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長篇【僕らの唄が何処かで】③ 西野七瀬



夜風と共に—————



高山一実は、大人のような聡明さと反抗期の子供を双璧にしているような女性。

七瀬は女子という言葉が似合い、高山は女性という言葉が似合う。多分それは、僕だけが感じている雰囲気では無いと思う。

今日も無邪気に僕らを見つけると、平日には必ず会うのに二人が抱き合うバカバカしさは、この島ならではの意識なのか。

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[お待たせ、昨日ぶりだね]

「それ毎日やってたらキリないよ、とりあえず今日は何作るか決めよう?」

『肉がいい』
姫のような一言は、凍りつくが諦めは見えた。

[………じゃあ焼肉にしよっか]

僕に作らせるつもりの夕食も結局は贅沢の本心から出た一言で、僕の苦労も泡となって消える様は少し滑稽ではあったが

『〇〇豚汁作れる?』

「作れるよ、作ってほしい感じ?」

『うん食べたい』

「分かった。とりあえず作るけど、僕の家の豚汁は少し変わってるから文句言うなよ」

『大丈夫、かずみんもいるから』

「残したら許さねえからな」

『へ?』
阿呆の顔が腹立つが、意識してもしょうがない。

レジカゴを持つ僕に手を差し伸べてくれる高山に有難いと思っていた束の間、そういえば高山も大食感だと忘れていた。

[ねぇ、肉どのくらい買った方がいいかな]

『〇〇が食べ切れないと思うぐらいでいいんじゃない?どうせ私たちで食べるし』

[そうね、そしたら〇〇も同じぐらい食べるでしょ]


何回か三人で昼ご飯を堪能したことはあるが、正直驚きの連続だった。高山は元々剣道をやっていた事実があったとしても、今でもその細身の体をキープ出来ている事の不可思議さには、七瀬と同様の異様さがある。


男の僕が霞むような、二人の食愛は巨人と間違えるような背中をしていると錯覚して続けている。僕は萎縮して、強張って二人を見つめていた。


これも滑稽かもしれないが、

[とりあえず、これだけ買えば………]

『多分食べ切れるよ』
3パック目を七瀬が手に持った辺りから何回カゴに入れたか覚えていない。会計のことなど我関せずに二人は今日の夕食を文字通りの”豪遊”するつもりなのかもしれない。

結局これからの食事に必要な材料も諸々カゴに詰めた段階で、三つほど用意したカゴがギュウギュウに膨れていた。それでも気にせずカートを押す二人の背中は、やはり巨人のような堂々とした城壁の出立だ。

とりあえず僕だけで後で精算しやすいように一人で会計を済ませる。

店員が(預/合計)のボタンを押した時に、画面に出てきた金額に呆れて言葉も出ず、店の中で狼狽することをこの日は覚えてしまった。




この小さい島の小さいスーパーの顎が外れる手前まで買い漁った僕らは何枚もの袋を貰い、詰めていく。まだ袋が無料の期間で助かったと心から脳に通った。


重たい袋が何個も重なった僕らの手には、明らかに島の景観に合わない姿。

それでもこれから始まる宴に意気揚々と踊る七瀬と高山に、出遅れている僕はゆっくりと追いかける。


既に夕方を超えて、夜の色になってきた。

細波がざらざらと島全体の空気を覆い、静寂だけが僕らと共に歩く自然となって、帰路へと急ぐ。

まだ春の冷たい夜風には食欲を覚ます力など存在せず、結局僕でも夕食を早く経験したいと急かす心になっていく。

片方では七瀬の家に事前にあったたホットプレートで肉を焼き、僕が横腹が満たされそうな小料理を即席で取り掛かり、七瀬は余った体で飲み物や箸の細かい準備をする。

リビングにある大きい一枚板の机が短い時間であっという間に豪華絢爛の居間へと変わり、食欲も唆られる。

[そろそろ焼けるよ、〇〇も一旦来て]

『なな、この肉欲しい』

「待てよ、挨拶してから選べ。公平性にかけるぞ」

『細かいな、小さい男はモテないよ』 

「肉如きに僕の人生は反映されないぞ」

[とりあえず、手を合わせて!]

