はしりがき

恐らく作家という生き物は、その作家自身の身辺や、関係性、近所の噂話、ひいては世間情勢について記録し後世に残して伝えていきたいと思うものである。
それもまさに自分こそが正当なこの世界の伝承者、語りべであると。
たとえ歴史の教科書には自分の名前ではない「琵琶法師」といったような刻まれ方をしたとしても、後世に自分の語りが脈々と、細々としてもいい、とにかく伝えてこれからを生きる人の武器になればそれで満足だ。
それが果たせて初めて、自分が生まれ背負ってきた使命を果たせたと思うのであろう。

さて、現代はというと。
言わずもがな、コロナという狡猾な敵と我々人類は戦っている。
この状況下では単に未知のウイルスとの闘い、と表現するわけにはいかないことは皆さんもご承知の通りだろう。
コロナがもたらすもの。
経済的危機。経済的弱者の現実が一層浮き彫りになった。一方では特定の企業に特需という富をもたらす。
社会の脆弱さ。コロナ以前から在宅ワークという言葉は船頭のいない舟のようにゆらゆらと流れていくに過ぎなかった。ごく一部の人間がその小さな舟をのりこなし悠然と仕事をしていた。ゆえに人間同士が物理的に集まらない仕事の仕方を殆どの人々は知らなかった。
それがゆえにストレスを募らせる人も多くいる。
学校教育も有象無象様々な議論が交わされた、ように見えて結局は変わる気がないように見えてしまう。

そして行政への不信感は強まるばかりだ。
政府や国会のこの状況下に対する対応が完璧でないのは「仕方のない」ことだ。
なにせ人はそれぞれの仕事をもち、それぞれの地域の問題を抱え、それぞれの家庭があるからだ。
おのおの国民に対応していたら行政の仕事は成り立たない。
しかし「仕方のないこと」で片付けられてはならない。


今地球上にいる全ての人が、はじめて経験し、ひとりひとりが直面するこのウイルスがもたらした問題。
みんなが迷い右往左往する。
そんななかでもまた、政府や世界のトップ機関もまた迷い対応が後手になる。
「仕方のないことだ」。でもせめて、何を目的にして政策を行うのか。為政者としての説明を施して欲しいと強く思う。
何を考えて行動するのか。それを公にし広く万民に伝えること、それがまた後世に対しての学びになる。

そして作家はまた伝える。
今、作家が取り上げる題材は溢れるほどある。題材を物質にしみたら、恐らくその量は地球の底から宇宙のはてまではあるだろう。

作家しかり、表現者は狂喜乱舞する時代かもしれない。
我ここにあり
いざ語らん

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