちど、かなぁ。そのときキャンセルさせてもらった方の半分くらいはもう二度とおいでにならない。そんなもんです。唾液腺切除手術を受けることになって、2週間ぐらい手術&入院で、そのあとも1ヶ月くらい仕事できなかったときは(肉体労働なのでな)、3ヶ月前から周到に根回ししたうえで、ようやく倒れこむように休みました。そのあいだもやっぱり収入ゼロ。患者さんもだいぶ離れましたけど、まぁ当時は限界まで広げてたからそのくらいのことがないと止められなかった。

それでも、独立して本当によかったことは、勤務して使われていたころのように、目の前に体を横たえている人のことを羨んだり妬んだり、たくさんの呪詛を自分のなかに溜めながら仕事をすることがなくなった。自分の限界を超える依頼を引き受けると、自分だけでなく依頼者にも迷惑をかけて、それ以外の人にも迷惑が波及する。それがよくわかった。だからできる範囲のことしかできない。それがはっきりわかって、そこを死守しているので、これだけでも、独立してよかった。これで本当によかったとおもっています。

文句を言う相手であるボスはいない。自由だ。その代わりに、なにがあってもぜんぶ自分の責任だし、誰も守ってくれない。独立する条件のひとつとして「孤独に強いこと」を挙げた先輩の話を聞きましたが、それはまさに正しかったと、いまのわたしは思います。依頼心・依存心が強かったり、他者評価を求めるタイプの人には、ひとりで仕事をするわたしのような治療院スタイルを維持することは難しいでしょう。(ほかのやりようがいくらでもあるので、別に独立するなとは思いませんよ)

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天海玉紀(ウラナイ8)
治療家としての腕を磨くはずだったのに、いつのまにか占い師になっています。どこに行ってもしぶとく生きていたい。