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長篇【僕らの唄が何処かで】⑤ 西野七瀬

今日の天気予報では曇のち雨。不運にも神頼みが必要な賭けをしたくなるほど邪魔をしそうな天気に向かって、七瀬は苛つきを打つけていく。


結局お昼頃には曇のち晴れに変わって、さっきまでの喧騒が本当に馬鹿馬鹿しく思い返すと、僕は七瀬の顔を見て笑ってしまう。

七瀬はその苛つきも何処かへ打つけたくなって、僕に再び着付けを頼む。

『ねぇ……浴衣って下に何も着ない方がいいらしいよ』

「漫画の読み過ぎだ。もう少し世の中を疑え」

『面白くない反応、前世は僧侶でしたか?』

「五月蝿い、じっとしてろ」

翳りが落ちて来た夕暮れに近い頃、晴天の輪を焦がして小さく呟く。

その日暮らしになりそうな風の音も今日は弱く、僕は彼女の帯を敢えてキツく絞めて背中を叩く。

「はい、終わり」

『いてっ…………』

優しく身体を押す。終了の合図と共に蹌踉て僕を睨みつける彼女は、僕の格好に疑問がありそうだ。

毒にもならない柔い格好で着付けをしていた僕は、前と同じように正座で痺れてくる。

「よし………そろそろ行くか」

『うん、今日もありがとう』

「もう慣れたよ、結局少し練習しちゃったし。流石に着替えてくるから、外で待ってて」

完成した華やかな彼女の姿を正面から見ることなく、そのまま自部屋に行く。

『………可愛くなかったかな』

僕はこの島の匂いが優しく付いた浴衣を取り出して、大事に身体を通す。自分で着てみる浴衣も案外過ごしやすくて、柄含めて深く好きになりそうだった。

「………お待たせ」

下駄のカラカラとした音が僕から鳴ると、玄関で待ってる七瀬に向かって、楽しそうな顔を見せていた。不覚にも僕はワクワクしていた。

唖然と、夏の静寂が僕らを包む。
『あれ………その格好って』

「知り合いが貸してくれてね、どう?」

『なんていうか、似合うよ』

「そうかぁ……良かった」


安堵したのは、僕だけか。
「七瀬も、綺麗だね」

『…………ありがとう』

「じゃあ、行こっか」
二足の草鞋が揺れたわけではない。

僕らは手を繋ぐことなく、夏に揺れながら目的地まで歩く。気前のいい七瀬の指は気付いたら僕の袖を掴んでいた。

重い感覚だけ僕の軸のズレで気付く。そういえば、七瀬の髪も洒落ていた。多分僕が彼氏だった指摘しなくてはいけなかったかもしれない。

後で言おう、それだけ胸に仕舞って一実の家まで無言で歩いた。緊張か、疑いか、丁度いい塩梅のない時間に、少しだけ苦戦する。

[あ、来た]

七瀬と同じように綺麗に装飾された一実も、僕らの前で蝶のようにひらひらと舞う。

『………かずみん可愛い』

[なーちゃんも可愛いよ……って〇〇も浴衣?]

「借りられてね、なんか僕だけ渋いね」

いつものように下を向きながら、皮肉は暑さに消えそうな弱さで、僕は不意に一実の目を見る。


いつもより、大きいと思った。それは普段が小さいという悪口にも聞こえるが、浴衣が見せる蜃気楼のような効果が影響しているのか。

それとも純粋な一実を見て、照れた僕の化学反応なのか。口に出したくない思いが、やけに騒つく。

[え、格好良いよ。お世辞でもなく本心で]

「ありがとう…」

七瀬の指はまだ絡んだまま、僕の身体の少しだけ前の位置に移動する。僕らは安易に交わってしまった。

[もうすぐ始まるよ、急ごう]

気付けば時間を堪能していたらしい。僕らは少しだけ早歩きで会場へ急ぐ。ずりずりと響く三人の足音は門出に近い、逞しい汽笛に。

一実の家からも数分掛かる場所に歩き慣れない格好の三人がゆっくりやってきた。既に会場には数十人がぞろぞろと、各地で挨拶が宙を舞う。

僕らは顔見知りに挨拶を交わしながら僕ら二人専用の椅子に座り、自分たちの料理の包みを開ける。

『……〇〇は何作ったの?』

「塩っぱいものが好まれるって聞いたから、塩辛」

『いいね、ななが独占しそう』

「七瀬は今年もオムレツ?」

『今年はデミグラス付き』

「………お洒落だな」

『今食べる?』

一実は高山親戚の椅子に座り、後で合流するつもりだ。こういう時の親戚付き合いは蔑ろにしてはいけないと七瀬のおばあちゃんから聞いた。

「そうしよっか」

大机に置かれている乱雑な紙皿と箸を二つずつ取って僕らは風呂敷を広げるみたいに、

“頂きます”

