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母の願い、娘の想い
休日の朝、来客を知らせる玄関チャイムが鳴った。インターフォン越しに用件を伺うと、母が入信している宗教の方で、元信者への再入信のお誘いとのことだった。多分母から依頼されて来たのだろう。そうでなければ、私の名前や住所など、分かるはずもないのだから。
母からはこの28年、宗教に復帰をするよう強く言われ続けてきた。親孝行になることなら何でもしたいけれど、入信だけはしないと断り続けてきたが、母は全く諦めていない。説得に応じない娘に業を煮やして、宗教幹部に訪問を依頼したのだろう。
愛する母の願いを叶えられない苦しさを抱えたまま、自分の信念を貫くのは、想像以上に辛いものだ。同じ宗教仲間として、神が約束する「新しい地」で永遠に仲良く暮らしたい。娘が神に滅ぼされてしまう前に、なんとか救い出したい。そんな願いを母は持っている。
一方で私は、そうした教義を信じていない。信者だったといっても、幼児のころから強制的に宗教活動をさせられていたに過ぎない。生きていくためには、親に従うしか道はなかった。神の名の下に行われる児童虐待を受け、信者の子どもたちが虐待される様子を目にしてきた。思考や行動を制限され、子どもらしい日々を送ることなく大人になった。ようやく脱出できた今、宗教組織に戻りたいとは思えないのだ。
私が、母の信仰心を尊重しているのと同じように、母にも、成人した娘が自立して人生を歩んでいることを尊重してほしいという想いがある。
母の願い、娘の想い、平行線のままだけど、お互いに譲れない信念があるのだから、どちらかが妥協したり、犠牲になったりするのではなく、それぞれの信念を大切にしたらいいと思っている。綺麗な着地ではないけれど、それでいい。
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