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人生は配られたカードで何とかするしかない 映画『フォレストガンプ』


映画の冒頭でフォレストの母親が校長先生と寝るシーンがあった。  

ハンデキャップのある息子フォレストを普通の学校に通わせるために、「人生はチョコレートの箱と同じ。開けてみるまでわからない」とフォレストに言った母親は校長先生と寝たのだ。  

フォレストにとってはそれがワイルドカードだった。フォレストに配られたカードは上がれそうもないし、おまけに一枚不足していたのだ。
もちろんフォレストは配られたカードに不満なんか持っていない。そしてワイルドカードを生かした。  

この映画「フォレストガンプ」について、アメリカのプロパガンダ映画だという論評もある。  

人種差別、宇宙計画、ベトナム戦争、反戦運動、ヒッピーなど、アメリカの戦後の歴史や文化にフォレストの成長を重ねていくアメリカンドリームのようなストーリーだ。  

僕はむしろアメリカの文化や歴史を笑いと涙で風刺しているのかと思った。  

「そんなに上手くいくわけがない、でも夢でもいいから上手くいったらいいね」  

そんなファンタジー。  

ワイルドカードを手にした奇妙なフォレストは、緊張して乗ったスクールバスで、悪ガキどもの格好の餌食となった。それを救ってくれたのが最愛の女性となるジェニーだった。  

父親の虐待から始まったジェニーの人生は、なかなか上手くいかない。フォレストが軍隊に入る前のジェニーはストリップ嬢だった。ベトナム戦争から帰ってきて勲章をぶら下げたヒーローとなったフォレストの前に現れたジェニーは、対極である「ラブアンドピース」というドラッグに溺れる反戦ヒッピーだった。  

その後フォレストは、傷痍軍人となり腐っていた上官と供に、エビの養殖ビジネスに成功し亡き戦友との約束を果たす。それを元手にアップルに投資するなどし資産を得るが、大好きな母親を亡くしフォレストは一人きりになってしまった。  

そんなフォレストのもとに、やっと長い分かれ道が合流したようにジェニーがやってきた。ひと時の安寧の時をすごすフォレストとジェニー。ところが身ごもったジェニーは、またしてもフォレストの元から消えてしまう。ジェニーはフォレストの障害や、自身の傷が子供に影響することを恐れ一人で育てていくことにしたのだ。それをフォレストに背負わせるわけには行かない。  

フォレストに出来ることは走ることと愛し続けることだけだ。またしてもジェニーを失って茫然自失となったフォレストは走りだした。とにかく前に進み続けるしかないのだ。  

ひたすら走り続けアメリカ大陸を横断するころにはテレビ中継されるところまでになり、果たしてジェニーはそれを目にする。それが契機でジェニーと息子に会えることになる。  

フォレストがジェニーに会いに行くためのバスを待つところから映画は始まった。バス停のベンチに腰掛けたフォレストは隣に座る人々に、誰彼となく「それまで」を語り続ける。  

「僕の母さんは言ったよ。人生はチョコレートの箱と同じ。開けてみるまで中身はわからないってね」  

ジェニーと再会したフォレスト。紹介された初めて会う息子はテレビを見ていた。息を飲むフォレスト。  

「とても利口な子よ…」  

スクールバスを待つフォレストと息子。  

フォレストは緊張している。自分の初めてのスクールバスを思い出しているのだ。息子は上手くやっていけるのだろうか。バスが来た。バスに乗り込む息子は振り返ってフォレストに言う。  

「僕は大丈夫だよ」  

走り去るバス。空を見上げるフォレストに一枚の羽根がひらひらと舞い降りてきた。  

母さんが与えてくれたワイルドカードの半券だったのかもしれない。  

僕の息子の幼稚園の初登校日も、フォレストと同じ気分でバスを待っていた。ダブダブの体操服に早生まれの小さな身体と大きすぎるカバン。上手くやっていけるのだろうか。  

ひょっとしたらチョコレートの箱の中は空なのかもしれない。
でも人生は手持ちのカードで何とかするしかないのだ

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