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年越し宗谷岬 with ミニベロ RITEWAY GLACIER 〜シベリアへ向けて〜

旅をしていると一度は耳にしたことがあるだろう名前ではないだろうか。"年越し宗谷岬" そして自分も名前を知ってからというもの一度は行ってみたいと思っていた。
自分が年越し宗谷岬へ行く目的は今年の年末年始に控えているシベリアorサハリンツーリングの為である。丁度一年前の今頃は厳冬期自転車アメリカ横断の真っ最中だった。その時に考えていた事がある。

「この厳冬の北米大陸を走り抜ける事ができるならば厳冬期にシベリアorサハリンの地を走る事もできるのではないか。」

という挑戦中に感じた新たな挑戦だった。

そして見事に北米を横断した。当時は達成感から今の自分なら南極にも挑めると思っていたほどだ。

それから一年。

厳冬期の北米を横断した事で寒さへの対応や知識は蓄える事ができた。だが、一度は雪の中を走らければと思っていた。その理由は北米横断で豪雪への対処、術を身に付ける環境はそれほど無かったからだ。むこう(北米)では雪は降るものの除雪作業が早く一晩すると道から雪が消えるのだ。とはいえ、寒さは雪が無いからと言っても平均の寒さは-15度を下回る事が連日続くこともあった。髪を伸ばし寒さを微々軽減させたが走行中に発汗すれば立ち止まった際に湿った髪は瞬く間に凍りついた。シベリアorサハリンを走るには極寒の寒さ対策に加え"雪"への対応策、対処策が必要だった。 シベリアorサハリンへ行くのは2019.20年の年越しだ。(年越しの理由は自身がサラリーマンで旅を続けている為だ。)環境下はもちろん水分という水分が凍てつくマイナス二桁の世界。それも過去に経験した(-30度以下)最低気温から更にマイナス十度(-40度)は下回るほどの環境が推測できる。溶けない雪、汗の処理、水分の確保、想定できる課題は数え切れないほど幾つもある。例えば、氷点下の世界で飲み水を確保するには外気に近い水分は全て凍ってしまう。そのため、インサレート(保温&保冷)ボトルへ入れる事は誰でも思いつくだろう。しかし、マイナス二十度以下の環境ではインサレートボトルであってもボトルキャップのプラスチック部分から徐々に外気が当たりシャーベットになり始め終いには凍りついてしまい水分補給できなかったのが厳冬期北米横断(使用したのはインサレートのklean kanteen)の洗礼だった。その環境下に立たされ思いついた自分の行動は糖質の高いドリンクを中心にする事だった。コーラやスポーツドリンク(主にPower core &Gatorade)にする事で通常の水に比べ氷点が下がる。 また、250mlほどのペットボトルを常時胸ポケットへ入れていた事もあった。(万が一全て飲料が凍ってしまい、一時的に脱水症状を緩和する為に。それでも飲料が全て枯渇した時もあった。その時は手元にあったマヨネーズをひたすら飲んだ。)話が北海道から少しばかり離れてしまった。そんな情報は誰も必要ではないのでもしかしたらこの文章を一言一句読んでいる貴方は冒険家気質な旅人だろう。 または自分と似たような世界へ準備しているのだろうか。冒険家への道のりは果てしなく遠い。世間一般で必要とされないこんな知識に興味があるのだろうか。。。北海道の年越し宗谷岬に話を戻すが、現在の拠点である宮崎から車で福岡空港まで3時間半かけ移動。福岡へ着いたのは夜中0:00過ぎだった。同日は夕方まで仕事だった。夜中に福岡へ着いてから向かったのは自転車店だ。そんな時間に営業しいているお店はまずないだろう。しかし、大学時代から4年ほど付き合いのある自転車店hirabikesの店長に対応していただけたのだ。これまで自転車日本一周、厳冬期アメリカ横断、カンボジア縦断と、旅に使用してき自転車のメンテナンスは全てこのお店だ。(店長自身アメリカへの渡航経験も豊富な為、過去にも数多くのトラブルに対処して頂いた。)予め連絡して注文していたキャリアを取り付けてもらい、自転車は通勤自転車の姿から厳冬の北海道を走れる旅仕様へ変わった。