会場は僕らが来た時にはアルコールや豪遊の後もちらほらとあった。この島の人達は楽しむのが早い。

僕らも負けじと二人で食べる。
『……自分でも上出来』

「僕も食べたい」

『じゃあ、はい』
向けられた箸をゆっくりと口に入れる。オムレツに箸の相性は悪く、少ししか食べれてない。

ただ口に入れた瞬間、一種の感動が舞い上がってきた。
「ん、七瀬がこれ作ったの?全然美味しいじゃん」

 

『やった、〇〇のも食べる。うん相変わらず美味しい』

「これで一安心だ………」

暗渠に包まれそうな会場は薄らと祭囃子が流れて、その数分後には一実も合流する。

僕らは他愛もない料理の数々を順々に手を出す。鍛錬な島の料理人たちは豪華な品々を一覧に並べて、僕らは飽きずに楽しめた。

偉そうだが会話もろくにせず、ただ食べていたことは事実だった。

紙皿で遠くの料理を取ってこようとすると、無言の七瀬が皿だけを前に出して、僕に行けと言わんばかりの顔で顔を動かす。

渋々行くと古風な盆踊りが始まっていた。

東京でも見た、普遍的な踊り。

それでも楽しそうに舞う島の人たちが僕には鮮明に見えた。

———————素敵だ、ただそう想って

僕は見惚れていた。

すると、

[盆踊りは初めて見るの?]

気付くと七瀬を置いて、一実が僕の隣にいた。
紙皿を二つ持って立ち尽くす僕は、

「いや、素敵だなって」


[〇〇って時々いきなり童心に帰るよね]

「この気持ちが好きなだけかもね。何かに見惚れて、縋るこの気持ちが」

[………やってくれば?]

と一実が言うと、僕の腕を引っ張って、櫓の周りを円として人たちの輪の中に二人で入る。

また見様見真似で、僕は一実の後ろをだらだらと踊る。不格好で正しくない踊りだった。一実の華奢な動きには、到底勝てない。

それでも楽しさを躍動させようと、

無我夢中で身体の熱を任せながら、二人仲良く踊っていた。

その時間は普通で、普遍的な

奇跡のような_________

 

数分間は誰のことも気にせず、不屈の雑草根性で踊っていた。不器用ながらに舞おうと努力することに不慣れで、それでも喰い付こうと掴む。

僕らは事前にセットしていた髪も流れて、不格好を極めていく。だからこそ時間を忘れて、潤動しようと、楽しんでいた。

[そろそろやめよっか]
一実の手をまた引かれて、輪から外れていく。

普段使わない筋肉を使うほど激しい運動では無いが、漸次的になってきた身体は少し重くなる。

「疲れた………暑い」

懐にある扇子を広げて、風を煽る。
[私も頂戴……いい風だね]

風を浴びるために髪を揺らしながら、僕の真隣に位置して、抱くような近さで

僕らはまた隠れて静観する。

時間を見ると、もう夜更になっている。
[そろそろ花火の時間だ……]

「結構大きいの上がるんでしょ?」

[そう、毎年そこだけは有名になるからね]

三人で見る。その当たり前だけ理解していたが、その場所に二人しかいない違和感は此処で発動される。

誰かいないことに気付いて、探す
「………あれ、七瀬は?」

[いないね……どこ行ったんだろう]
辺りを見渡してもその顔はいなかった。

櫓の周りには僕らの知っている人が多く集まっている。ただそれでも七瀬のことを気にしている人なんていなかった。

僕らの席にいたはずの七瀬は忽然といなくなり、もぬけの殻となって風が吹いた。

嫌な予感というのは、最悪の幻想を思い浮かべた時に上映される。僕はその勘に気付いて、

「………ちょっと探してくるねっ!」

[うん、わかった]

