「成人式意見発表」2014.01.05

「迷わず行けよ」という言葉があります。「一度決めたら突っ走れ」、「考える前に動け」という言葉も聞きます。

一方、「急がば回れ」という言葉があります。「危険な近道よりも、安全な遠回りの道の方が結局早い」ということですから、行動を起こす前に、何が危険で何が安全なのか、一度考えなくてはなりません。

このように、私の生きる世界では矛盾し合う言葉が飛び交っております。さて、皆さんはどちらを選ぶでしょうか。

私は「急がば回れ」を選びます。立ち止まって作業が滞ってでも、常に悩み、少しでも自身にとっての実になる道を進むよう心がけます。

もちろん「迷わず行く」ことも大切でしょうし、その気持ちを忘れたくないとも思いますが、悩み続けながら少しずつ進む生き方が私の好みであるというだけのことでございます。

高校卒業後、東京の大学へ進学し、都内での生活を送ることとなりました。夢の新生活が始まりまして、一番に驚いたのは駅のホームへ向かう階段でのことです。

電車は今そのドアを閉めようとしており、「駆け込み乗車はおやめください」とアナウンスが流れます。もちろん私は次の電車に乗ることにして歩調を緩めますが、後ろからは「この電車に乗ってやろう」とスーツ姿や若者が階段を駆け降りてくるのです。

その危険さたるや、キャリーバッグを持ったお婆さんが手すりにしがみついて怯えているのを見た日もあったほどでございます。

ところが駅のアナウンスも「駆け込み乗車はおやめください」というルールだけ提示してそれ以上は何も言いません。しかし階段を駆け降りる人がいなかったことは一度としてありません。

このように、私の過ごす街では何が正しく、何が悪いのかが曖昧なままであります。さて、皆さんはどちらを選ぶでしょうか。

私は当初「人の波を妨げてでもゆっくり歩く」ことを選びました。というのも、駅のホームに流れるアナウンスに逆らうことが正しいとは思えなかったからであります。

しかしながら、都内での生活に慣れるうちに、いつの間にかスーツ姿や若者と肩をぶつけ合いながら階段を駆け降り、ホームのアナウンスを尻目にドアが閉まる寸前の電車に飛び乗るようになっておりました。キャリーバッグを持ったお婆さんを脅かす側の存在になっていたのでございます。

あれだけ嫌悪していた行動が、何故これほどまでに自身の生活習慣として定着してしまったのか考えてみますと、何が正しく何が悪いのかということよりも、現在の自身の性格に何が合うのかということを考えるようになったからであろうと結論づけられます。


互いに対立する意見が溢れ、選択肢が溢れ、さまざまな正解が溢れる世界で、「何が正しいか」という問いに答えることは非常に難しいと思います。ただ感覚的にその答えを出すのではなく具体的にどの部分が正しいのか、という根拠をもって判断する必要があると思います。

その為には、まず多くのことを知らなければなりません。多くの情報に触れ、さまざまな意見に耳を傾け、そこで初めて自身は何が正しいのかということについて、やっと考えることができると思うのです。しかし私はまだほとんど何も知りません。

冒頭の「悩み続けながら少しずつ進む生き方が私の好みである」部分でさえ、現在の自身の知識から絞り出せるのがそのような答えなのであって、これからの人生で、先人の生き様や問題の解決方法を新たに知るたび、少しずつその答えは変化するでしょうし、10年後の自身に同じ質問をしたときは「迷わず行けよ」という言葉を選ぶかも知れません。


さて、現在の私にとって、どれも正しいように見え、同時にどれも間違いのように見える言葉や行動に囲まれた環境において何かを選ばなければならないとき、きっと最終的に残る判断方法は、それが好きか嫌いかということだと思います。

私はつい先日まで、「今まで島で培ってきた生き方でこれからも生きていこう」と考えておりました。しかしながら、都内での生活を送る中で、故郷では味わえなかったような思いや経験をするうちに、生き方とは今決めることではないのかも知れないと、自身が「正しい」と信じていた生き方を疑い始めました。

何が正しいかを判断するにはまだ経験も知識も足りません。何が正しいか答えを出せないまま終わってしまう可能性も十分にあります。しかし、今は自身の好き嫌いという正直な気持ちで判断し、知識や経験が増えるにつれ、それを用いて何が正しいのかを考えるようにしたいと思います。

私達はまだまだ学び足りません。さまざまな葛藤を抱え生きていく上で、まず自身の気持ちに正直になること、そして、進んで学ぶことを忘れないようにしたいと思います。


以上で意見発表とさせていただきます。

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