こんな夜中に対応していただいた事には本当に感謝している。その後はツールド沖縄を二度共に完走した友人の宅へ移動し、翌朝のフライトや自転車の装備品のパッキングを済ませる。宮崎から車で移動してきた為、ボストンへ装備品やウェアは雑に詰め込んできたのだ。そして、積載の重量配分も考慮し、フロントやリアに上手く分散させる。パッキングする際に意識するのは装備品の絶対使用頻度だ。パッキングの方法は縦走登山や60リットルほどのテント泊登山のパッキングを参考にするといいだろう。登山関連の本には自転車旅で応用できる知識や術が沢山溢れている。自身が好んで読むのはPEAKSや山と渓谷。その知識や方法は自転車でベターな方法として認知、固定概念として植えつけられていない。この登山のパッキングを意識し、パッキングは「走行中に使用するもの」「ビバークする際に使用するもの」「体温調節の為のウェア」「モバイルバッテリー,撮影機材」このくらいだろうか。あまり細かく振り分けると逆に使いづらい。電子系統の撮影機材やiPhone関連のグッズは比較的重量もある為トップチューブバックとリアキャリアの上に積載している黄色のボストンバックに振り分ける。慣れた作業で寝る暇はフライト時間に任せパッキングを終える。そして仮眠後に翌朝福岡空港へ向かう。車は友人宅に旅の間だけ預かってもらった。帰路は空港から自走で友人宅まで行く。福岡空港へ来たのは北米横断帰国以来だった。色々と、この空港にはお世話になってきた為、たくさんの思い出が詰まっている。フライトは正午だったのだが、フライト先の新千歳空港が大寒波の為フライト時刻が延滞してしまった。

予定よりも北海道入りが遅くなる。現地で合流予定のcyclingmanへ連絡を交わし現状を伝えた。予定より小一時間遅くなるが基準計画通りになりそうだとのこと。フライト時間は3時間ほど、飛行機だと日本列島を縦断するのも3時間だそうだ。私は自転車で福岡から札幌まで2週間を要したのに飛行機はたった3時間だ。3時間。。、いつか自転車でこのくらい、、、これ以上は控えさてもらう。余計な事は言わない。口は始まりの元だ。やりたい事はとことん口にしろ。口にし、行動にした者勝ちだ。けっかは後から付いて来る。付いて来るかは分からないが準備をした者だけにしかやってこないのは事実だ。
北海道へ入ったのは予定時刻の15時から1時間遅れの16時過ぎだった。

新千歳空港からcyclingmanがステイしている滝川市まで輪行で行く。

辺り一面は雪景色だ。電車の中からこれから自転車で走る環境をまじまじと見せつけられた。しかも初日のファーストライドはナイトライドからだ。そうこうして、様々な思いを馳せていると滝川駅に着いた。着いたのは18時過ぎだった。広いスペースで自転車を輪行袋から取り出し組み立て始める。すると後ろから懐かしい声が聞こえてくる。そう、cyclingmanだ。北米横断する前に会って以来の1年ぶりの再開だった。

積もる話は雪より多かった。そして空輸、電車を乗り継いで2000km近い距離を輪行してきた自転車を組みたて終わり遂に旅が始まる。

今夜は計画だと滝川駅をスタートし、留萌迄の60kmほどの山間部を絡めたルートだ。積雪は優に50センチはあるだろうか。路面はアイスバーン、ブラックアイスバーン状態だった。スパイクタイヤを履かせた自転車から降り足を着けば滑り転倒する。なんと北海道では自転車の上の方が安全なのだ。これには笑った。旅の初日はやはり気持ちが高揚しており、テンションが高い。しかし、冷静な自分は既に今後の自分を想像できていた。その想像は過去の旅の経験からよく分かる。(案の定想像通りだった。先に続く)数時間後辺りは町を外れ山間部へなり徐々にアップダウンが増える。夜の北海道は自動車の交通量が少ないのがいい。日中は交通量が多く運転手も自転車側もハンドルに気を遣う。思っているよりも集中する為、疲れが増す。寒さはマイナス7度前後だった為、寒さはほとんど感じる事は無かった。走っていると想像よりも身体は暑くなり汗を掻く。箱根駅伝を半袖半パンで走る姿を想像すれば分かりやすいと思う。休憩、止まる際は体温が下がる為、保温する為にダウンやウェアを着て走行し上昇した体温を極力保持する。
体温は一度下がってしまうとなかなか自力で上げる事は難しい。外的要因で暖められない環境下ではテント内、前室でバーナーを使用し、身体を温める。しかし北海道は私たちに優しかった。留萌へ着き、冷めた身体を山岡家留萌店ラーメンで温めることができた。

