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踊りましょう、音楽は日々の中にでも -徳川まつり「シャル・ウィー・ダンス?」についての走り書き-

aikoは人生な徳川まつりPのtamakiです。

本日念願の徳川まつりソロ4曲目となる「シャル・ウィー・ダンス?」が世にリリースされました。
なお同日、先ほど人生と書いたaikoさんの42枚目のシングル「ねがう夜」も発売となります。私の人生を動かしている二大AB型の女、その新曲が同日なのでさすがに人格が反復横跳びしてます。何の因果かな。

何せ約5年振りの彼女のためだけの曲であり、そしてその約5年の中で徳川まつりPとしての人生をそれなりに歩んできたので、これからやってくる日常のあれこれに思考が踏み荒らされないうちに文章として何らかの形で残しておきたいと思い筆を執りました。

と書いていますが何のことはない、要するに解像度の低い感想とかそういう文章というやつです。
びっくりするほどまとまってなくてフワッフワです。
話があっちこっちに飛びます。わけわかんないです。

↑秒数指定したのですぐ再生できます。

(2023.1.4追記)
なんとサブスクが解禁されたのですぐ聴けちゃう。一応SpotifyとYouTubeMusic貼るけどお使いのサブスクで検索してお聴きください。

歌唱の印象

すわちゃんの歌い方とか、パキッとした、それこそ声から既にキラキラしているような可愛い声が私の一番好き~なまつりボイスでとてもとても良かった。今まで聴いた中で一番かも知れない(オタクはすぐ最高を更新するのでこんなこと言うのは今だけかも知れない)

Decidedとか瞳の中のシリウスとかミラージュ・ミラーとかDIAMOND JOKERとか、まつり姫のキャラクターにあまり寄ってはいないタイプの歌唱は既にあるんだけど、まつり個人名義の曲で、まつり姫を全面にするのではなく、より内面にいるまつりの方に寄せた歌い方は過去の三部作にはなかったので、非常にう……嬉しい……(; ;)となっています。

どういう曲が来るんだろう

ちなみにMS2の曲は音源は集めてるけど正直全く聴いてないので他の子がどういう曲を貰っているかはほぼ全然知らないので、まつりにだけ焦点しぼって書いてます。

誤解のないように言っておくけど私はまつり姫としてのまつりも好き好き大好き超愛してる、というくらいに一番に愛している(一番はいくつあってもいいので)
いるけれど、三部作でまつり姫ワールドはやりきったように感じているので(だから松井神も三部作とわざわざ言うのであろう)またまつり姫全開の曲で来られると喜ばしい反面、正直「進歩ないのか?」と思ってしまうだろうな、と思っていた。結構辛辣ですまん。
それでもなかなか内面を見せようとしてくれる子ではないので、どういう曲が来るのか、それにどう受け止めればいいのか、ただ悩ましかった。
(超どうでもいい余談だがaikoで言うと2010年の「BABY」が出る前がちょうどこんな感じだった)

ので、「シャル・ウィー・ダンス?」はまさに一番欲しかった楽曲だったというか、まさにガラスの靴にぴったりはまったシンデレラ、みたいな感じであった。
内面にフォーカスを当てつつも完全に姫を逸脱しているわけではなく、瀟洒で可憐で、彼女の信念や生き様……という語句だとなんか厳めしくてアレなんだけど(まつりの語彙で言うとフワフワでない)哲学もしっかり表れていて、ただただ素晴らしかった……。大の字……。

ちょうどニュートラルな場所に降りたなあというか、まつり本人過ぎないし、まつり姫に寄り過ぎてもいない。
アイマス世界で生きてるファンが見ているまつり像は、多分この曲の印象と一致するのではないだろうか、と思う。

お姫様で、普通の女の子でもあって、お祭りの要素もあって。
本当に素晴らしい曲です。素敵で可愛らしい、まつりらしい曲。
こんなに良い曲をありがとう。徳川まつりPでよかった。

