2021.5.7

朝からMIZの新曲を作っていた。以前記したあるプロジェクト用の曲だが、なかなか心地いい瞬間が来ない。こういうのは快感の苦しみとして後から語りがちだが、やはりその時間は苦しい。

MIZはKings of Convenienceというノルウェーのアコースティックデュオの影響を受けて始めている。

19歳のとき、友人と共にヨーロッパ周遊の貧乏旅行に出た。ユーレイルグローバルパスという、3週間とかの単位でEU圏の高速鉄道が定額で利用できる切符を買って、フランス、イギリス、ドイツ、イタリアを廻った。

フランスのリール駅からドイツのフランクフルト駅に移動する際、TGVに揺られながらベルギー、スイスを通過した。

車窓から見下ろすスイスの町並みはどれも美しく、首都のチューリッヒに辿り着くまでは、山脈に開いたトンネルを抜けるたびに自然豊かな地方都市が現れ、その景色に感動した。

先ほどまでと打って変わって、ちょうどアルプス山脈を見上げるような地帯に差し掛かったとき眼前に広がったのは、一面の草原と、風車、羊飼い、チロチロと流れる雪解けの小川だった。それはまさにアルプスの少女ハイジの世界であり、あまりの透明度に驚いたことを鮮明に覚えている。

帰国後、1年近く経って友人に勧められたKings of Convenienceを聴いたとき、僕はほとんど時差なくアルプスの光景を思い出した。その景色を見たときには知らなかったアコースティックデュオの曲を聴いて、である。

そこには強烈なノスタルジーがあって、自分が経験しているかも知れなかった過去を思い出す、とでも言うような独特の興奮があった。

それから、そのノスタルジーを再現することに熱を上げた。いつか僕がノルウェーのミュージシャンに触れて感じたように、僕らの曲を聴いて、なかったはずの過去を思い出してもらうことはできないかと考えたのである。

だから、MIZの曲を作るときはそのノスタルジーが発生するかどうかが肝になる。ただアコースティックの弾き語りであれば良いのではなく、その先にある不思議な感覚が音楽に出現するかどうか、という。

MONO NO AWAREの新しいアルバムも、その影響を受けていると思う。今回のアルバムは、なかなかうまく言語化できない。

今日はアルバムに関する初めての取材で、前作まで何度かお世話になっている人とのオンラインインタビューだったが、どうにも言葉に詰まるシーンが何度もあり、以前にないもどかしさを感じた。

言いたいことがまとまらないのは、もともと思い描いていた何かに比べて、アルバムに収録された曲がその世界の一部に過ぎないからかも知れない。

もしくは、Podcastや玉・流・成など、語らずして伝わるコミュニケーションに浸かり過ぎて、誰かに言語を使って伝えるスキルが落ちているのかも知れない、と思った。

しかしながら、終盤にインタビュアーの方に言われた「あの懐かしい感じは残ってる」という言葉は嬉しかった。そのなんだか懐かしい感じ、そうとしか言えない何か、それが非言語表現の持つ魅力の一つですよね。そう、あの懐かしい感じが僕も愛おしいんですよ〜。インタビュー中はうまく反応できなかったけど今考えたらそう!それ!そう!!

そう!それ!そう!!しか言わないでインタビューが終わったら最高なのに、と思う。

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