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卒業生答辞

高校の卒業式で卒業生代表として読んだ答辞です。高校3年間の集大成にふさわしいものになった気がして、結構お気に入り。

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ついこの間まで冷たかった雨も、随分と暖かく感じられるようになりました。2月下旬から3月の上旬にかけての温かい雨は、木の芽が膨らむのを助けることから木の芽雨と呼ばれます。
この3年間は新型コロナウイルスをはじめとする予想もしなかった事態に数多く見舞われ、私たちの高校生活も入学前に思い描いたものとは大きく異なるものとなりました。しかし私たちは、変化に対応しその中で楽しみを見つけてきました。そんな私たちにとって、コロナ禍を含めたすべてが、木の芽を開く今日の雨のように、力になっていると信じています。

春はもう、すぐそこです。

多くのことが制限される状況の中、校長先生をはじめ諸先生方ならびにご来賓の皆様のご尽力を賜り、今日この場において友人や家族とともに卒業の日を迎えられますこと、卒業生を代表して、心より感謝申し上げます。

この3年間は、私の価値観を大きく変えました。この学校に入学した3年前の私は、自分が努力して変えられない状況はないと信じていました。「地域格差や経済格差を乗り越えて、自分の力で逆境を打破していく若者」という自分像に酔っていました。つまり、当時の私は、努力は手段だと考えていたのです。
そして迎えた受験期。全国のライバルたちを前に、私は無力感に打ちのめされました。社会に貢献する高い目標を持ち、そのために活動し、すでに自らの活動で社会的な価値を生み出している彼ら彼女らに比べれば、私の努力など、あまりにも凡庸に見えました。
しかし、自分の努力を凡庸だと感じることこそ、能力主義に毒されているのかもしれません。

現代は能力主義の時代です。生まれや身分ではなく、その能力によって人間を評価する能力主義は、一見平等です。だからこそ、私たちは「努力」しています。
しかし、上には上がいるものです。「上」を目指す限り、私たちは高みにいる誰かを羨み、自分より低い誰かを見つけて安心することで心の安定を保つしかなくなってしまいます。
努力の果てが、そんな世の中でよいのでしょうか。それなら、努力など意味がないのではないでしょうか。
けれども、コロナ禍の中で私たちは、能力主義の手段としての努力とは異なる、もう一つの「努力」と出会いました。
例えば、自らの感染の危険もある中、目の前の命を救うために働いている医療従事者の方、子供たちの世話をする保育士の方、介護の現場にいる方。この方々は目の前の問題と向き合うために努力されています。ここにあるのは、評価されるための努力ではなく、目の前の人を幸せにするための努力です。たとえ地味で凡庸に見えようと、その努力にはかけがえのない輝きがあります。

努力とは、本来はそういうものであるはずです。けれども、周囲や自分の中の評価に晒されるうちに、それがいつの間にか高い評価を受けるためのものに変わってしまうのでしょう。人は物事に優劣をつけたがります。たとえ自分が望まなくとも必ず評価に晒されます。

だからこそ、この学校で学んだ私たちは、本当の意味での努力を求め続ける人でありたいと思います。自分の努力が評価されなかったとしても、自分自身の味方であること。仮に自分が高い評価を得たとしても、評価されなかった人を否定しないこと。

育った環境や先天的な気質が違う以上、人は一人ひとり違います。その違いを優劣に結び付けてしまえば、違いはそのまま格差となります。そして「劣っている」とされた人々は、埋めることのできない格差に苦しみ、それは社会の分断に繋がります。能力主義に囚われた努力によって、苦しみを生まないこと。かけがえのない輝きに満ちた本当の意味での努力を続けて、誰かを幸せにすること。今、ここにいる仲間たちには、きっとそれができると私は信じています。

努力について、もう一つお話をさせて下さい。先ほど、私は受験期に他人と自分とを比べて無力感に陥ったといいました。けれども、点数を取ること、誰かと競うことから離れて見れば、学びにおける努力は確かに私を成長させてくれていました。
例えば、受験旅行の飛行機から見下ろした景色。台地の上は畑なのに下には列状に集落が形成されているのは、きっとあのあたりで水が湧くから。あの海を行くコンテナ船はどこから来て、何を積んでいるのだろう。地理を学んだからこそ、これまで見過ごしていた風景にワクワクしました。受験を通して多くの教科を学んだことで、今まで見えなかった物事の繋がりが見えました。世界がこれまでよりももっと色鮮やかになりました。学びにおける努力は、誰かに認めてもらうためではなく、私の世界を生き生きと鮮やかなものに変えるものであったのです。

私をこの場所で学ぶことを許してくれた両親、多くの学びを与えてくれた先生方、共に歩んだ仲間たち、誰が欠けても、今の私はありませんでした。本当にありがとうございました。そして、3年間で最も多くの時間を共に過ごした寮生のみんなへ。寮生活は大変なことばかりだったけど、寮だったからみんなとここまで仲良くなれたと思います。一緒に過ごしてくれてありがとう。

最後になりますが、先生方、在校生の皆さんのご活躍と、学園のますますのご発展をお祈りして、答辞といたします。

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