“頂きます”




漠然とした言葉の次は、退廃的な肉の競争にある一方的な映画のような勢いが見えて来る。やはりあれだけ落ち着いていた高山も挨拶の後は、一目散に肉を取りに行く。

[美味しいね、最高〜]

『……美味だね』
他人に殆どやってもらっていた七瀬は落ち着いて狙っていたものにかぶりつく。正確には箸で射止めただけだが、七瀬は口に入れた瞬間、敢えて落ち着くリアクションでその場を凌ごうとする。

自分で作った小料理がまだ手付かずの状態だったのが少し憎たらしいが、正直あれだけした値段の肉には興味は当然出る。

「……そりゃあ美味いよな」

三者三様な行動に僕らの満足値は徐々に上がっていく。ただ単に食らいつくだけでなく、同級生の誼みを相まって夕食には一層色濃く華が咲く。

雑談と食事の交錯はこれでもかと思うほど、僕らの期待を超えて脳から溢れ出す。都会ではあまり味わえなかった、他人との食事を存分の果てまで、骨の髄まで味わい、堪能する。

[〇〇の豚汁、美味しい]

『ね、こんなに美味しいのいつも食べさせてもらってるの有難く思うわ』

「嘘つけ、いつも気にせずバクバク食べてるだろ」

七瀬の時だけ著しく口調が荒くなるが、箸の止まらない躍動の姿に、結局は笑顔に戻る。その当たり前の結果には僕も完敗と言うしかない。



まだ春なのかと少しだけ思いながら、
とりあえず夜の風に当たろうとまた過った。




[…………何してんの?]

真夜中と呼ぶにはまだ早く、聡明な時間で満腹の状態から吐き出される気怠さを夜風に流してもらう。


一人更ける僕はテラスの椅子で、夜更過ぎに揶揄う。言葉を漏らすと高山がゆっくりと僕の隣を陣取る。

「いや、食べ疲れた」

[そんなに食べてないじゃん、私となーちゃんに比べたら]

「お前らが異次元なんだって……あれ、七瀬は?」

[あっち]

指の指す方向には、ソファで寝転ぶ猫のように横になる七瀬。胸焼けのせいで少し気分悪そうに寝言も荒い。

『うーん……』

「だから食べ過ぎるなって言ったんだよ」

[私はまだ行けるけどね]

多次元なら理解出来たかもしれない。

そんなこと今思っても、夜風は変わらない。
「まだ少しだけ残ってるでしょ、折角の手料理が」

[〇〇の料理美味しかったよ]

「……そりゃあ有難う」

今日は夜空の顔をまだ見てない。運良く雲が覆い、険しい削られた雲の断面が見えるだけ。


僕はまた雨戸を開けて嗜む。

[なーちゃんとの暮らしはどう?]

「どうって……なんか毎日親戚の子供の世話をしているようだよ」

僕はそう言いながら立ち上がり、仕舞っていた毛布を押入れから取り出す。

「七瀬が純粋だから過ごしやすい、やっぱりそれが良いかな」

また高山の隣に戻って、夜空の表情を伺う。
空白んでる機嫌を見たくて必死に追おうとするが、まだ朝には遠そうだ。

[なんか青春だね]

「何、その安い言葉………」
多分、その言葉を聞いても書いても閃かないだろうと。

意味が頭の中で苛まれそうになる。

[安くても、良い言葉だよ]

「へー、じゃあ高山は青春したことあるの?」

[まだ高2の段階で安易に体験するものじゃないでしょ]

「じゃあ、高山こそ難しく考え過ぎじゃん」
今日の雲はどういう色をしているのか。月明かりだけでは見分けがつかない視覚の限界値に、今の高山の声が無下に月へと届きそうだった。

[……そうかな、本の読み過ぎ?]

「それでその偏屈な思考だったら、ある意味納得かも」

りーんと七瀬が仕舞い忘れた風鈴が鳴る。

[〇〇は読まないの?]