そしてプランニング通り、近場にテントを設営した。滝川から留萌まで来ると日本海の風が強く当たる。暗闇の中で比較的風当たりの弱い建物の裏へ設営をした。その晩は長時間移動に加え、初日にナイトライドも重なった為すぐに寝落ちてしまった。翌朝。目が覚めたのは風の音の目覚まし時計だった。
朝なのにテントがやけに暗い。シュラフの中からテント天井部を見ると雪が積もってテントが圧迫されていた。恐る恐るテントから外を覗くと昨夜の場所とは思えない景色になっていた。


風は吹き曝し、雪も吹き荒れた。綿雪は水分が多く面積も大きくテントに重くのしかかっていた。

隣のテントからもぞもぞと音が聞こえる。cycling manもようやく起きたようだ。彼も外を見るなり笑い始めた。お互いに語彙力が崩壊し、一旦テントを閉めた。とにかくこの吹雪が収まらない限り進めない。運良く昨晩設営した場所は建物の影で風除けになっていたのが幸いした。もし、更地に設営していたらと考えるとゾッとする。その後1時間〜くらい経っただろうか。風が弱まり時折青い空が覗いてきたではないか。

この天候の変化に二人して歓喜する。磯早に撤収作業を開始した。

気温は低い為結露した水蒸気はテントのフライシートで凍りつくので叩けばパサパサと落ちてゆく。これは氷点下の旅のメリットではないだろうか。大抵、20度前後など快適な気温で旅をするとテントは朝起きると結露でびっしょりに濡れている。それを乾かさないと翌晩テントを設営する際は湿ったテントで寝るハメになるのだ。撤収を終えて食糧を補給する。2日目は留萌から天塩までの110kmほどのロングライド。朝食を軽く済ましその後は補給食で進む。時間効率も考慮してのことだ。

補給食にはバナナを選んだ。コスパも含めて栄養バランスも良い。(ロードーレースでも食べる選手がいるほど)
そして、信号の無い一本道をひたすらに走る。
休憩のタイミングを挟むのはコンビニが無いと
ついサボりがちになってしまう。黙々と走ってしまい隠れハンガーノックになりそうになるのでチョコレートやバナナで補う。
そして、冷たいドリンクで流し込む。
北米でも使用していたカンティーンボトルを使用していたが北海道では中身が凍てつく事は一切なかった分、水分補給は楽だった。

日本海側の海は荒々しく勇ましい。

手塩へ無事にたどり着いたのは夜の8時だった。目的地にしていた温泉でアイシングされた身体を温める。
そして、温まったところで外で寝る。


そして3日目はオロロンラインへ入る。当日は曇り空で生憎の天気だった。前日は吹雪だったと先方を走るS.K氏から連絡が入っていた。
しかし、自らが走る際には奇跡的に晴れ間が覗き、真冬の利尻富士が見えた。

夏に一度見た事も島へ渡った事もあるがこの冬にしか見えない利尻富士は別の美しさがあり感動した。
感動したのもつかの間、後ろを振り返ると天候は怪しげな雲が迫ってきていた。
逃げるようにその場を後にし、また走り出す。

しかし、宗谷岬手前の街である稚内目前で
追いつかれてしまいホワイトアウトしてしまう場面もあった。

なんとか峠を越え稚内へ入り、宗谷岬へたどり着く。

ニューヨークで年を越した翌年は日本最北端の地である宗谷岬で迎えることができた。
またこの土地を目指してきたTwitterのフォロワーの方とも出会うことができた。

自分と似たような感覚の人とは久しぶりに会った為、つい喜んで話し込んでしまった。
特に印象的な人物はTwitterでS.Kのネームのクレイジーガイだ。

そして2019年の年越しは更に離れた北の大地へ行くこととなろう。。

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