なんでもない日々のおまつり

Twitterは日々の思考のメモ帳です。

いわゆる三部作で一番好きなのが「プリンセス・アラモード」だ。
その前作の「カーニヴァル・ジャパネスク」で「終わらないで欲しいな」と歌っていた彼女は「終わり」が来ることをわかっていた。当然だ、お祭りはいつか終わる。

このフレーズに対して、言いたいこともなくもないのだが、それは今年執筆予定の小説で書くことにして、しかし「プリンセス・アラモード」では「夢の世界は終わったりしない」ということに気付くのである。
ので、プリアラの先にある世界が日常舞台になるのは必然だったのかもなあと今更思う(今更~)

自分の心の持ちようでいつだって世界は輝くのである。
世界はまつり(私)でまわってる。

ツイートにもあるように「あなたといるといつでもワンダーランド」がプリアラで二番目に好きなフレーズなのだけど、大切な人がいれば何でもない日やありふれたものが特別になり、日常も特別でお祭りになる、ということなのだろうなあ、とか思う次第。

だから日々はダンスホールだし、音楽はあふれてる。
踊るんだよ、音楽の続く限り(村上春樹)

ところでこの「あなた」というのが実は他でもない「アイドル」のことなのではと今ふと浮かんだ。
別にアイドルじゃなくてもいい。ざっくり推しと言っても良い。推しがいるから幸せというやつ。私で言うとaiko。別に存在じゃなくてもいい、コンテンツでもいい。私で言うと朝ドラとSideMとミリオンライブ。
ここらへん「ところで」からずっと思い付きで書いているだけなので深掘りはやめておきます。

夢の世界は終わらない。あなたといるといつでもワンダーランド。
それはつまりいつもの日々でも。

自分の心のもちよう一つで世界はいくらだって変わる。日々と言うダンスホールには音楽があふれ、楽しさはいろんなところに満ちている。
まつりはまつりの人生を、歩み始めたアイドルとしての道を、今歩いているひなたの道を、とてもとても楽しんでいるんだなあと感じる。

あなたが幸せでよかった。

Cafe Paradeと同じ引き出し

作詞はご存じ松井神こと松井洋平氏だが、彼は私の本業であるSideMでも複数のユニットの作詞を手がけている。

歌詞カードがないので耳コピで失礼するが、試聴段階で聴いた「素敵と感じるのは不意にありふれてる時間を 切り取って特別に変えてしまえる魔法なのです」は先月リリースされたLegendersのサイスタ新曲「Time Before Time」の「ありふれていると感じられることを/こんなに特別に感じてしまうのは/この街で交差していく幾つもの道の/たった一つだったから」に非常に近しく感じ、同じ工場で作ってるなあ~~と感じてたりしていたのだけれど、フルで聴いてみると、どっちかというと、Cafe Paradeと同じ工場で作られている、というか松井神多分同じ引き出しに入れてるな? と感じた。

カフェを一言で説明するのは至難なユニットだが、本当の自分をありのままに肯定してくれる、そんな稀有な幸せを運んでくれるユニットである。
カフェについて長々書くのが目的ではないのでラフに行くが、試聴後の二番を聴いた時に浮かんだのが「Present For You!!!!!」だったので、カフェパレに非常に近しくある言葉選びをしているところがあるなと思った。

いや特にこれ!という理由があるわけでもないんだけど(ないんかい)単純に「雑踏の楽しげな声 雨粒がはしゃいで歌う音も いつも 胸を躍らせてるのです」が「晴れても雨でもあなたの日々は続くから愛はいくつあってもいい」を思い出させたのである。

…いやそういえば試聴の一番聴いた段階でもカフェの新曲である「Teatime Cliché」を引き合いに出してたわ。
どっちかっていうとクリシェの方がシャル・ウィー・ダンス?に近いかも知れない。同じように日常が舞台なので。

ついでにサイスタのMVも見ていって欲しい映像がすごいので。すまんSideMが本業なので。

ほぼ思い付きで書いているくだりなので全然まとまってないけど終わる。まつりPやまつり好きな人はカフェPやカフェ好きな人が多い気がする。ので私以外にもカフェとの近しさを感じたPがいると嬉しい。

