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短篇【感情線】森田ひかる

「貴方が聴いていた曲のタイトルが思い出せない」

耳に置くと素早く心地良い低音、BPM120で足音のようにバスドラの単音で駆け巡る。


あの時の感覚は貴方とした熱い夜に似ている。

『綺麗だったね』

「ありがとう、〇〇のおかげだよ」


雨に濡れて全音上がるみたいに液晶から見える歌詞がメロディに乗って来る。


『ひかるってテンション上がると踊るよね』

「というか奇声を上げちゃう」
擦りあったお互いの肩が絶妙に高低差があり、貴方からの肩組みが綺麗にハマりやすい。


路面から見える水面の空間は揺蕩って、知らない角度で光眩しくて現実を忘れたくなる。

気圧に負けそうな私の身体はまだ冷え切って、そのまま押し倒れそうでも平気の振りをした。


そういえばタイトルは思い出したけど、いつも片耳で物足りない重圧がいつにも増して振動を借りる。世間は甘えさせてくれないから。


今度こそは甘んじても、両耳で。


そういえば明日から引っ越すよ。
ここにはまだ貴方の服も綺麗に残っているけど、向こうで使うか分からない。


お揃いで買ったマグカップは本音を言うと柄が好きだから使ってる。未練でも嫉妬でもない。


模様替えで居心地は好調で名残はそのまま消えていくけど思い出は増えていく。それだけで記念にのる。


一人で料理は辛かった。寂しくなるのが嫌だから沢山作っちゃって余ることが多々。それでもバリエーションを増やそうと努力した。

因みに指の絆創膏は見ないで下さい。
『今度は何ヶ所?』

「ニヶ所、これでも前より減ったんだよ」


恥ずかしいから言いたくないけど、貴方のセンスが好きだった。完成された器みたいで私はそこに乗ってられる。

漕いでもいない自転車を颯爽と風の中を切り抜けるように、身体中の穴から不幸が消えるように。


今考えても喧嘩なんて少なかった。私たちは偉かった。不満なんて湧き出ないで綺麗に愛し合って、でもその愛も消えていくけど。


多分少しは喧嘩した方が良かったかもしれない。紆余曲折して切磋して、まるで虹を砕くように波打つ暗闇を踊るように、

そうすれば長続きしたかも。

昨日貴方の母と会ったよ。

『今までの時間楽しかった?』
「楽しかったに決まってるじゃん」


相変わらず貴方に似て優しい方だった。
『そうか……じゃあごめんな』
話はいつも何気ない日常の一幕のはずだった。多分気を遣ってくれてるみたいで少しだけ申し訳なく、別れた報告はしたけど悲しそうな顔だった。


後悔なんてするもんじゃない。

夜の気流は煌めく時間に余裕で抗って、一昨日までの記憶すらも徐々に飛ばしていく。奔る私の言葉は深淵にいた貴方との溝を深くするばかりで、何も解決してはくれなかった。

落ち着く曲を聴いたって、鉄の塊から流れてくる苦し紛れの認識に私は騙されなかった。嘘で固めた気持ちも邪な厚労も蹴り飛ばして、なだらかに堕ちていく。

貴方がいたらどれだけ幸せか。

あのタイトルで造られた言葉と音の連続は私達の骨の髄まで感謝出来てる。傑作で纏められた造形は純粋に楽しかった。

恋愛とは不思議だ、また新たに色恋目醒めるとそれまでの後悔が嘘のように消える。傾斜されている道程から数多の運命を楽しんでいる。


遽に信じ難い掟から視えてくる新しい人を見つけるまで、

私は前には進めない。

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