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僕は「妄想」そのものになったんだ。


最近特定的な瞬間に必ず読む漫画があります。確か初めて読んだのは2015年の夏、何となくが気分を流して歩く蝉の時期にふらっと立ち寄った本屋で「ドロヘドロ」という漫画がありました。重層な装丁に混沌の生き死に様が描かれている本作の表紙を一目見た時、まるで金槌に髄がくり抜かれたような感覚になり、即その時店頭にあった4巻ほどをまとめて買いました。


混沌の世界観が魔法や「ホール」という現実味のある言葉で世界を覆い、僕の視界にはトカゲ頭の「カイマン」という登場人物の苦悩が冒頭に出てきます。それは魔法被害者である「カイマン」が本当の顔を探す日常を描いた物語。まるで達観する前の中学生の僕には、自己投影する最良の作品でした。

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このようにアイネは基本的に少数側でありながら、奇才・独自という言葉が似合う作品を幼少期から嗜んできました。

それより少し前の頃、「惡の華」という押見修造の作品も愛読していました。正直衝動的な青春の果てしない先を描いたセンセーショナルな作品を中学生の頃に読むと、全ての行動に理由を付けたがる大人への嫌悪や憎悪が蝿のように罵る瞬間に見える。この時はある意味エクスタシーを感じていたのかもしれません。外れた発散出来ない自己欲求が多い表現の本作品は、今のアイネの言葉を殆ど形容していると思ってます。

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因みに少年アクション漫画も読んできましたがそこまで愛着もなく、かといって語れるほどの熱量も無いので割愛させて頂きます。


僕はこれらの作品を自身の作品の制作前に必ず読むようにしています。基本的な影響をそのままに動かしながら、自分が妄想したな衝動的で突飛な発想をなるべく新鮮の内に書き留めたくなる訳であります。模倣して書き進めるのではなく、自分なりの解釈・結論を見出してメモに残し、それを自らの作品にしていく。循環されていく脳波が非常に周りくどく世界を作るという皮肉は、この界隈に蔓延っている根源という考え方は、粗方間違っていないと思います。

そして僕の作品には、音楽が欠かせません。
それは結局ビールと餃子が一番美味しいと感じるように、必ず僕の作品には音楽という下地があります。僕は音のリズムが無ければ、中身のある作品は書けません。一定的なBPMに揺られながら、作品にある「テーマ」を忠実に綴る為音楽を聴きます。適当な音楽ではなく、作品に合った「テーマ曲」に昇華させてから物語の髄から肉付けしていきます。


更に深く言うと、長い作品になると「テーマ曲」と「サウンドトラック」で分けています。

例えば賀喜遥香長篇「夢の島、君の声」なら「haruka nakamura +Luca/八星」という曲がテーマ曲になってますが、「haruka nakamura /twilight」というアルバム全体をサウンドトラックにしています。これはあくまでも物語の「テーマ」となる部分は物語の全体にある訳ではなく瞬間で挿入されていくものだと思った結果、全体のグラデーションをしてくれる「サウンドトラック」と真髄を見せてくれる「テーマ曲」を分けるという形にしたほうが創りやすいと思い、このような結果になりました。

そして皆さんはお気付きでしょう。このアイネは「haruka nakamura 」というアーティストが作品の一部としてなり過ぎているのです。今も侵食されていく脳のように、どっぷりこのアーティストの色に染まっています。彼と出会ったのは大学の入り口、新歓コンパなどで賑わう我が学び舎が騒々しくて、耳を塞いで関連アーティストを探した時、見つけてしまったんです。自分の人生が一変するような作品を奏でるアーティストに。


正直聴くまでアンビエント・フォークロニカというジャンルには馴染みなどありませんでした。あるとすればブライアン・イーノのアルバムを数枚ぐらいで、他の知識はほぼ皆無の状態で何故彼の音楽にハマったのか、自分でも理解出来ていません。

それは悲しみの理由か、楽しさの象徴だったか。

今となってはどうでもいいことでしたが、当時のアイネはかなり理解に苦しんでいました。だからこそよくそのアーティストを聴き、中身に片足から両足を入れて溺れていきました。


そして大学でジャズを学ぶ流れで知った「蓮沼執太フィル」というアンサンブル集団も、アイネには欠かせません。基本的に短篇は彼らの奏でるサウンドを基に制作したと言っても過言ではありません。


このように皆さんには聞き馴染みがあまり無いアーティストをよく聴くアイネですが、これは僕のエゴでもあります。

「みんなが聴かない音楽を聴く自分が好き」

正直凄く思っていました。なんなら今も頭の片隅にはあるかもしれません。ただ中学生の頃に「RADWIMPS 」や「高橋優」に浸透していた頃もありましたし、今もアイドルの作品を聴くこともあります。それは偽りなく、好きなものを好きという志があるから。自分自身の好きな芸術をエゴで否定しても、人生は豊かにはならない。僕はもう勝手に結末を作りました。

「好きなものを聴く」建前と本音が混沌としてますね。


皆さんは建前と本音、どっちが好きですか?


では今日はこのぐらいにしましょう。僕のエゴなんて読んでも不愉快になるだけ。次回はもっと愉快で熱くなるような話にしましょう。

アイネ個人オススメの「妄想トーク・妄想ツイート作品と書き手」なんてどうでしょうか?

恐らく長くなると思いますが、つらつらと語るのも楽しい気がしています。


それではまた良い「妄想」を、アイネ。



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