「何気なく」の大事さ

ここからは今日「シャル・ウィー・ダンス?」フルを初めて聴いてからめちゃくちゃにTwitterに書きまくってたことの再録みたいになる。
誰もかまってくれなかったから私が全力でかまう。

憧れや夢という花 咲かせてくれたって感じてる

ラスサビがマジでまんまこれだったのでひっくりかえっちゃった。松井神がどれだけ意識してたかはわからんけど。「人生はフェスティバルなのですよ」もグリマスの台詞からですね。

まつりはあんなナリをしているので、非常に下卑た安っぽい表現で言えば“痛い子”なのだが、ゆえに彼女が目指すべき理想や夢──みんなのお姫様になるということ、お姫様で在るということ──というのも本気で受け取らない方もいるし、(笑)で受け取るような人もいる。残念ながら。
余談だが周年で高い順位を取っていた或るまつりPが(笑)をまつりに対し使っていてショックを受け、怒り心頭でブロックしたことがある。出て行ってくれ。不幸になれ。

でもだからこそ「なれるよ」「叶うよ」という、本当に何の気ない言葉が、私たちの拙い応援が、ちっぽけな言葉の一つ一つが彼女にとってどれだけ支えになっているかわからない。
Pがいなくてもアイドルやっていけるのではとか思う人も多くいるようだが、彼女の夢を一番に信じて応援する、実現させてくれる、そして一番近くにいる人はPなので、どうかそんなこと言わないで欲しい。
まつり姫を創っているのは私達でもあるのだ。

そして彼女は優しく義理堅い人なので、そんな人達一人一人に同じくらいの気持ちをお返ししたい、と思うだろう。
だから(憧れや夢という花を)「咲かせたい あなたの心にも」と歌うのだ。

「何気なく言ってくれたこと」というフレーズに、なんだか救われた気持ちがある。
誰かの夢や理想を肯定して信じて支えることに、複雑な想いとか理由とか覚悟なんて実はいらないのかもしれない。ということを「シャル・ウィー・ダンス?」は言っているのかも知れない。
もちろん、その人の人となりや背景や夢を抱いた理由などは知っていたらいるほど深みは出るんだろうけど、それが必要条件では決してない、ということだ。
だからまつりも、大勢の人の夢や希望を叶いますようにと、純粋に願うのである。応援するのである。それが力になることを彼女は誰よりもわかっているだろうから。

翻って言うと、まつりがお姫様を、アイドルを目指す理由が明言されなくても、別に悩まなくていいのである。そんな理由なんか知らなくても応援は出来るし、支えられるし、好きでいていいし、担当していていいのである。

生きて生きて生き抜いて

ここは作家としての私の独り言ゾーンである。
直前に、とある創作人物がまつりにとても酷いことを言う小説のプロットを書いていたのもあって、「シャル・ウィー・ダンス?」は普通の人が聴く以上になお沁みた。そして改めて、まつりの夢をどこまでも応援していきたい気持ちが高まってしまった。絶対に絶対に見返そうな…(誰を?)

私は徳川まつりの小説を書く作家である。世の中にはいろんな二次創作があるだろうけど、私はこの曲を受けて、絶対にまつりを死なせるような目には遭わさない、と固く心に誓った。
絶対に生きさせる。人の夢や憧れを咲かせたいと彼女が歌うのなら、絶対に生かせよう、消えるなんて論外だ、と。

生きて、沢山の人の人生をお祭りにしよう。
沢山の人のお姫様になろう。
そして餃子と寿司を死ぬほど食べよう。

おわり(なんでもない明日へ)

本当に何も固まってない、雑文も雑文な状態でnoteを書くのもみっともなく読んでくださった方はよくわからないと思っていると思う。私も思ってる。変な文章を読ませてしまってすみません。
ただ私に出来ることなど文章を書くことしかないので、とにかく少しでも早く何かを記したかったのだ。

徳川まつりに、そして少しでもまつりの新曲「シャル・ウィー・ダンス?」に興味を持ってくだされば幸いです。

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