書くのが好きだから書いてるわけじゃない

フリーライターのたまいこやすこです。(真ん中の「こ」は誤字ではありません。どこで切ればいいかわからない、と最近、また言われました)

なんだかんだ、ライターをはじめてかれこれ、19年たちます。人物インタビューが多いですが、テーマは、妊娠・出産・育児・教育の分野から最近では障害、福祉、死、みたいなところまで、気がつけば生まれてから別れるまでの家族の中の普遍的なテーマを扱うことが増えてきました。

今は、ご縁があって、これまでで一番長い原稿を毎日毎日書いています。年が明ける頃までにゴールにたどり着くといいなあと思いながら。

来年は20周年(!)だというのに、売れっ子でも上手でもないのですが、
それでも、長く続けているからか、
「どうやったら文章がうまくなりますか?」
みたいなことをここ数年よく聞かれるようになってきました。
いや、私が教えてほしい。毎回うまく答えられません。
文章は誰にだって書けるし、ライターや作家さんじゃなくても
書くのがうまい人なんてごまんといます。

うまくもないし、早くもない。
毎回唸りながら短い文章を長ーい時間をかけて書いています。
儲かりません。

「書くのが好きなんですね」ともよく言われるけれど、
好きかどうかで言えば、本を読んでる方がよっぽど好きです。
仕事の過程においても、書くことより話を聞くインタビューの方が
よっぽど好きです。

ただその取材でわけてもらった雰囲気や空気や言葉や表情を、
どうにか伝えたいと思うなら、「書く」という行程が必要で。

しんどいけれど、自分がいいと思って取材をして、それを読んだ人が、
その人のペースで読んで何かを感じてくれたとわかったら、
ホッとして、ものすごく嬉しい。
その喜びのためだけに長く書いてきた気がします。
好きで書いているのは、誰にも読ませられない支離滅裂な日記とかメモとかだけで。あとは、多分、誰かを喜ばせられたらいいなと
思って書いている、と。

私にとっては少なくとも、現在自分が知る限りでは、
「書く」ということで誰かに喜んでもらった経験が、
他の色々なことよりも多くなっている、ということだから
それを細々ながら仕事にして続けている、気がします。
他のことで、人をすごく喜ばせられるなら、
いますぐ乗り換えたっていいと思う。

つまり、文章を書くときに誰を喜ばせたいか、によって
書きたい文章は変わってきて、書ける文章も変わってきて、
そこを見極めれば、もしかしたら「上手な」文章に
繋がっていくのかもしれないな、とは思います。
あるいは、上手でなくてもいいのかもしれません。

そしてそのことを突き詰めて考えていた時、
わたしは誰を一番喜ばせたいと思っているんだろう?と
思いはじめました。

あ・・・
長くなってしまいました。

ー続きはまたあした(か、明後日か。とにかく近日・・・)。



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