令和世代の娘と半沢直樹

「ママ、トイレ行きたいからちょっとストップしといて」

「いや、できないよ」

「どうして?」

「だってテレビだもん」

「?」

日曜日の朝お気に入りのテレビアニメを観ているときの娘とのやり取りに、我が娘ながら衝撃を覚えた。

この日はたまたまリアルタイムでテレビの放映を観ていたのである。我が家では最近はもっぱら有料のネットの動画配信かyoutube、テレビ番組は見逃し配信だった。

つまり、テレビ番組に自分の生活をあわせることをしていない。リアルタイムで始まる時間にテレビの前で待つことをしていなかった。

そうすると必然的に子どもたちも、自分の好きな時間に観たいものを観る生活になっている。そしてあらゆる番組で今はそれが可能になってきている。再生と停止が可能で、その選択が自らに委ねられている。子どもたちからしたら、トイレに行きたくなったら自分で好きな時間に行けるのだ。番組の始まる前にすべての用事を済ませる必要も、CMを待って急いでトイレに行く必要もない。

そして冒頭の会話にもどる、

「なんでストップできないの?」

「テレビってそういうものなのよ」

私は答えに行き詰まった。こんな答えしか答えられなかった。そして、その質問に衝撃を覚えた。私にとってテレビとはそういうもので、疑問すら浮かばなかったから、考えたことがなかった。ちゃんとテレビを受け入れていたからだ。

私の答えになってない答えの瞬間に、我が子はテレビを理解したが、受け入れはしなかった。不便なものと認識してしまったからだ。

我が子ながら、自ら育てているはずなのに、これが「令和」を生きる子どもたちかと、ジェネレーションギャップを感じた。

そしてこれが私が身を持って感じた「令和」の訪れだった。

一方で日曜日の夜に放送して最終回を迎えた半沢直樹の面白い記事を読んだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/14bba8a76cca9a5f5e9dfaf29d98e7b22bc40147

同じ日曜日に令和世代の台頭を感じ、半沢直樹の人気で起こる現象に安心感を覚えたのは言うまでもない。

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