会場の周りには山が囲っている。とりあえず見回しても、確認することは難しいほど、空の雲行きは落ちていた。

辺りを少しだけ歩き始める。まだ舗装された道を抜けても徐々に不安は過ぎる。


僕は嫌だった。そんな娯楽アニメのような展開に必死になる必要もなかったが、存在自体を掴んでいたかった。


僕は走りながら、七瀬を探していた。

「ハァ………七瀬…何処だよ……」

生茂る草木を掻き分けて、荒く尖った道を草履だけで突き進む。躍動された心の行末に身を任せて、溜息と呼吸が入り乱れる。


無情に悲しかったかもしれない。目の前で誰かがいなくなる寂しさを胸の中に重ねて、勝手に苦しくなる。誰か、誰かと叫びながら僕はまた走る。


願いながら走ることに、
血を賭けても見つけたかった。

その名前をまた呼ぶ時には、

「もしかして………」

僕は港に近い、僕の家まで駆け巡った。

息が殺されて、切れそうな下駄の紐も

滴る汗の格好悪さもそのままに、

「………ハァハァ、七瀬!」

いつもの家にいた。

『〇〇…………』

大人に付けられたアルコールの匂いが消えるぐらいの疾走を、人波を掻き分けて戻る。

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七瀬は家の外にある椅子に座りながら、空を見ていた。いつも僕がしていた更けるような姿にそっくりだった。
『〇〇、かずみんは………』

「………そんな事はいい!」

梟すら鳴きそうな夜に、僕は七瀬を抱き締める。

安堵は暗礁から僕らの灯籠に、身を乗り上げて照らしていく。薄らと当たる頬には七瀬の水滴がわかる。

『〇〇っ………どうしたの?』

「心配したんだぞ………勝手にいなくなるなよっ」

『………ごめん』

雲が消えたようだ。快晴の夜空には雨の翳りすら晴れていて、僕らの影がよく見える。

———————ゆっくりと僕は撫でる。

いや、気付いたら僕の方が顔を埋めていた。

その温かみに分かった途端、切れた息を戻そうとせず抱き締める。

『…………〇〇…泣いてるの?』

「うん……………」

昔の旧友はよく映画を勧めてくれた。よく笑えるとかハラハラするとか、そんな感情を揺さぶろうとする魂胆を見せながら、僕に勧めていた。

僕は律儀に紹介された作品を見てみた。確かに感動するし、確かに笑った。心の底から楽しんでいた。

ただ涙を流したことは無かった。


僕は無感情なのかと、悩む手前までいきそうだったが、ただの涙線の栓が硬いだけの男と解決していた。


今はそんなこと忘れるぐらい、泣いていた。

嗚咽するような泣き方ではなく、悲しみの想像から解放された安堵の色に、僕はスルスルと彼女の体を締めていく。


「なんでだろうね……七瀬がいたことに嬉しくなったのかも」

ただ小っ恥ずかしい思いは相変わらず、建前と混在していた。それだけは譲れないところなのかもしれない。

『……ごめんね、何も言わずにいなくなって』


「いいよ………そこにいてくれたから」

華が咲くような光が空を駆け巡る。

僕の背中から走った跡のように、強く輝いて

『………〇〇、花火だよ』


それでも僕は七瀬越しに見る必要も、離れて見る必要も感じなかった。

「このままで居させて………」

『うん…………そうだね』


『………今年も綺麗だな』

僕越しに見えている七瀬な一度顔を上げてから、またゆっくりと埋めていく。

もう枯れた涙の跡を誰かに押し付けようと、何度も位置を変えてその温もりを確かめて。


—————————僕らの夏は終わった。

結局玉屋と叫ぶつもりで待っていた花火の景色を見る事もなく、僕らはこのまま一実を置いて家にいた。

祭りが終わりの時間になると、島全体に放送が流れる。その合図を皮切りに僕らは衣装を変える。


いつも服になるために、また七瀬の浴衣を脱がして綺麗に畳んでいく。来年も着れるように大事に折りながら、七瀬の部屋に保管した。


僕は少しだけ寂しく思いながら、後日店主に返した。洗い方もわからなかったので、そのまま返した事は少しだけ怒られた。


そういえば下駄のまま走っていた僕はその日の風呂場は苦戦した。血だらけになった足の指に滲みる風呂の湯が苦しくて、結局七瀬が手当てをして、完治するまで仕事を休んだ。


8月もう後半になる。

秋は顔を出すのがいつも遅い。

僕らは夏の風物詩を楽しみながら、またいつの間に秋になったことも知らずに秋を過ごすだろう。


そして僕らはまた秋に再会した。


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