<TED> アラン・ド・ボトン 「無神論 2.0」

この人、素敵だなぁ。韓国人の親友が、昔ソウルに会いに行った時、この人の本面白いよ、と言っていたのを思い出す。

宗教的な知識がすごく豊富な友達が、ある時話していた言葉を聞いて、自分に都合の良い宗教の使い方をしてるな、と思うことがあった。

例えば、もし自分がこんな状況になったら、親鸞にすがろう、また違うシチュエーションになったら空海にすがろう、みたいな。過去の様々な宗教家、例えば瀬戸内寂聴や佐々井秀嶺も、出家するまでは壮絶な体験をし尽くしてるし、とか。

だから、とことん行って、神仏にすがりたい、そんな状況にならなかったら、普段は無神論とか。

そんな視点もあるのか、と思いつつ。確かに自分も何か生い立ちや環境、様々な要因が重なったら、そんな壮絶な経験をせざるを得ないこともある可能性は否定できないし、他人事ではないと思う。

けれど、個人的には、信仰は、自分のあり方や心の姿勢を常に見つめて向上させていくために使うものという気がしていて。

やりたいことを(ある意味で好き勝手に)やりたいだけやった後に、神様助けてください、ってその前に自分を省みることは出来なかったのかな、と思う。。信仰の開祖が伝えている教えを知っていることと、その知識の実践が出来ているかも、体感として得た信仰なのかによってもまたきっと異なる。

私は仏教も神道も、キリスト教も土着のケルト信仰(ちょっと苦手な部分はあるけど)とかも老子思想も何でも心に響いたものは受け入れてしまうタイプなので、自己責任的な価値観も持ちつつ、いろんな思想がある意味でミックスされている。そんな自分も、ある意味積み重ねた一人ひとりの先人の中の教えをミックスした価値観で生きる、アランドボトンの言うような無神論者となるのだろうか。w

シューマッハカレッジみたいに、自然から、小さな生き物や様々な生態系から色々知恵をもらえる先住民のような生き方を見倣った人間にもなってみたい。

なんか、最近になって海外でも、植民地主義の歴史を草の根から否定して、アカデミックな世界からじゃなく、市民レベルで脱植民地化する動きが出てきて個人的には嬉しい。コロンブスは新大陸を発見した、と言われるけど、先住民の住んでいたところに侵略してきたとも言えるのだ。(内容が浅い...)

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