日帰り歩き旅 第2回 東海道岡崎宿 中編(鳴海〜知立)
前編に続き中編は鳴海宿から有松、知立に向かいます。
10:20有松西端に到着。
そもそも有松は正式な宿場町ではなく、間宿(あいのしゅく)です。間宿とは宿場間の距離が長い所や、峠越えなどの場合に、自然発生的にできた間の町。公認の正式な宿場でないので宿泊は禁止だったそう。まあ表向きの話みたいですが。
ところで、間宿の説明書いたんですが、実は鳴海宿と有松は非常に近いです。私は生まれも育ちも愛知県民だから知ってましたが、鳴海ー有松は名鉄で2駅(^^)対して有松ー知立は5駅。なんでもう少し中間に間宿ができなかったのか不思議🤔実際、鳴海宿の東端から少し歩いたらすぐ有松に入っていく感じ。
そんな事考えてたら有松の旧市街へ到着。
有松は単純に素晴らしかった😀鳴海や知立よりしっかり街並みが残ってます。というか、残す努力をすごくしているように感じる。
こういう高札説明付きの文化財建築物が、そこらじゅうに有ります。
そしてこの街並みである😀気のせいか、街灯や電柱も少ないように思います。確か、京都とかみたいに景観に関する条例があった気がします。写真はないけど、景観に配慮した古風なコンビニが有ったと記憶してます。
そして"ありまつ"と書いた恐らく有松絞りの暖簾、商店も普通の古民家も、至る所にあの統一の暖簾が掛かってるんですよ。本当に街づくり街おこしへの気概を感じる👍大須や、伊勢のおかげ横丁のような、街づくりモデルみたいになると良いんだけど。
偉そうな事言って、何様目線だ。ってツッコミが聞こえてきそうです🤣
一応大学で都市学学んでました😅小声
楽しかった有松を抜けると、程なく旧東海道は国道1号に合流。ここからは時々1号線に合流するところが出てきます。
元々太子ヶ根だったのが、桶狭間の時信長公が軍勢をここに集めたため、呼び名が変わったそう(^^)wikiより
ここを曲がって少し登ると中京競馬場。中央競馬では関東(東京、中山)関西(京都、阪神)の4場以外で唯一G1レースのある競馬場(^^)コロナ前はよく弟と見にきたもんです。ちなみに弟は馬バカ。多分馬と結婚する😆
11:00前後通過。桶狭間の戦いの後、前後そこらじゅうに首があったのが由来とかネットにはあったけど。ホンマかいな(^^)
あと多分、皆さんが想像する発音アクセントではないです。前後左右と言う時の"前後"ではなく、戦前戦後と言う時の"戦後"のアクセントです。
そして有松ー知立間、あまり見るところがなかった印象。時間押してたから、ルート外れたとこに行けないせいもあるけど。
家康公が街道の両脇に一理ごとに塚を、あと並木なんかも整備するよう指示したそうです。この阿野一里塚は道の両側の一里塚が両方残ってる貴重な所。なんで説明が書いてあります。家康公は偉大🥺
もう少し頑張れ、今川奴会とやら。前後(地名じゃないよ)見ても、ここの4.5本しか松はないです。
1号線を潜る地下道。私が頭ギリギリだったから、恐らく高さ1.8m。
12:10知立エリア到着。有松から知立はなんだか長く感じたなぁ。体調自体は調子良くて、サクサク歩けた気がするけど。しかし距離に対して、見所は少なく、面白みは少なめなエリアかなと。有松は別格(^^)
うーんまたまた長くなったから、この辺で切ろうかな。
果たして後編で終わるのか?(^^)
それではこの辺で、ごきげんよう😀
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