見出し画像

#HLABmemories

みんなの#HLABmemoriesの投稿をみて、私もなにか言葉にしたくなって衝動的にこのページを開いている、まだ無計画。

とりあえず、一年前のnoteやメモを見返した。

懐かしさと同時に当時の自分の不甲斐なさが思い出されて、泣きそうになっている。

もっといろんな人に話しかけておけばよかった、もっと英語を使えるようにしておくべきだった、一週間しかないあの場をもっともっと楽しめた。

2日目、自分と他の参加者の英語力に差がありすぎて、セミナー担当の大学生が行っていることをなんとなくしか理解できていないものの、いちいち訳してもらうのもはばかられ、どうしていいかわからないまま終えてしまったことを思い出した。

次の朝、人の輪に入れず、その日のセミナーに憂鬱な気持ちを抱えて、全く頭に入ってこないTOEFLの単語帳なんか眺めて座っていると、houseの大学生に話しかけられた。どういう経緯だったのかも、話の内容もあまり覚えてはいないけれど、鮮烈に覚えている質問がある。

「玉葉はなんのためにHLABにきたの?」

少なくとも、朝からTOEFLの単語帳を眺めるためではない。英語力なんか足りない前提でここにきたんじゃなかったのか。楽しもう、そう腹を括った瞬間だった。

それからいろんな高校生や大学生と話して、たくさん泣いた。自分の涙腺こんなに緩かったのかと自分で驚いた。毎日新しい発見があって、あんなに訳がわからなかったセミナーも終わってしまうのが惜しかった。最終日、夜行バスの中で書いたリフレクションに「英語力が低いのが恥ずかしかった?←草」と書けるくらいには成長したと思う。

それでも未だ、後悔していることがある。

幼い頃から人の輪に入るのが苦手だった。どうやって話しかけていいのかわからなくて、嫌われるんじゃないかと怖くて、でも一人でいて友達いないんだと思われるのも怖くて、ビクビクしながら知っている子や先生に話しかけて生きていた。成長したら人当たりはよくなったけど、相変わらず複数人でいる人に話しかけるのは苦手だった。

HLABでは知っている人なんて一人もいなかった。

これといった趣味も特技もない私は、他の高校生の自己紹介が強すぎて引き、Edmodoも見る専に徹していた。しかも台風で予定していた船に乗れず遅れて行ったので、すでにグループが形成されていた。(このグループって言葉を使うのは嫌いだ、とくにHLABに関してはそんなものないと思ってるから。でも当時の自分はこんな風に感じてた)

そのあと仲良くなった子も、セミナーで一緒だった子や向こうから話しかけてきてくれた子、ご飯のときに話すようになった子で、自分から仲良くなりにいった子なんて一人もいない。しかも一緒にいるときもいちいち今の態度うざいと思ってるかなとかばっかり考えていて、今考えるとただの被害妄想患者だ。そのときの友達には本当に申し訳なく思う。

そんな自分が嫌いで、その話をメンターの大学生に聞いてもらって、朝からパン食べながら号泣した。

この歪んだ性格は、他の人と違った家庭環境にいたゆえの、ふつうと違う、という意味での自己肯定感の低さのあらわれだったと思う。

人間関係を終始受け身でしか築けなかったこと、これが私がHLABで後悔していることだ。

一年たった。

この間すれ違う人みんなともだち系の同級生に、「玉葉ちゃんって友達作り超得意そうだよねー」と言われた。どの口がそれを言う、と思ったが、思ってもみなかった言葉は嬉しかった。

今の私は随分被害妄想的傾向を卒業して、自分が友達だと思ってればそれでいいやぐらいの軽いノリで生きている。一人も前ほど嫌いじゃなくなった。

今の性格でHLABに行ってたらどうなってたんだろうな、とか思ったりもするけど、このサマースクールで得たのは自分に対するこういう気付きでもあったのだと思う。短所ばかりをクローズアップしてしまったが、自分のいいところもたくさん知れた、むしろそっちが大きい。


せっかくビッグウェーブにこんなギリギリで乗るのに、内容がこんな個人的かつ非生産的なものでもしここまで読んだ人がいたら申し訳なさでいっぱいである。

とにかく、HLABで得たものが確実に今の私を作っている。

一年前に根気強く話を聞いてくれたメンターさんたち、高校生のみんな、ありがとう。このコミュニティにいることを誇りに思う。みんなみたいにつよつよじゃないけど私も私なりに頑張っているつもりだ。

今年のサマースクールは中止になってしまったが、HLABは止まらない。

来年は今年力をためた分を全力で放出して、もっとレベルアップしているに決まっている。

願わくば私も何年後かの夏休み、大学生としてもう一度サマースクールに帰ってこられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?