「漫画と本の比率は7:3ぐらいって感じ。現代っ子の綺麗な成長の仕方でしょ」

[その言葉も少し安いね]

「じゃあ僕の負けかな……」
春の夜風に風鈴は無理矢理季語として成立しそうだ。やけに静けさを纏う家は、風をキツく追う。

[……さぁそろそろ片付けやろっかな]

「七瀬起こす?」

[大丈夫、今日疲れてそうだし、寝かせてあげて]

「案外七瀬に甘いんだな」

[厳しいのは勉強面だけって決めてるの]

「……それなら七瀬も有望だな」


立ち上がっては机を片付ける。


高山と二人きりでまるで念願の共同作業の手前のような、淡い色を揺蕩わせる。

台所の水場は意外と狭い、二人で作業をするには少しだけ肩が当たる。
分担して洗って、拭いてを繰り返すと自然に会話も彷徨う。

なんだろう、イケナイ事をしているような気分に落ちてしまうのは。

僕は不意に七瀬を見てしまった。
咄嗟に視線を戻しても違和感は拭えずに、また風鈴がりーんと邪魔をする。

水の流れる音も木霊しながら、
[そういえば、なんで私はまだ高山呼びなの?]

出会った時から、そう呼んでいた。

台所近くの窓辺には小さい鈴虫が、待ってそうな音を出している。

「………特に、なんか嫌だった?」

[出会ってまだそんな経ってないけど、少し距離を感じるなって……]

「じゃあ七瀬みたいに”かずみん”かな……」

[普通でいいよ、”一実”で]

「わかった」

「これから宜しくな、一実」
油が浮かんでいる水場の群青色は、気分悪そうに僕らを着飾る。それを今から流し殺そうと思うと少しだけ億劫にもなる。

[うん、宜しく]

出会いとは簡単だった。


始まるのは時間は少し掛かるみたいで、

少しだけこの島の事を分かり切っていた気持ちを押し込んだ。彼女の真紅に染まりそうな頬は僕の位置からでも見える。

思い返せば僕の右には七瀬が座り、僕の左には高山が座る。

いや間違えた、一実が左に座る。

海鳴りは波ではなく、空と共鳴して聞こえる。
[じゃあ帰るね]

「七瀬起こさなくていいのかな、折角の別れなのに」

[そんな重い別れじゃないし、あの子は奔放な子だから]

「一実も七瀬の親みたいだね」

そんな事を冗談でも言ってしまう。
[じゃあ私が母で〇〇は父になるね]

「やめてよ、そんなんじゃないし」

[冗談だよ………]
僕らは分かりやすい。

そして分かりやすく間を開ける。
[帰るね、また明後日]

「うん………」

手の残像が花のような形にも見える。空の機嫌と相まって、真夜中の雫の存在も明確に見える。だからって何も意識を変えることもしない。





玄関から見送ることに苦しさを覚える。人が少ないこの島特有の寂しさをこういう別れで思い知るとは思わなかった。

ゆっくりと、サンダルを脱いで、

家に入ろうと試みると、
『あれ、かずみん帰ったの?』

まだ寝ぼけてはいない七瀬が立ち尽くす。
「うん、今さっきね」

『……なんだ、起こしてくれても良かったのに』

「もうすぐ夜中になるし、それに片付けも終わったからこのままにしても、どうせ明日は日曜日だから」

『……ならいいや、風呂入るね』

「分かった。まだ浴槽洗ってないけどお湯貯める?」

『ならシャワーでいいよ、そんなに疲れてないし』

寝起きの七瀬は真夜中にまともになる。大人になりそうな言葉遣いも添えて、僕らの今日の会話はこれで終わった。

土曜日の台所はまだ濡れたままの皿達の残骸で、少しだけ湿っぽい。僕は一枚ずつ丁寧に拭きながら、明日の休日らしい朝の準備をする。

主婦のような行動範囲に実年齢を忘れていたみたいだ。僕は少しだけ踵をあげて、偉そうにしてみる。


伽藍としたリビングに薄く伝わる威厳は、一実に見せても面白そうだ。


そして僕らは春を消化するだけの時間を過ごす。

無駄にするつもりも無く、また七瀬と一実と三人で、たった三人だけの同級生として謳歌を実現する。

少しずつ昇華していく春の匂いは、段々夏に変わっていく。

鈴虫の音色が蝉の遠吠えと重なって、照りつける地面に乾いた雑草の魂がある。宙には湿った空気が漂い、都会にも感じた事のある熱量をこの島でも味わう。

そして僕は学校生活の他愛もない青春の時間から、永遠に刻まれる故郷の色を見つけていく。



そして今年の夏は、少し違った。


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